内臓は動く、それも簡単に。

つくば、東京の関東稽古では非常に良くしていただいて、三日間しゃべり、動き、空っぽになるほど楽しく過ごしました。
ただ、乗りに乗りすぎて無理もあったのか、その後、頭の回らない日が続き、このnoteの更新も滞ってしまいました。

たった半月、という思いはありますが、この半月の間も新しい気づきも生まれてきて、言葉にしておきたいなぁ、と思ったのでノープランでパソコンに向き合い、指に任せて書いております。
一体、どんな言葉が生み出されるのやら・・・、自分でも楽しみです。

疲れたなぁーと思う事があっても、それは無意識に制限がかかっていて、限界を見る事はあまりないのかもしれません。
何十年も同じ身体で過ごしていれば、身体を壊さないようにリミッターが作られても不思議ではありません。

リミッターを外す身体感覚を得たのは「三角」の術理です。
◀◁(2枚の三角)を平行に重ね合わせれば、それぞれが助け合い、基準となる面を作ります。基準の面に従い、動いた時の速さは単独で動こうとした時とは比べ物になりません。
腕を曲げ伸ばししても、それは残像を残す事はありませんが、手のひらを合わせ、こすってみれば、簡単に指は残像を残します。
人にとって、転倒を引き起こす崩れは無意識レベルで避けられているように思います。

腕に三角をみつけ、脚にも見つけ、肺も三角ではないですが、面として考え、重ね合わせられる事がわかりました。
特に、肺を面として捉え、重ね合わせるように呼吸をすれば、胸骨、背骨との衝突がなくなり、崩れが減ります。結果として、深く、広い呼吸が手に入ります。
この内臓への変化もあったからでしょう、いつもよりも格段に調子がよく、ついつい、動きすぎてしまい、慣れない動きの反動に半月くたばっていた事になりました。

呼吸が深く、広く、強くなる事がわかり、楽しめるようになると、時間に対して希望が生まれます。
生まれたという過去は決まっていても、いつ死ぬか、という未来は確定できません。
未来は明日にも終わるかもしれないし、何十年も続くかもしれないのです。
明日終わるとなれば、それはもう仕方のない事、こちらであれこれ思っても、終わりは終わりです。
問題はいつまで時間は続くのだろうか、という事です。

子供の頃の時間は成長を促し、未来への力を育ててくれる時間です。
しかし、大人なれば、肉体は衰え、動かなくなります。思考の力は歳と共に磨きがかかる事はあるかと思いますが、大きな胴体を主とした身体はどうしたって、衰えるもの、老いへの恐れはなかなか消えません。

幸い、私は老いを自覚するのが早く、たまたま若い頃に興味を持て、人生をかけられた身体感覚の稽古が、老いに対しての向き合い方になる、とわかり、結構な時間をかけて探る事ができました。
探ってみれば、信じられない働きが身体に備わっていた事がわかります。
機械やマンパワーが増えてしまい、自らの身体を使う機会を減らしてしまった事で身体の能力を社会全体が見誤っています。
老いに対しても大丈夫、という自信は持っているつもりでした。

ただ、内臓だけは別です。なかなか意識がしづらいものが内臓です。
特に日ごろ、丁寧な生活など気にしてませんから、私の内臓には負担が強くかかっているだろうなぁ、と思うばかりでした。
それが肺を重ね合わせる呼吸に気づき、それが1月ほど続き慣れてきた事で、私の中の「内臓観」が変わってきました。

これまで内臓は動かないもの、としてみてきました。
もちろん、心臓は血液を送り出し、胃は消化し、腸は吸収し、肺は呼吸をして、休まずは働いてくれているのは知っています。
しかし、それはちょっと離れたところで頑張ってくれている感じで、私自身の意志はそこに届いていませんでした。
それが肺が大きく動き出した事で、それが呼び水となったようで、内臓全体が大きく揺れ動きだす事を感じたのです。

