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(雑談)昔は山間に都会があった

私の出身地は岐阜県の多治見市、の中でも山間に位置している市之倉という集落です。本当に山深いところで人口もそれほど多くないですし、国道が通っているにもかかわらずコンビニすらないような場所なのですが、昨年この市之倉の小学校が150周年を迎えました。150周年というのはなかなかすごくて、つまり1870年代、日本にはじめて鉄道が開通したのと同じ時期に、既に市之倉には小学校があった、ということなのです。

こんな山の中なのに?と思うかもしれませんが、実は市之倉の集落は、室町時代から「盃」や「徳利」の生産を行ってきた歴史がありまして、戦前はちょっとした工業都市だったのだそうです。日本で最初に国がバスを運行したときも、市之倉にバスの駅が設置されていたぐらいですから、なかなかですよね。

という話は市之倉に限らず、日本各地の山間でわりと良く聞くことだと思います。昔は山間に、今よりもずっとたくさんの人が暮らし、働いていたのです。今のように自動車が普及する前は、木材や粘土をそのまま運ぶのが大変だったからですね。

川沿いであれば、筏で流して下流で加工することもできますが、大きな川がない地域でそれは難しい。木や粘土は重量物ですから、人の手で運ぶのもなかなか大変だし、非効率です。むかしは大型トラックやダンプは無かった、あったとしても、山間まで走れる道路が整備されていなかったでしょうから、丸太1本、年度一山を加工場まで運ぶのは一苦労です。だったら原材料のまま運ぶよりも、産出地近くで加工し、運びやすくしたうえで消費地に運んだほうがいいわけです。粘土を盃や徳利に加工し、梱包して箱に入れれば、荷車でも馬車でも人の手でも、安全に輸送できるのです。

実際、国土地理院で公開されている戦時中の航空写真を見ると、当時の市之倉は既に今と変わらないぐらい建物が建ち並んでいて、なんなら同じ時期の多治見市街地と比べてもそん色ないぐらい、発展している様子が伺えました。そりゃあバス路線も通す必要が出てきますよね。逆に今の多治見市街地、線路より北側には建物がほとんどなく、一面の田園地帯でした。

しかしその後時代が進み、鉄道や道路の整備が進むと状況が変わります。原材料を効率的に輸送できるようになると、近場で加工するよりも、大規模な工場にいったん集約してまとめて加工・出荷したほうがコストが下がることにつながり、効率的になります。そこで鉄道の沿線、近年だと国道や高速道路の沿線かつ土地確保に有利な平地に大規模な工場が建設されるようになり、それに伴って山間から平地へと人が移っていった。また、海外からコンテナ輸送により安い製品が入ってくるようになると、価格面で競争できなくなり、産業そのものが衰退した。そうしてだんだん、山間から人が減ってしまった、というのが今の状況でしょう。

だからどうしたって話ではないのですが。もし将来、自動車や鉄道に変わる新たな輸送手段が普及したら、また人口の分布も変わってくるのかなとも思います。たとえば大型の旅客・貨物ドローンが普及し、地形も何も関係なく直線的に輸送することができるようになってくると、離着陸に有利で周囲に障害物のない高い山の頂上の利便性が大きく高まるかもしれません。同じ理由で、タワマンの数も増えるかもしれませんね。逆に今の都市構造だと不利になり、平地は他の活用方法が検討されるようになったり、場合によっては今の町がゴーストタウン化する未来もある、かもしれませんね。何十年も先の話だと思いますが。

見出し画像は「みんなのフォトギャラリー」からお借りしました、と思ったら私の写真でした。ありがとうございます。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました!