「狙う」とはなにか

今日のテーマは「狙う」についてです。
普段、私たちは様々なものを見ています。ただ、この時、それほど狙わずとも情報を得られるようになってしまいました。
いつの間にか、「狙う」力を失えている、そんな経験をしたので、書き記しておきたいと思います。

前回、「スサノオごっこ」として自由を表現する動きを紹介しました。
胸椎を「狙う」事によって、胸椎の持つ、平面の移動の力を引き出しました。
「意識する」というのと、「狙う」というのは同じ事かもしれません。
ただ、この時、どれほど意識できているのか、というのが大切なのですが、それをなかなか意識する機会が減りました。

大切な手紙を書く時、一字一句、間違いのないように、意識をします。自然と紙と筆先を意識するでしょう。
しかし、今書いているnoteなどは、書き間違えたなら戻り、消し、改めて書き直せばそれで済みます。
間違いを意識する事なく、どんどんと自分の中にあるものを引き出していく事が出来ます。
様々な機械が私たちを助けてくれるようになりました。

狙わなくても、機械が圧倒的な働きによって成果を与えてくれるようになったのです。
大きな仕事をしていくならばそれでもいいでしょう。狙いは小さなものを見るよりも、その機械を使って、どんな未来を作りたいのか、と大きなものへと向かう事が出来ます。
ただ、この時だって、自分が狙えているかどうか、が分からなくてはいつか、迷い困ります。

最近のテーマは「古事記」です。
古事記が面白い!とツイートしたり、話したりしていますが、まぁ、なんというか、ふ~ん、という感じで反応が薄いです(笑)。
古事記に興味を持っている人も多いし、今、私が古事記面白い!と言っても、良かったな、で終わります。

でもそうじゃないんです!!
私がみた古事記の面白さは、そのまんま、身体の感覚と完全に結びついている事に驚いているのです。
身体感覚について、何も知らなかった私が一人稽古をする事で、自然と、いつの間にか、身体感覚を積み重ねられました。
多くの人は成果を求め、技を学び、テクニックを得ようとします。
私は成果ではなく、その時の「感じ」をひたすら求めました。
すると、そこには点があり、線に伸び、面が広がり、塊が現れ、粒粒になって散っていくような感覚が見つかりました。
私たちの身体は点であり、線であり、面であり、塊であり、粒粒なのです。

一つ一つを技化して、手順と共に伝える事は出来ます。それによって足が速くなる、とか成果だって得られます。
でも、そんな成果、この科学技術の時代にはあんまり必要でありません。
ではなぜ稽古をするのか?
それは稽古によって、私という存在が分かるからです。
私が持っているこの身体の事がわかれば、自然と生き方が変わります。ちゃんと使う事も出来るし、あえて壊す事も出来ます。わかっていればうまくやっても、壊しても、楽しく過ごせるようになるのです。

身体を観察した結果、色々な事がわかりました。
そして、古事記にはこの身体の感覚の広がりと同じものがあったのです。
心がどう生まれ、育っていくのか、それが古事記にはあるように感じました。

今日のテーマは「狙う」という事についてですが、今、新たに狙えるものが出来ました。
それは「細胞」です。

私たちの誰もが細胞を持っています。
そして、細胞という言葉を学び、それによって身体が出来ている、と知っています。疑う人はいないでしょう。
ただ、その細胞を顕微鏡で見る事はあっても、細胞一つを実感する事はあまりありません。
もしかしたら、自分に足りない栄養なんかを得た瞬間は細胞が喜んでいる!みたいに感じられる人もいるかもしれませんが、私にはそれ、ありませんでした(笑)。

細胞は持っていても、わからないものだったのです。
ただ、細胞を実感できなくても、骨や筋肉、皮膚などもわかっていなかったのです。まずはそちらから・・・と、稽古をしていたら、いつの間にか30年近く過ぎてしまいました(笑)。
それが先日、古事記をテーマに話をしながら稽古をしていて、ふと行った動きが、私に「これは細胞!」と思わせる事になったのです。

その動きはただ「叩く」だけ。
この時、面白いのは、その叩きが出た時、これは「祓い」だ、と直感したのです。
相手を叩いた時、それによって、相手から「なにか」が追い出されるようなのです。
私も何とか「祓われる側」を実感したくて、感覚を伝えて、叩かれてみました。

