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(雑談)複式簿記の借方はなぜ借方?

複式簿記、商売をやっている方なら必ず一度は目にする機会のある、いわゆる「簿記」というやつの正式名称です。取引を「借方」と「貸方」が対になるように記録し、かならず借方と貸方が一致するようになっているのが複式簿記の基本的な考え方ですね。完成された素晴らしいシステムだと思います。

個人的には複式簿記は、義務教育に入れてもいいぐらいだと思っているのですが(少なくとも、納税を義務にするのなら、納税額を算出するための帳簿付けの方法も義務教育にしておかないと、釣り合いが取れませんよね?と思っています)、それはそれとして、今日はちょっとした小話。

複式簿記を習っていて不思議に思うのが、なぜ「借方」が「借方」なのか、ということです。具体的には、誰かにお金を貸したとき(貸付金)、その取引額を「借方」に記帳し、誰かからお金を借りたとき(借入金)、その取引額を「貸方」に記帳します。複式簿記で記録するとこうなります

(借) 貸付金 ××× / (貸) 現 金 ×××
(借) 現 金 ××× / (貸) 借入金 ×××

貸付金が「借方」にあり、借入金が「貸方」にある。なんとなく違和感ありますよね。他にも借方には、商品だったり固定資産だったり現金が入りますが、借りているというイメージではないと思います。

なぜ借方が借方なのか。これには諸説ありますが、私が一番好きなのは複式簿記の起源に由来する説です。複式簿記は、古くはローマの奴隷が起源で、広く発展したのは中世イタリアだといわれています。14世紀にルカ・パチョーリが著した算術書「スムマ」で、当時ヴェネチアで行われていた複式簿記が紹介され、これが世界に広まったとういのは有名な話だと思いますが、複式簿記自体はさらに前、12世紀頃から存在しており、主に「航海中の取引管理のためのツール」として用いられていたと言われています。

当時は大航海時代で、船による貿易が盛んに行われていました。貿易を行っているのは貴族ですが、貴族は船の操縦に関する知識も無ければ経験もない。そこで、貴族がお金を出し合って「会社(組合)」を設立し、この会社が腕のいい船員を雇って、貿易を行うという形を取っていたんです。

会社は航海が終わると解散し、貿易により得た利益から、船員に対する分配を行い、残額を貴族たちに配当するような仕組みだったそうです(1航海1会計期間)ここに現代にも通じる「出資」「所有と経営の分離」の考え方が生まれたのですが、しかしながらここに「情報の非対称性」という問題が生じたのです。貴族からすると「船員が、自分が出資したお金をちゃんと運用しているかどうか」がわからない。船員からすると「自分たちが、貴族のお金をきちんと運用している」ことを貴族に伝えて信じてもらいたい。そこで生まれたのが「複式簿記」だったというわけですね。複式簿記により、航海中のお金のやり取りをすべて記録し、残余を現物とあわせることで、貴族と船員の間の情報の非対称性を克服しようとしたのです。

ここに「借方」の起源がある。すなわち、航海中に現地で買い付けた香辛料など(資産)は、最終的には貴族の所有物であり、航海中は一時的に自分たちが保管しているに過ぎない。ゆえに「借方」だということです。貸方も同じですね。航海中に資金が不足して、現地の金融機関で資金を調達したり、一時的に船員(会社)が立て替えて支払うことがあったとき、その支払は「最終的に貴族から回収する(貴族に対する貸し)」お金として「貸方」に記帳されていた、ということです。

現代においても、会社は株主のものであり、経営者は株主から出資された資金を代理で運用していると会社法上考えられていますので、会社の資産、商品や固定資産は会社が株主から一時的に預かったものだ、ということで「借方」に記帳されている。そう考えると、なんとなくしっくりきますよね。ただ現代の会社は、ヴェネチアの貿易船と異なり解散を前提としていません(継続企業の公準というものがあり、現代の「会計」は企業が解散しないことを前提に制度設計されています)ので、借方の持つ本来の意味が薄まってきたのかなと。

なお繰り返しますが、借方の起源には諸説あります(そもそも簿記の起源そのものに諸説あります)ので、今書いたのはその中で「私が一番好きな」説だ、ということでご容赦ください。

見出し画像は「みんなのフォトギャラリー」からお借りしました、ありがとうございます。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました!