人は指先から動くのかもしれない

とにかくここでは気づいたことを言葉に残していきたいと思う。正しい、正しくないは二の次。思い付いて、試してそこからまた何かを得ていくのが私の一人稽古。
今日は「指先」の話。これまでも指先にはいくつも気付きがあり、すごいものだとは自覚しているつもり。しかし、いつもその自覚を大きく越えさせてくれる。今日の閃きもそれになるかもしれない。

・すごいよりもすごいもの
指先には「爪」がある。爪を意識して技を行えばどれだけ押さえられていても穴をあけ、相手を切り刻み、隙をつくことができる。こんなにすごい爪なのに皆筋トレばかり。私は筋トレは勧めないがその理由のひとつにこの爪の威力がある。筋トレをしなくても爪によって結果が得られたりするからだ。
ただ「爪をすごい」と言い切ってしまうと「その次のすごい」が見えなくなってくる。爪は「すごいが当たり前なもの」なのだ。

・ふと気づいたこと
昨日だったか、ふと思うことがあった。何をしているときかは忘れたが日常生活のなかでのこと。何をするにも「指先が力む」ということ。
それに気づいて改めて観察してみるとやはり、いつも指先には力が入っている。そして、何より、腕や体幹といった大きな筋肉を持つ部分よりもずいぶんと先に指先には力みが生まれていることに気づいた。

・角度の感覚と組み合わせてみる
今の稽古の手がかりは角度だ。相手が武器を持っているのならその武器に合わせて両足指を揃える。すると両手が同時にその武器に届き、動かせる。この仕組みに気がついて武器を取り上げることが楽になった。
そして相手が素手で来るのならその腕に揃わせる。武器のように固くなく、関節のある腕だから当然、揃わせにくいがまぁ、これも時間の問題。理屈がわかり、揃わせることを目的にしていけばだんだん上手になっていく。
腕に揃うのだから考え方としては指先にだって揃ってもいいだろう。ただ眺めてぼーっとするのではなく、どの瞬間にもその指先と自分が揃うように意識をすれば動きが変わってもおかしくない。

・体幹は見ない、捨てる
戦うとき、ついつい、相手の大きな身体が目に入る。無意識に正中線や丹田、背骨や体幹を見てしまう。大きく迫力があるのだから仕方がない。素手の戦いならば体幹を見てもなんとかなるかもしれない。しかし、武器を持たれたらそれでは間に合わない。おそらく、上手に武器を扱い、戦っている人は無意識のうちに体幹に目を奪われず、対応しているのだと思う。
そしてそれは日常生活ではごく当たり前に行われている。なにかを受けとるとき、相手を見ることなく乱暴に受けとれば印象は悪くなるだろう。丁寧にありがとう、両手を使って受け止めれば「気持ち」が伝わる。そのレベルが人によって違うが、指先の細かな動きにまで対応できる人ならばきっと、一目おかれていくはずだ。
あえて戦いの場面で指先を気にしてみることで日頃の姿勢を反省できる。日常生活にフィードバックできて始めてこの時代に武術を求める意味が出てくる。

・身体に従うとは閃きに従うということ
身体の声を聞け、とはよく聞く言葉だが、聞いただけでは足らない。聞いたあと、どう行動するかが大切だ。
病気になれば聞きたくない声だって聞こえるだろう。身体の声を聞くのは難しくない。しかし、聞いたあと、自分の生活をその声に合わせて変えていくのは難しい。何度も失敗しながらでも、それをやめなければ徐々に身体の声から気づかされることが増えてくる。大きなメリットが得られることがわかるとどんどん従えるようになっていく。これも、慣れだ。
閃きは小さい。雷に打たれるような奇跡も閃きだろうが、私の平凡な日常では雷は現れない(笑)。しかし、それでも小さくい毎日、閃いている。たぶん、そのほとんどが役立たず、勘違いになる。しかし、だんだんと「閃きに乗れる」ようになっている気がする。これも閃きだ(笑)。

そうだ、と思い込むとそうなる。人間の心はそんなものだ。その「そうだ」を現実に変えるが身体だ。指先から動いている、という閃きもそれ自体を使う機会は少ないかもしれないが、心と身体の繋がりと働きを学ぶのにはいい。これでまた、身体に従えられるようになる。

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