動いていないことに気づかなかった

今日は「転び」の話。瞬間的に手のひらを返せば体幹に動きが生まれる、と気づいたのでその話。

多くの人にとって、「転ぶ」というのはアクシデント。その転びをコントロールできれば、とずっと考えていた。
膝を抜いたり、あれこれ試してきたことはあって、それなりに成果もある。デモンストレーションなら喜ばれる。身体の不思議を伝えるのに「転ぶ」という現象をポジティブに伝えるのは大切なことだと思う。
しかし、なかなか転ぶのを日常的には使えない。私の転びには準備が必要だった。

日曜日、手のひらを返してみた。いろいろと試行錯誤をして試してみた事なのだが、その返した瞬間、体幹部が手のひらを返して生まれた隙間に吸い込まれるような動きを見つけた。

体幹部は重要だ。指先の動きは細やかだが、やっぱり大きな体幹を何とかしたい。体幹部をどう「動かすのか」、と考えるのだが、この時にも無意識に「身体はこう動く」みたいな設計図があるらしい。
その設計図が変わらなければ劇的な変身は遂げられない。

大きな体幹が吸い込まれる体験をした。その引き金になるのは手のひら返し。ここまではわかった。間違いないことだ。
これを手掛かりに新しい動きを模索していて気がついたことがある。
そもそも、この体幹を動かそうとはしていなかったな・・・、と。

普段、転ばない。だから体幹は落ち着き、ゆっくりと手足を使うことが出来る。こうしてキーボードをたたいているとき、体幹が転びまくったら文章など書けないだろう(笑)。機械を使う時代になり、転ぶ力はなくなったのかもしれない。

それが手のひら返しをすれば体幹に勢いが生まれる。足裏を返しているわけではないから転んでいる感覚はなかったけれども、手のひら返しも立派な転びのようだ。

手のひらを返した時、私の意識は別人になる。それまでの自分とは違う「場所」に出現している感じがする。その変化に思考はついていけず、戸惑い、立ち続けるという事ができなくなり、転んでいるのかな、と今は考えている。

手のひらを返すのは簡単だ。誰にでも、すぐにできる。しかし、嘘つき呼ばわりされてしまう手のひら返しは今、嫌われている。しかし、その能力も「持っている」のだ、と認めておくことは必要だ。
そして、それを認めていたからこそ、今回「転び」を見つけられた。転びによる勢いは本当に小さい。こんな動きが身体にあったとは信じられない。そして、身体がこんなにも動いていなかった事にも気づいていなかった。無い無い尽くしなのだから、仕方ありません(笑)。

伝える側になったので、転びも怖くない、とこれからはどんどん伝えていこうと思う。大丈夫、全然、怖くないです(笑)。

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