30年かかった後は3年で済む話 その2

身体は当たり前のもの

どれだけ身体を凄い凄い、と言葉にしても、無意識のレベルでは「当たり前」と思ってしまう。心は形がなく、見えないが、身体はここにあるのがわかるし、肉体として見えている。あまりにも身近であるがゆえに、凄さを忘れてしまう。

指先は小さい

胴体、体幹、背骨、丹田・・・、中心を作っているこれらは肉体の中でも大切にされる。代わりのないものだから、なのだろう。
しかし、指先は違う。もちろん、指先も大切には違いないが、もし何らかの事故にあったとしても、胴体を失えば死んでしまうが、指先なら不幸中の幸い、として心を落ち着かせることも出来る。

大きな力を出す、という点では指先は体幹に勝てない。背筋力は簡単に100キロの力を出すが、指先はそうはいかない。
力の大きさは目にも止まりやすい。価値を認めやすい。ただ、価値は他にもある。速さや細やかさ、たくさんの指はその力を持っている。

棒を奪い取る時の三つの回転

相手が取られまいとして警戒している棒を奪い取る時、この指先が持つ細やかさと速さがカギになる。
普通、奪い合いをすると二の腕に力を入れがち。肘の曲げ伸ばしによって出る力は強いが、使いやすい分、相手もにもその力を出される。そして、単純すぎる方向を持つ二の腕の力は綱引き状態を作り、予想通りの結果を生む。

この時向上心があれば、体幹の力をどれだけ使えるかを競ったりする。しっかりと立ち、お腹と背中の力をまとめ上げ、腕へと渡す。これなら腕とは比べ物にならない力が生まれる。
体幹を使え!というアドバイスはあちこちで聞くが、体幹は生まれ持った能力に近く、限界も感じてしまう。筋力的な大小の力はわかりやすく、情熱も傾けやすいが、衝突もしやすい。

スポーツのように試合日程を決められ、コンディションを整えやすいのであれば楽しめるが、武術的にはこれだけには頼れない。まぁそれでも、若いうちなら老いや疲れも感じにくいだろうし、なかなかこれを手放すのは難しいと思う。

私は老いと病気を自覚をした。もう、全身に力を入れる方法には頼れない。積極的に力を入れるのではなく、つながりとして持っている身体をいかに生かすか、それが今後頼るべきもの、そう思うようになった。

結果的に新しい棒を奪い取る技に気づいたのだから、幸運だ。

一つ目の回転

棒を奪い取る時、指先が大切になる。
指先は手指が10本、足指が10本。片手でヒョイとは取れないが、両手を使えば、この棒に柔軟で素早い動きを与えらえる事が分かってきた。

やり方は簡単。しかし、やろうとも思わなかったのだから見つからなかっただけ。持ち方は指先で「転がせるように」持つ。足も踏ん張らない。特によく言われる親指に体重をしっかりかけて立つ、というのは「やってはいけない」。

まず指が棒を転がす。棒を肘で引き寄せるのではなく、その場で転がす。相手の手の内で転がすようにする。肘で引けば肘で抵抗されるが、棒を転がせば握力でそれを止めるしかない。

100キロの握力を持つ人間もいるのだから全てに有効とは思わないが、私の求めているのは世界最強じゃない。たまたま出会った素人、それが子供であっても、その人が激高し暴れたとしても、まぁまぁ、となだめられる力が欲しい。だからこそ、強力な力任せで相手の武器を奪い取る、という事は出来ない。頭に「?」を浮かばせながら戦闘力を奪う。相手の気持ちを抑えるにはこの戦い方が必要。

棒を転がせば相手は少し困る。慣れてくれば、この時の「回し加減」が分かってくる。相手の無意識が気づく程度の回転を加えておくのがやりやすいとわかる。力を入れるか入れないか、頭に命令させるとギュッと握力も増すが、ちょっとした違和感程度だと身体は止まる。

