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(雑談)成人式の意味

私が成人式に出たのはもう13年も前のことで、すっかり遠い昔の話のような気がします。今がどうかはわかりませんが、当時は成人式は「有無を言わずにとりあえず出るもんだ」という風潮があり、私も特段の疑問を持つことなく、成人式に出席したと思います。ただ心の中では「なんで成人式なんてあるんだろう」と、ちょっと疑問に思っていた部分もあります。別に中学の同級生とそんなに仲良くもなかったしね。

当時はまだ、成人年齢が20歳でしたから「成人を祝う会」として成人式があったと思いますが、今は成人年齢が18歳になって、成人式も「20歳のつどい」みたいな名前に変わっていると聞きます。そうなってくるとより一層「なんの為の式なんだろうか」と思ってしまいますね。

大昔、医療が発達しておらず満足に食事もとれない子供が多かった時代ですと、小さいうちに亡くなってしまう子も多かったでしょうから、20歳が迎えられるというのはとても大きな意義があったのではないかと思うのです。また農業や手工業が中心の時代ですと、働き手として一人前になれるのが20歳頃ということもあるでしょうし、子供が産めるという意味でも、やはり成人を迎えるということは人生の中でものすごく重要な意義を持っていたと思うんですね。しかし現代ではそういった側面は薄れているのかなと思います。高卒で働くなら18歳、大卒で働くなら22歳で、その「間」にある20歳というのはなんとも微妙な立ち位置になっている感じがします。

ところが、妻に聞いてみたところ成人式は「ものすごく大事」だと言っていました。ひとつは、振袖を着れるチャンスがそんなに多くないから、やっぱり女性として振袖とウエディングドレスは着てみたいという理由、もうひとつは、祖母や親戚、親に「20歳まで育ててくれてありがとう」と感謝できるチャンスだから、とのことでした。

確かに私自身も、成人式でスーツを着て祖母と写真を撮ったなと、その話を聞いて思い出しましたね。祖母は私が成人した2年後ぐらいに亡くなっており、元気な祖母と一緒に撮った写真は、成人式のそのときが最後だったのではないかと思います。私は大学生のとき東京におりましたから、そのときは「成人式だから」と帰省し、「成人式だから」という理由で、スーツを着て祖母と写真を撮った。もし成人式がなかったら、私の晴れ姿を一度も見せることがなかったかもしれない。

そう思うと、やはり成人式というのは、家族や親戚、昔の友人と無条件で会えるイベントとして、また一緒に写真を撮ったりおめかしをしたりする理由として、一定の意義があるのかもしれませんね。

そんなことを考えました。見出し画像は「みんなのフォトギャラリー」からお借りしました、ありがとうございます。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました!