『台湾生まれ 日本語育ち』温 又柔


読み終えて、感想を書いておかなければとパソコンの脇に重ねてからひと月程経ってしまったかも知れない。けれどその、読み終えてからの間も、この本に対する愛着は深まっていくばかりだった。

ひとりの女の子が、父親の仕事の関係で台湾から日本へと移り住む。彼女は言葉を覚えるのが早く、幼少期はその弁の立つ口から発せられる台湾語で親類を笑わせ、日本に移り住んでからは世界を新たに知るように日本語を習得していった。そして、成長し、高校・大学と第二外国語で中国語を学ぶことになる。台湾語・日本語・中国語、彼女には3つの言語がある。けれどこの本は、例えばその3つの言語の相違点であったり、言語を操ってきた人々の集団的なものの考え方を比べたりする比較文化的なエッセイではない。彼女は、ふたつの国を跨がない。彼女は、彼女の立つその場所からしか喋らない。だから僕にとってこの本は、そうした意味で「個人」とそして個人がその中で生きざるを得ない「時代」についてのエッセイである。

本書に収められたエピソードの中で、特に気を惹いたのが「ママ語」にまつわるものであった。著者の母は、子供たちに話しかけるとき台湾語・中国語・日本語をちゃんぽんにして好きなように言葉をつないでいく。例えば「迷子する」のように。本書の説明によればそれは、中国語では迷子になることを単純に「迷う」と動詞で表すが、日本語ではそれを迷子に「なる」と表すため、それが混ざりあって「迷子する」という不思議な動詞が生まれる。しかし、それは当然のことでもある。日本語を、世界の在り方のように吸収していった子供たちと異なり、母は日本語をあとで習得していったのだから。(それは厳密には異なるのだけれど、あとで理由はわかると思う。)そこに、著者と母との間のズレがある。そしてそのズレは、不安を呼ぶ。

 母と娘なのに、言語や文化の違いによる壁があるもどかしさ。わたしの母も、大事な話になると中国語か台湾語に切り替わる。口論のたび、もどかしさを覚えた。わたしの主張することは、母にちゃんと通じているのだろうか。母はわたしの言葉(日本語)の細かいニュアンスを汲み取っているのだろうか。---「眠る中国語」

家族であっても、心が通じ合えるわけではない。この事実はただ、著者とその母との間にだけ突きつけられるものでもない。著者の母とその母、つまりは祖母との間にも同じように横たわったものなのだ。そこには、台湾の歴史が関係する。台湾ではかつて、日本語が「国語」であった。そして著者の祖父母の世代はまさにその時代に、子供から大人へとなっていたのだ。だからか著者の祖母は、日本語を操る著者に対して日本語で語りかけるとき、とても嬉しそうだと述べる。毛沢東と蒋介石の争い、日本の統治そして戦争、反動的な中国語教育、その先にある親中国か自立かという選択やそれ以前の先住民の流れもある。この本に伏流として流れているものは、そうした台湾の歴史そのものである。祖母も母も著者自身も、いや、人々はみなそのうねりの中で生きてきた。そして移動し、命を落とし、子を成した。

このことはなにも台湾と太平洋戦争の関係の、特殊さ、ではない。日本においてであって同じではないだろうか。明治維新があり、その騒乱が過ぎれば明治31年に民法の公布がある。これは今にまでつながる近代家制度の需要なエポックである。市民が民権主義を掲げた大正デモクラシーはそこから20年も離れていない。その間にも日露戦争、日清戦争が起こっている。そして、先の大戦、敗戦、戦後民主主義、高度経済成長……。経済、政治、文化、テクノロジーどれを並べてもいい。少なくとも明治以降、日本では親の世代と同じ価値観で育った子はいないといえる。例えば僕の母は就職に際し、総合職での可能性は閉ざされていた。それが改善されるのは、1986年の男女雇用機会均等法の施行を待たなければならなかった。僕の母がなにを感じていたかを僕は知らない。それが当たり前の時代だから、なにも気にしていなかったかもしれない。その時代を女性として過ごした母の気持ちを、男である僕がわかり得るとは思えない。ここにも隔たりはある。

少し脇道に逸れてしまった。本書へと立ち返るならば、それでも、人と人との間には隔たりだけがあるわけではないのだ。著者は、大学院時代に1980年代に日本で活動した李良枝(イヤンジ)という在日韓国人二世の作家を研究する。日本語のなかにハングルが混じる小説である。しかし、李良枝自身に、自らの母国語がハングルであるという自覚があるわけではない。著者は、日本と韓国で揺れる李良枝のその寄る辺なさに、自身を重ねる。また、日本文学史からも台湾文学史かもその名を消された呂赫若(ロカクジャク)という台湾で生まれ日本語でも作品を発表した作家についての―自らの文学への意思を明らかにする―エッセイもある(「失われた母国語を求めて」)。そして、世代を超えて祖母と交わされる日本語がある。

同じ今のなかに、そこへ各人がたどり着くまでの時代が刻まれている。いままさに共有している「今」のその地盤の下では、複数の時代が流入し蠢いている。それは、僕たちが結局のところ「個人」であるということだ。けれど、個人であることは、つらくないのだと思う。個人であることは、時代のなかであったということなのだから。

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