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娘は命のままに生きてる

20201010

ひさびさにういが熱をだした。

それで今日一日予定していたことをキャンセルして、看病している。

といっても、ういは全く元気なので特別なことはしていない。遊びの誘いにつきあいながら、どうにか昼寝をしてくれないものかと画策している。

居間にふとんを広げて、ゴロゴロしながら遊ぶ。そうしていると、娘もゴロゴロしはじめる。よしきたと寝る流れにもっていこうとするも、勢いよくおもちゃの方へ飛び出る。

やれやれなんて思いながら、寝かせたいはずのこちらが15分ほどのうたたねを、3度ほどくりかえしてる。

寝て起きるたびに、おもちゃが散乱している。それをしまって、ちょっとして、僕は寝る。

ういは命のままに生きてるなあとよく思う。そんな信頼、思い込みを前提にして、娘のことをみているから、娘に異変があると、なにか流れが変わったくさいなと思う。変わったというかちがう感じ。ボタンかけちがえてるかなっていうセンサーみたいにみてる。

そのかけちがえは彼女自身の話でもあるし、彼女の環境のおおくを占める妻や僕のことでもあるんだと思う。

妻と僕が無理をして妻と僕の流れがよどみ、結果彼女の流れもよどむ。

2年くらい前まで、彼女はよく風邪をひいていた。2〜3ヶ月に一回くらいは熱をだして、3〜4日まとめて休んでた。

その頃は週5で保育園に行っていた。彼女は保育園に行きたがらない。それを平日週5とかをくりかえすと、どこかのタイミングでストップがかかって長めの休みになる。

そんなわけで、いまは週3〜4日になるように調整してる。そして、体調を崩すことはほとんどなくなった。

体調を崩さなくなったのは彼女の心身のキャパ的にちょうどいいあんばいをみつけたんだとは思う。

それと同時に、妻と僕の流れも整ったんだろうなって気もしてる。

妻も僕も働く日数を減らして、というか僕は会社勤めをやめて、だけどお互い休む日はつくらず心地よく動きつづけられてる。

なにが整ったのかって、自分の命、その全体性を意識して感謝するようになったところだろうか。

社会に適応してる部分の自分ばっかり意識して、それ以外の自分無視しすぎ!、と、彼女は風邪をひくたびに教えてくれてたのかなと勝手に思う。

今回の風邪は僕を寝かせてくれてるんだろう。

彼女の流れはよどまない。
よどむときは、まわりからの力、特に妻と僕からの力が影響する。

彼女がよどまぬ流れのまま、心地よいままに変容をつづけていった先を、みてみたいなと思う。

動物のままで社会の波をのりこなすこと。
動物のままで社会に波をつくること。

そんな実践をできてしまうんじゃないかと期待してしまう。
ずいぶんと余計なお世話だ。我が身でやろう。

とりあえず彼女の命の右往左往を見届けようとおもいながら、いっこうに寝る気配のない娘をつれてドライブに出かける。

妻にヘルプしてもらうまでの右往左往。

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