二つ目の回転

次の動きもまた「回転」。次の動きは「風車」のように回してみる。この時の動きも指に任す。ただ、手を持ち替える必要があるので、その際に指先で回すようにする。

おそらく、演武が上手な人、バトンを回す人、スティックを回す人など、当たり前にやっている動きだと思う。特別なものではない。
ただ、その指の動きはそれぞれの技芸の中で身に着けたものであるから、指そのものの働きとしては自覚がないのだろう。相手が取られまい、としているものを取る時、つい、頭の常識が胴や肩、腕や手の力を使わせる。本当なら、十分普段の指の動きで取れるのに、知らないからこそ、それを選択する事が出来ない。

三つ目の回転

回転が三つ重なると対応が難しくなる。それぞれ一つの回転なら胴体の力もそれに合わせやすいし、元来持っている力が強ければ何とかなるかもしれない。しかし、変化の方向が三つになると、姿勢保持の問題が出てきて力任せの動きでは対応が難しくなる。

三つ目の回転は「足指」が決める。
とはいえ、足指がゴソゴソとするわけではない。もちろん、内観的には動いているものの、見た目はほとんど変わらない。ただ、足をちょっと動かすだけになる。

足の働きは二つで一つ。片足は支え、もう片足は移動する。そして、この両足の位置によって胴の向きは決められる。そして胴がどこにあるかで、腕の回転方向は決まってくる。
二つ目の回転の方向を決めるのが足指の仕事だ。

棒を転がし、棒そのものに動きを与えながら、風車的な動きを出す。すると、その動きに合わせて相手は対応する。何かに気を取られれば隙も出来る。相手の力の出しにくいところへと足指が動き、三つ目の回転を作る。こちらの力が強いから奪うのではなく、相手が持っていられないから結果的に奪い取る、それがこの方法。

棒から学ぶ事

どうしても文字にするとややこしい。棒を取る必要なんてない、と思う人ばかりだろうし、興味を持て、というのも無理な話だ。
しかし、私はこの術理と結果的に生まれた技によって頭の中の常識を変えられた。

どんな問題も軽く解決できる道がある、という事を身をもって知ったのだ。
棒を奪い取る、というのは30年もずっと求めていた事。手がかりも見つからず、あきらめていた事。しかし、その夢が3年前に叶った。
角度を合わせれば冷静さを保てて、動ける、それを知った。

それだけでも十分うれしい事ではあったのだが、稽古が進んだおかげで今回、指の働きを知る事になった。あれだけ苦労した事が指から見れば実に「軽い」事だったことがわかる。大変だ、と思っていたのは私の頭。固い頭がそれを現実だと思わせてきただけ。

この世をみれば、色んな人がいる事がわかる。私に出来ない事もひょいとやってしまう人が「たくさん」いる。
彼らは努力をしているわけではない。困ってもいない。出来ると思っているのか、出来ないという事を思わないのかわからないが、普通にそれをやってしまう。

それを性格とか才能だ、というのは簡単だが私には稽古があった。稽古によって身体感覚が変わると別人感がある。文字通り、「変身」するのだ。
変身によって「指の力」を自覚した。自分にもできる、それを一番最初に持っていられるようになれた、これは大きい。

「短めに」と言ったのに、だらだらと長くなって申し訳ない。
また違った角度で書いていきたいと思う。どんな言葉が重なっても伝えている技は同じ。身体も同じだ。気になるところだけを覚えておいて、実際の稽古で確かめてもらえればきっと、納得してもらえると思う。

【稽古予定】参加受付中
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7/17(土)川崎稽古会
8/21(土)つくば稽古会

7/14(水) 名古屋緑区
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7/16(金) 名古屋熱田区
7/21(水) 岐阜大垣 ←再開
7/23(金) 名古屋東山
7/24(土) 浜松 ←7月はこの日だけです。
7/25(日) 名古屋緑区

詳細はウェブサイトで。
カラダラボ ウェブサイト



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