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(雑談)日本では意外と、コミュニケーションを取る場面が多い

大学で東京をでて、はじめて一人暮らしを経験してから結婚するまで10年近く一人暮らし生活をしていましたが、意外なことに、一人暮らしであってもあまり、孤独や寂しさを感じることはありませんでした。もちろん大学の頃は大学、社会人になってからは会社という居場所があるというのもひとつですが、日本という国は思っているよりも「他者とのコミュニケーション」が自然とあちこちで行われていて、それにより社会という居場所が提供されているのもひとつの理由かなと思いました。

それを強く感じたのは、はじめて一人でヨーロッパを旅した時です。なんとなく当時の私の感覚としては、日本人=冷たい、ヨーロッパ人=あたたかいというふうにおもっていたのですが、ふたを開けてみるとヨーロッパ、少なくとも私が直接接した中で、ドイツ、オランダ、ベルギー人達は、比較的他人に対してドライで、最初の初日は本当にホテル以外に居場所がない、得も言われぬ寂しさを感じたんですね。

たとえばスーパーで買い物をするとき。日本だったら当たり前のように、レジを通した後に「○○円になりますー」と声に出して金額を読み上げ、お金を出すと「○○円のおつりですー」「ありがとうございましたー」という一言が絶対にありますね。また「袋いりますか」「お箸どうされますか」みたいなコミュニケーションがあり、こちらも「いりません」「支払はぺいぺいで」みたいな言葉を発する場面があります。

ところが、少なくとも上記各国のスーパー(REWEとか)で買い物をしたときは、店員さんとのこういったコミュニケーションは一切なし。私が小汚い旅行者のアジア人だったこともあるのでしょうけれど、レジに品物を出すと無言でレジで読み取って(目も合わさない)、当然出た金額を読み上げることも無く。私が「VISA OK?」と聞くと無言で読み取り機を出してくる。そして(当時はまだVISA Touchがなかったので)PINを入力していると、勝手に、私の商品をぞんざいに横に退けて、次の人のレジ打ちをはじめる。ありがとうございましたも一切なしです。こちらから「Danke」と言えば、人によっては「ダンケシェーン」と返してくれることもありましたが、そんな具合です。

またレストランで食事をしていると、ウエイターさんにシカトされることもよくありますね。あれはシカトしているのではなく、ドイツやベルギーではウエイターさんごとに「担当するテーブルの範囲」が決まっていて、範囲外のお客さんは対応しちゃいけない仕組みになっているのだそうですが(チップとの兼ね合いですね!)、やはり日本人感覚からすると、冷たくあしらわれた感じになってしまったり。

頭ではわかっていても、いざそういう対応を目の当たりにしたとき、私はここの社会に属していない気持ちになりました。言葉の壁以上に「社会から拒絶される」という壁を感じたのです。最初の数日を過ごしたところで「私はここにいていいのだろうか?」という、多分日本では感じたことのなかった種類の寂しさを感じました。

日本人は他人に興味がない、冷たいといった話や、昔より冷たくなったという話はよく聞きます。実際のところ、そういう側面はもしかしたらあるのかもしれません。しかしそれでも、お店に入ったときの「いらっしゃいませ」は誰に対しても平等にかけられる。それが外国の観光客であっても、差別することなく受け入れ、「ありがとうございましたー」と送り出す。その一言があるだけで、その地をはじめて訪れる旅人の目線からすると、この社会が私を拒絶していないという「安心感」が与えられるんですね。

だから日本では一人暮らしをしていても比較的寂しくない。裏を返せば、もしかしたらヨーロッパで一人暮らしをするのは、結構しんどいことなのかもしれませんね。ここからはイメージですが、海外のサラリーマンって職場でもすごくフレンドリーで、仕事終わりにもよく一緒に遊んでいるイメージがあると思いますが、それは社会という集団が無いからこそ「友人」という集団を大事にしているからなのかもしれませんね。家族を大事にして、家族で過ごす時間が長いというのもそういうことなのかもしれないなと。

そんなことをかんがえました。見出し画像ははじめて一人旅をしたときのホテルの窓から見たリエージュの街並み。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました!