【ヒーラー入門】奇跡を目指さない手当

日本に暮らす私たちは当たり前に日本語を使います。
そして、昔の人たちは教訓としてたくさんの教えを残してくれています。
その教えのおかげで平和で暮らしてこれた、とも言えます。

ただ、その残されてきている日本語に込められた思いは今、急速に失われている、そう感じています。

骨を支える技、これにより気づかされるのは「支える」という事。そして、それは同時に「支えられる」とは何かとわかります。
支える、という言葉自体を知らない人はいないでしょう。難しくも、新しくもない言葉、誰もが知って、使っている言葉です。
しかし、今、私たちは「支えられる」事なく暮らしているように感じていませんか?

実際にうまく支えられる事がないまま過ごしているので、支える手を伝えた時、ついつい、強く相手を「支えすぎてしまう」ようです。

【重力コントロール】

支える技を試してもらう時、私は相手に気づかれない程度の軽さで触れていきます。感度が鋭い人なら、触ってもいないじゃないか、と思うぐらいです。

この形を見て、真似をすると触れてはいけないのかな、と思う人もいるぐらいです。しかし、大丈夫、ちゃんとしっかり支えてあげたらいいのです。

ただ、その支える時、こちらの骨にまで力を入れるのはよくありません。そっと、相手の肌を感じ、摩擦力を維持したまま少しだけ、持ち上げるようにすれば、相手は重力の力が軽くなり、負担が減ります。
これが始まり。そして、試していく間に自然と上手になっていきます。

【共倒れ】

肌を手掛かりに重さを補助すると、支えているように見えません
もし、相手の中に「依存性」や「甘え体質」があるなら、こちらの支えに気づかれると、ぐっと相手の体重がこちらへと流れてきます。

するとどうなるか、当然、相手の体重までも、私の骨で支えなくてはなりません。これは大変です。
支える技は「相手の骨」を助け、支えるもの。あくまでも、相手の体重は相手の中に無くてはいけません。重い体重を私の骨で支えなくてはいけないとすると、それ相当な力が必要になります。

実際、圧し掛かられてしまえば、そのまま倒れてしまう事もあるでしょう。これを「共倒れ」と言います。

では、相手に甘え癖がある場合はダメなのか。私はこう考えます。
相手は甘え、依存してくる。自らが立つ事を諦めている場合です。その時にもこちらは支えればいいのです。ただ、支えるとは何か、とわかっていなくてはいけません。
当たり前ですが、両足に力が入れ、立つを放棄すれば当然、倒れます。

実は「倒れてもいい」のです。

倒れてしまったとしても、そこに重力はかかり続けます
寝ているだけ、という状態になっても、現代人は力を抜けなくなりました
無意識のレベルで腰や肩、あちこちに力をいれてしまっているのです。

この時にもそっと手を差し伸べ、骨格の支えとなります。すると、また、相手の身体にあっと余分な力が抜けてくるのです。

寝ていたい、倒れていたいのならそのままにしておこう。その程度のサポートが私の伝えたいものです。
上手な人は立ち上がらせるコツを知っています。うまく導けば立ちあがらせる事も出来るでしょう。
しかし、立たせてもらった、という思いは消えません。心の依存は強くなります。立つ事が出来なくたって、気分だけは変えられる、それを求めています。

病気になり、死ぬ。
どれだけ嫌がっても人は死にます。どうあがいてももう立てない時だってあるはず。
その時にも支える事はできるのだ、と身体は教えてくれます。
支え、余裕が出来れば自然とまた行動が生まれます。そのサポートは無意識レベル。無意識のサポートを身体は得意とします

寝ている時に支える手を使えば、もうまさに「手当」でしかありません。手当によって奇跡を求める気持ちは有っても、実際に奇跡がやってくる人はほとんどいません。奇跡なのですからほぼゼロです(笑)。

ただ、重力は「いつも」そこにあります。その重力に身体は日々、影響を受けます。その影響を手当てによって支える。すると、身体は楽になる。重力を扱う事によって生まれる楽は「間違いのない事」、奇跡ではありません(笑)。

そもそもが、身体を得て、ココにいる。これこそが奇跡なのではないでしょうか。病気が治る、治らない、そうではなく、今、愉快、ちょっと楽、そして不思議、それがわかれば楽しく過ごす力を得られます。
そんな力を持つヒーラーになら、すぐに誰でも、なる事ができます

【いよいよ初ヒーラー入門】


東京目黒 2/2(日) PM1:00~PM4:00
7時までおさらい稽古もできますので、思う存分、試し、確かめ、お過ごしください。
http://www.karadalab.com/healing

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