見出し画像

(雑談)岐阜の町は路面電車が無くなったから衰退したのか

岐阜の町で最後まで営業していた百貨店、高島屋岐阜店が遂に今年閉店することになったそうです。岐阜から百貨店は無くなり、いよいよ岐阜の町から賑わいが失われそうだということで、県内では話題になっています。電車で20分の名古屋に巨大な高島屋があって、岐阜にも必要か?と言われれば「それはそう」なのかもしれませんが、とはいえ岐阜の中心市街地はここ数十年で衰退が進み「柳ヶ瀬ブルース」の時代からすれば寂しい状態になっているのは事実ですね。

これに関して、鉄道マニアの間では「岐阜路面電車の廃止」との関連性で語られることが多いように思います。2005年に岐阜を走っていた路面電車は廃止されていますが、これが中心市街地衰退の要因になった、という話ですね。ちょうど同時期に富山で路面電車を活用した街づくりが提唱され、その後実際に富山では路面電車を活用した街づくりが進められたりもしましたので、それに対比されるような形で「失敗例」のように語られることが多いように思います。

確かにいちマニアとして、路面電車の廃止は心苦しいものがありましたが、では岐阜の町は本当に路面電車が原因で衰退したのでしょうか。私自身も鉄道マニアではありますが、個人的にはこれは、一因ではあるものの必ずしもイコールではないのかな、と思っています。

そもそも岐阜は繊維業で栄えた町ですから、まず何よりも「繊維業の衰退」が大きな要因として存在しています。これは岐阜に限らず、一宮なんかもそうですね。様々な要因があって繊維業が衰退し、それに伴って繊維工業の町だった岐阜自体が勢いを失った、というのがまず前提としてあるように思います。

しかしながら、繊維業が衰退したとはいえ、実際には岐阜周辺に住んでいる人はたくさんいますし、JR岐阜駅や飲み屋街(玉宮)を歩くとたくさんの人が居て、活気にあふれている様子が伺えます。岐阜に住む人はたくさんいるのです(私自身も住んでました)。にもかかわらず、そういった人々が岐阜市内で買い物をしない。その理由として「路面電車が無くなったから」というのは、影響がゼロではないとは思いますが、これに関してもより大きな要因として、岐阜に住んでいる人は、岐阜市内で買い物を「する必要がなくなった」という側面があるのではないかと思います。

買い物や仕事をする人はどこに行くかというと、圧倒的に名古屋です。路面電車が無くなる前の1999年に、名古屋駅に高島屋やセントラルタワーズが出来てから、名古屋駅周辺の開発が一気に進みました。これまでは、名古屋の百貨店等は東の栄地区に集まっていて、名古屋駅周辺は松坂屋や名鉄百貨店があるぐらいで、あんまり買い物をする町って感じでは無かったのですが、タワーズができてから大きく発展したんですね。また名古屋駅は、JRの快速(15分ごとに走っている)で岐阜駅から20分の距離です。日常的な買い物やお出かけ、仕事をするうえで、岐阜より名古屋のほうが身近な存在になってきた。開発が進んだこと、JRが便利であることが、名古屋と岐阜の間に強力な競合関係を築いた形になり、結果として名古屋が勝った形になっているんだと思います。

また、岐阜の周辺都市との関係もこの頃変わったように思います。たとえば岐阜の北東には刃物で有名な関、和紙で有名な美濃の町があります。岐阜の路面電車は、廃止直前まで関と岐阜市内を結んでいました。関と岐阜の結びつきも強いほうだと思いますが、1998年に東海北陸道が名神高速とつながり、美濃・関と名古屋を結ぶ高速バスが便利になると、こちらも名古屋のほうを向くようになり、岐阜で買い物をしなくなってしまったんですね。

同じく路面電車は岐阜の北西部にも伸びていましたが、岐阜の郊外は繊維工場の跡地を利用した大規模なショッピングセンターが多数出展しています。岐阜の西側には大きな商業施設が結構ありまして、路面電車が走っていた頃も、マーサ21が1990年代からあったと思いますし、カラフルタウンやリバーサイドモールができたのも2000年前後には存在したと思います(記憶ベースなので、違ったらすいません→リバーサイドモールはその後潰れましたね)。岐阜の郊外は道路事情が良いですから、こういう大型ショッピングセンターができたら、やはり電車で岐阜の中心地まで行って買い物をしよう、という人は減少してしまうことでしょう。

こういった経緯で、JR沿線は名古屋に吸われ、外濠はショッピングセンターや高速バスに固められ「結果として」中心地が衰退したし、利用が減った路面電車は廃止された、というイメージなのかなと思います。ちょうど路面電車が廃止された2005年は名鉄自体のイメージがあんまりよくなかった時期で(2003年に無配になってから、ホテルや観光業の整理を続けていて、地元では名鉄自体が終わるのではないかと囁かれていましたね)、新聞やテレビで廃止にする・しないのやり取りが大々的に報道されたことも相まって、路面電車が強引に廃止されたような印象が与えられたこともあり、路面電車の廃止が岐阜中心市街地の衰退とイコールで語られるようになったのかな、という印象です。

なお、あくまで廃止=衰退なのか?というテーマで書きましたので、廃止自体がよかったとか悪かったとか、そういう話ではありません。その点ご注意ください。廃止自体の賛否は正直「よーわからん」です。「路面電車の活用法もあったはず」というのは確かにそうだと思いますし、たとえば富山や宇都宮の事例が先にあって「じゃあ岐阜も」となっていたら、また違った可能性もあったかもしれませんね。宇都宮の事例を見ると、岐阜も「岐阜大学までライトレールを走らせれば、利用者が増えるのでは」みたいな話はあったかもしれませんし。たらればですけどね。

実際には、廃止しなかったとしても、廃止前の路線網が全部維持できていたかというと、現実的にはなかなか難しかったんじゃないかなーという気がしますよね。路面電車で運行するには、ちょっと距離が長すぎたんじゃないかな。車で走っても、関から岐阜や、岐阜から本巣って結構な距離がありますしね。わからんですけども。

いいなと思ったら応援しよう!

「からんだ」の中の人
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!