入口に立つ事が一番難しい

朝目が覚めた時、ふと思いつく事が増えた。
これは昨日記事にした「身体に依存する」という事にもつながっていると思う。

まだ意識がはっきりしないまどろみの時間。
身体はあっても、意識が出来ていない時間。
この時間を仕事、生活の活動時間に得るのは難しいだが、寝起きなら簡単。
そして、眠る前だとすぐに眠ってしまい試行錯誤が出来ないが、起きがけなら、徐々に頭が冴えてきていい感じだ。

今朝、「入り口」という言葉を思い浮かべながら目を覚ました。
身体感覚を探りながら生きてきて、日々、考えもしなかった自分を体験できている。常識的な人生とはまるで違うのだが、人生そのものと向き合えるいい人生だ。

ある意味、そういう人生の「入り口」を見つけ、歩いているとも言える。

実はこの「入り口」たくさんあるんじゃないか、と。
先週も新しい自分への入り口を見つけたところだ。その入り口は「私は壊れない」という気持ちを持てる人生への入り口。
しかし、その2週間前にも「壊れない私」を見つけていたはずだった。同じ「壊れない」というくくりでまとめられるものの、それぞれは「別」のものだ。

もし、一つの入り口で喜んでしまったら二つ目の「私は壊れない」という世界を得る事が出来なかったかもしれない。

一つ目の壊れないは精神的な部分が多かった。二つ目は肉体的に動きが生まれ、平気になっている。
しかし、身体の操作としては一つ目は骨盤を操作するという肉体的なもの。二つ目は体表面にあるはずがない「鱗」を感じてしまった事で生まれてきた働き。イメージの方が先行している。
肉体を使い精神が強くなり、精神が変わって肉体が変わるのはなんだか面白い。やはり、人間は肉体と精神の狭間で生きているのだ。

今日の教訓は満足してはいけない、という事。
入り口が変わる、とは生き方が変わる事。その瞬間、想像もしなかった人生が始まる。そんな大げさな、と思うかもしれない。いや、その気持ちはわかる。もともとの私は変化を嫌う側、安定こそ大好きな人間だったからよくわかる。

しかし、身体感覚の世界に入り込み、人生を変えながら生きる事の楽しさを知った。はじめは葛藤があったが、「身体は慣れる」のだ(笑)。ダイナミックに変化をしていく人生を楽しめるようにいつの間にかなっていた。

たくさんの入り口をすでに私たちは持っている。この身体のどの部分を主役にするのかで人生は変わる。間違いなく、絶対に。信じられない人生がまだまだ無限に隠れている。

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