それは普通、それも普通、これは痛い、まだダメ・・・まぁ10分くらいでしょうか、そうそう、これこれ!と自分の中に「祓われる感覚」が生まれ、これは面白い!と興奮をしました。

気持ちの上では「祓う」ように。そして、それを身体感覚を主役にしたなら、どうやら、細胞をまっすぐ、針で突き刺すような感じがいいように思えました。

精神よりの稽古が好きな人、身体よりの稽古が好きな人、人には好みがあります。
ただ、心身一如です。何かを思う時、それは確実に、身体にも変化を表します。
祓う、という精神がちゃんと乗った時、身体へは細胞一つ程度の精度で触れ合うのではないか、と言えます。
もちろん、ここにはエビデンスはありません。
そもそも「祓い」にだって、科学的根拠はありません。そして、「細胞」を狙って触れていても、触れた瞬間、骨肉皮膚、そこにも衝突が生まれて身体は変化をします。細胞一個の接触で止める事なんてできません。

ただ、この時「狙い」は自分自身の中にあるはずです。
狙いなく、なんとなくやれたならそれはきっと、「才能ある」という言葉で表現されるでしょう。
ただ、なんとなくやれる事は、いつの間にかやれなくなるのです。
私には何かをやる才能が皆無でした(笑)。
だからこそ、身体感覚に興味を持てたので今は才能なくてよかった、と思っています。
何となく出来なかったから、術理を作り、全ての動きを言葉に表す稽古が出来たのです。

祓うという思いも、身体感覚としてそこに明確な区切りをつける事が出来ました。
これは逆に言えば、細胞レベルの意識で相手と向き合えば、その動きを通して、相手が「勝手に」祓われた、と思う事だってあるという事です。

言葉があるから狙う事が出来ます。
言葉は名前を生み出します。名前があるから狙う事が出来ます。
現代は多くの言葉を得られる時代です。せっかく得た言葉に力を与えるにはちゃんと狙う事が必要です。

こうして書いている記事も、これまではとにかく、自分の中に生まれたものを外へ!と思うだけでした。
しかし、今、「狙う」というものに身体感覚を得る事が出来ました。
これをきっと受け止めてくれる人がいるはず、と狙って言葉を生み出す事が出来そうです。

何となく生きる事も出来る時代ですが、狙いながら毎日を過ごす。この生き方も楽しそうです。
毎日をちゃんと望むものへと狙って過ごす。
一日24時間、365日、そして、それを死ぬまでずっと楽しくやる。
こんな生き方をしたなら、これまで何となく生きてきた人生をガラリと変える事があるでしょう。むしろ、変わらない方がおかしいはずです。

私は一人稽古をお勧めしています。
それは毎日の日常生活の観察です。
そしてそこには全く義務もノルマもありません。
ダラダラしたいなら、ダラダラして、それを観察します。
一応、そんな生活を30年近くしています(笑)。一度もこの一人稽古を疑ったり、後悔した事はありません。

ぜひ、勝手に、試してみてください。

【定期稽古】

5/9(木) 名古屋
5/11(土) 浜松
5/16(木) 瀬戸
5/17(金) 熱田
5/22(水) 大垣
5/25(土) 浜松
5/26(日) 名古屋
6/7(金) 一宮ヒーリング

【不定期稽古のご案内】

「甲野善紀先生の名古屋稽古」
日時:2024/5/10(金) PM6:00~PM8:30(最終退出9:00)
稽古場所:名古屋南生涯学習センター
会場住所:南区東又兵ヱ町5-1-10
アクセス:市バス「日本ガイシスポーツプラザ」下車北へ約500m
JR「笠寺」下車西へ約500m
参加費:8000円

「つくば稽古」
日時:2024/6/2(日)13:00-20:00
参加費:10000円(当日払い)
会場:つくばカピオ リフレッシュルーム
住所:茨城県つくば市竹園1-10-1 

「東京ロングヒーリング」
日時:2024/6/4(火)10:00-17:00
参加費:24,000円(当日払い) 最大人数6名
会場:大岡山西住区センター
住所:目黒区平町一丁目15番12号

「東京夜稽古」
日時:2024/6/4(火)18:00-21:00
会場:大岡山西住区センター
住所:目黒区平町一丁目15番12号
参加費:参加費10000円(当日払い)
同日10-17時にある「東京ロングヒーリング」に参加の方は5000円

共に詳細、申し込みはウェブサイトから。
http://www.karadalab.com/


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?