人間はいくつかの部分に分かれた存在ですが、その大部分は水で出来ています。そういわれますが、なかなか水を感じる事って出来ません。
しかし、腹に納まった内臓はある意味、水の中に浮かんだようなものです。その中で大きな部分を占める二つの肺が重なり合い、動く事で、腹の中全体の水が揺れだしたのを感じました。

今、たまたま、呼吸を通して、内臓を揺らせられる(それも簡単に)、とわかりましたが、もし、これを知らずにこの先何十年を過ごしていたら、と考えるとちょっと恐ろしくなります。
呼吸をするたびに胸が左右に大きく動き、わき腹辺りが胸に引かれ揺れだします。
内臓それぞれの働きは医学によって相当、理解されています。
しかし、動きはどうでしょう。身体の中にあるだけであれば、内臓だって当然、ストレスを受けてしまうでしょう。そのストレスが窮屈を生めば、それは段々と固着を生み、本来の働きを望めなくなりそうです。

各内臓の働きを私は知りません。
しかし、働きは知らなくても、動いていた方が幸せだろう、とはわかります。
この骨格や筋肉的な身体もそうです。
それぞれの詳しい理屈はわかりません。しかし、動かす幅が増えました。特定の技にこだわっているわけではないのも幸いしました。新しい動きが見つかること自体が嬉しいのです。

人は「動物」です。動かなければ楽しくないと思うのです。今、私たちは脳を激しく動かす生き方をしていますが、それは首から下の胴体がちゃんと動いてこそのものだと思うのです。
首から下が動かず、脳だけがフル回転をしたなら、取り残された身体が緊張を強くしても仕方ありません。

現代人は忙しく、新しく何かを始めるのは簡単ではありません。
だからこそ、呼吸で内臓が動く、とわかった事がまた、嬉しいのです。
これは「動き方」の話です。
呼吸が上下、前後だけではなく、左右にも働かせられる、と知れば、後はそれぞれの好き勝手に呼吸のバリエーションを増やしていけばいいと思います。
もし、すでに何らかの呼吸法を学んでいるのであれば、呼吸を動かし、確かめる中で、教わった呼吸法の意味が知れるかもしれません。それはそれで嬉しい事です。
ただ、やはり、私の土台は一人稽古。誰も知らないような動きはないか、と身体を探るのが楽しいのです。この時、特定の教えがあると、それが有難ければ有難いほど、手放すのが難しく、その教えの派生のものとなってしまいます。

驚きは想像を超えたところに生まれます。
予測がつかないものは、大切にしていたものを手放した時に生まれやすいのです。
一人稽古は驚きを生みます。その驚きは多くの人に共有されるものというよりは、当人だけのものです。そんな驚きを生きていく間中何度も経験できるのが一人稽古です。

とりあえず思うがままに書き始めましたが、まだこの先に、「粘膜」と「窒素」の話が残っています。
どちらも刺激的で、今のところ、どうも、これは理解される事をあきらめた方がいいかな、と思うばかりです(笑)。
とりあえず今日のところはこれぐらいにして、また、次回へと続けます。

不定期稽古のお知らせ

甲野先生の浜松稽古に続き、名古屋稽古が決まりました!

「甲野善紀先生の浜松稽古」
日時:3/30(土) PM2:00~PM5:00
参加費:8000円(当日払い)
会場:浜松市福祉交流センター(フクシコウリュウセンター)
住所:浜松市中区成子町140番地の8

「甲野善紀先生の名古屋稽古」
稽古日時:4/6(土) PM2:00~PM4:30
参加費:8000円(当日払い)
稽古場所:ドルフィンズアリーナ(愛知県体育館)/フィットネスルーム
会場住所:名古屋市中区二の丸1-1
地下鉄、駐車場:アクセス情報(愛知県体育館のサイト)

共に詳細、申し込みはウェブサイトから。
http://www.karadalab.com/

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