光背

三月の初めに「贅沢な肉」について投稿した後、バタバタしていて間が空いてしまいまいた。
「縦割れの身体」から生まれた「脱骨格」という考え方が「贅肉を愛す」という術理にまで変化しましたが、実はそれ、「波動の世界」を実感し、動きの根幹に変えていくまでに育っていきました。

ノートの更新が出来ないまま時間が過ぎてしまいましたが、天動説と地動説から始まったこの一連の流れは4月後半から、甲野先生のメールマガジンにて何回かに分けて掲載していただく予定です。

「波動」という言葉はこれまで何度も、色々なところで聞いてきました。何とか、それを実感したい、と多少の工夫を考え、実践もしてきました。指先ぐらいがビリビリくる、という動きは捕まえたものの、体幹という大きな身体ではどうしても、波よりも、塊の身体の影響が大きく、波動でい続ける事ができません。

それがいよいよ、これなら大丈夫!と、身体は波動である、という手がかりを見つけ、それを保持する術理までこぎつけました。

波動という見えない世界を強いストレス下でも感じ続けるコツを捕まえたせいでしょうか、見えない世界にまた興味があふれ、想像を膨らまし、身体に変化はないかと、探し始めるようになったのです。

ちょうど、先週、甲野先生を浜松にお招きし稽古会を開催しましたが、そこで「横耳」でしたが、聞いていました。詳しい内容にはあえて気を向けず、自分の身体の変化を探っていたのですが、先生が「サムシンググレート」という言葉で術理を解説しだした時に、気持ちが軽くなり、身体への意識の向き方が変わった気がしたのです。

見えない何かを手掛かりにするのは避けてきました。
それは妄想になり、イザという時、頼りになりません。しかし、身体は波動でありつづけられる、とわかったのが大きな要因だったと思いますが、「背中」の方に「見えない何か」に気づく事になりました。

身体は波動、その身体という波動を揺らすものはこの世界のどこにでも存在します。当然、目に見えていない後ろにも。後ろにある何かが私の身体の波長を変えてくる、そんな想像を「許す事が出来た」というのが今日お話しする「光背」には必要でした。

自分の想像の限界をサムシンググレートという言葉は乗り越えさせてくれたのです。甲野先生が言われる事は全て「身体」を通してのもの。先生がサムシンググレート、菩薩や如来、と口にするのなら、それは心の産物ではなく、身体を通して感じられたものだろう、と長くお付き合いさせてもらえる中で思うようになりました。

自分の背中にある何か。最初、その「なにか」を物体、存在として考え始めました。
しかし、当然ながら、それを自覚できるほどの確かさは生まれません。いや、心の中程度でいいなら、なにかいるかも?と思う事は出来ますが、それでは首を絞められた時のように肉体的に辛い時には使えません。

もっと確かに、扱えるものはいないのか?とさらにあれこれ、研究に付き合ってもらう中で、身体がまた、「縦割れ」をしたのです。
ただ、その縦割れは前ではなく、後ろ。胸ではなく、背中でした。

背中の縦割れ自体は一月ほど前にすでに見つけていました。相手から見えない背中の動きは、それを主体にして動けば気配が見えません。非常に有効な動きです。
ただ、この一月前の背中の縦割れは前、つまり、胸の方向へと進むものだったのです。
それがこの時、縦割れによって進んだのは「後ろ」でした。

後ろへと身体が進んでも、目の前にいる相手の身体には何の影響も与えない、そう思い込んでいました。触れていないのですから当然です。
しかし、後ろへと背中が進んだ時、胸の緊張が一気に解れ、腕がとてつもなく自由に動く、という快適さを感じたのです。
大切なのは、この自由を止めていた胸の緊張に全く私は気づいていなかったという事です。敵を前にした時に現れるその身体は「当たり前」なものとしてそれを変えよう、とは思いもよらず、無意識のうちに苦しい状況を受け入れていたようです。

背中が後ろへと進む。
これは小さな一歩です。後ろへ、と言っても、背中は胴にあり、胸から離れません。肩甲骨、肋骨を動かす、とかそういうレベルの話ではありません。
縦割れに意識を丁寧において観察をすると、随分と肉体から離れても、後ろ後ろ、と延びていく感覚が見つかります。

ふと、これは「光」のようなもの、と思い付き、肉体的背中そのものを主役にするのではなく、背中の縦割れによって生まれるのは光、と思い込んで姿勢を作ってみる事にしました。
何度も言いますが、形ないものを想像する、というのはまぁ、危険です(笑)。思い込みになりかねない。ただ、この時意識した光はなかなか丈夫。
相手と向かい合っている肉体を抑えられたりしても、消える事なく、後ろへと伸び続けてくれます。

背中から後ろへと光が出ていく。
現実的に、そんな馬鹿な話はありません。しかし、私たちはその姿を知っています。
仏像の後ろに描かれる光があります。「光背」と呼ばれ、仏像の姿を一段と魅力的にしてくれます。本来の仏像にある光背が後ろか前、どちらに進んでいるのかはわかりませんが、この世には人の後ろに光はある、と教えてくれている、そう思いました。

相変わらず、読者無視で、今、この身体に起こった事を自分勝手に書かせていただいています。
自分で書いていても、あきれるぐらいです。ただ、こんな世界もある、その小さな一歩が次の世界をまた切り開き、気がつけば、考えもしない世界へと興味を出させてくれる、そんな稽古法をずっと行ってきました。

人間の背中からは光が出る。
今日はそんなお話でした。

【稽古予定】参加受付中
4/9(土)川崎稽古会
4/23(土)甲野先生の浜松稽古会
5/29(日)つくば稽古会

4/3(日)名古屋
4/8(金)名古屋東山
4/13(水)名古屋
4/15(金)名古屋熱田
4/17(日)名古屋
4/20(水)大垣(予定)
4/21(木)瀬戸
4/24(日)浜松
4/27(水)名古屋

詳しくはウェブサイトでご確認ください。
カラダラボ ウェブサイト

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