2019年の術理 12月
いよいよこのまとめも12月にまでやってきました。
改めて、この1年間がどれほど変化の大きな年だったのかを感じます。
一つ一つの術理は身体のそれぞれが持つ特色です。その全てが調和して私たち人間は生きている、そう感じています。
時々、驚きに出会い、不安を作って、心と身体が止まったりします。しかし、そのブレーキも、学びには必要なものかもしれません。
ブレーキによって、考えを集中し、身体の中に更なる特色を見出せるからです。
【許し】
武術は常に「敵」とのコミュニケーションです。命を奪ってくる相手にどう向き合うのか、それを問われます。
もし、わかりやすい力があれば簡単ですが、それでは稽古になりません。余裕があってはダメなのです。常に、ギリギリ、もしくはこちらが圧倒的な不利な状況での振る舞いを問われます。
稽古をし始めた時にはまるで答えを持てなかったわけですが、不安に負けず、恐怖にあきらめず、じっくり深く、身体を観察していくと、まだまだ動ける部分が見つかってきます。
身体感覚の世界を知って25年、一度も止まることなく、次々に身体の可能性が広がるのを経験しました。もう、私は身体の可能性を疑う事ができません。
「許し」という言葉はよく使われます。しかし、それが口先だけなのか、本心からなのかではまるで違います。
私はこれまで安易に言葉で心をなだめる事をしてきませんでした。いくら言葉にしても、身体が緊張したままでは死んでしまう、それが武術です。
武術クオリティです(笑)。
脊髄に気づき、脊椎でそれを感じた時、意識は脳から下へと降りていきます。この時、腰、仙骨にまでたどり着かないように気をつけます。反射的に力を入れず、胸椎を感じ続けます。
その胸椎の一つ一つに左右の回転をかけていくと、腰にまで降りた時、相手からの攻撃を冷静に受け止めていられる、そう感じました。
下記のように一つの稽古録としてまとめてありますので、興味があればご覧ください。
「許しの感覚」
【松果体】
許しによって相手と向き合う以前の私の状態をコントロールできる可能性を得ました。最初の一歩を得たのです。
そして、その状態は「おばけ」のように足を持ちません。地面に足を強く感じてしまうと、反射的な力が働いてしまうのです。
この「反射」の状態ですが、世の中はほぼ、この状態です。自分で考えたと思っている事も、反射的に好き嫌いを決められてしまっています。
しかし、胸椎の意識と操作で、好き嫌い以前に動ける世界がある、とわかりました。
一度、そんな世界があるとわかれば、次にやる事は探検です(笑)。これまでずっと、そうしてきました。
身体の探検によって、たくさんの可能性を見つけてきましたが、それらは好き嫌い以後の世界。その世界も無限に思えるものでしたが、その前というか、裏側にもあっただなんて!
脊髄、胸椎の前に存在しているもの。それは脳です。物理的な状態として考えれば疑いのないものです。
そして、この脳をどう探るかなのですが、脳を研究しだすと、そこに複雑な働きが見つかります。しかし、それを行ってどうなるかというと、脳は複雑、不思議である、という結論にしか行けません。コントロールなんてできない、とあきらめる人が続出します。
しかし、考え方を身体に任せれば答えは簡単。これまでと同じです。
私たちの身体は「存在している」もの。存在しているから重力の影響を受け、倒れる運命にあるのです。
その転倒をネガティブに捉えるのではなく、移動のために使う。それが人間には可能です。
脳のバランスをいかにとるか。
働きの問題ではありません。右脳、左脳に電極をつけて観察をしてはダメなのです。脳そのものを倒さないように、動かなさないようにする。こんな単純な事で全く新しい世界が広がります。
この時、「松果体」という部分を意識し、それだけに集中するのです。
松果体は脳の中心に存在する器官です。大きさは1センチ弱。中心にある丸いもの。バランスをとるのにこれほど最適なものはありません。
働きとしてはメラトニンというホルモンを分泌するとのことですが、このホルモン、若返りの効果があるそうです。
大きく思い頭がバランスを取り過ごせれば、気持ちも身体も楽に毎日を過ごせるのは道理です。
「結果として」若さを保ち、歳を重ねられる、そう考えています。
【超猫背】
脊髄までを私、と考えれば、そこに至るまでに「許し」を得る事ができます。腰、腕脚、手足、指。私である大部分を手放す事で心に緊張を作らなくてもすむ、そんな事がわかりました。
少し激しい運動をする機会があり、普段運動をしない私は自分の心臓の衰えに驚かされました。想像以上に心臓は弱っていたのです(笑)。
この心臓を鍛えよう、という発想は普通です。ランニングをしたり、やれる事はたくさんあります。そして、その効果は約束をされたものです。
ただ、私はその反対に進みます(笑)。鍛えずに幸せになる方法はないだろうか、と。
理由はこうです。
鍛えられるうちは幸せでいられます。しかし、その鍛えること自体を私は贅沢な事、と考えています。今、鍛えておけば貯金のように力を蓄えられるかもしれません。しかし、それでは、死に向かい、自覚が強くなっていけばいくほど、不安が大きくなっていきます。
死と向き合う最期の最期にまで楽しさを持って生きていたい。それを考えています。
頑張らない努力しないというのは私の性格と弱さではありますが、それにより、身体の持つ可能性を広げる事ができました。こんな生き方もありです。
さて、努力をしないでどう過ごすか。心臓が苦しい時、どうすればいいのか。あれこれ考えますが、この時、「身体」が手掛かりになります。
脊髄よりももっと前でいられないだろうか、そんな事を考えます。松果体を見つけ、全体のバランスをとれば楽だとはわかっています。しかし、もっと楽はないのか、と探り続けます。
ふと、頭を落としてみたらどうか、と考えました。
固定観念が思考を狭めてきます。しかし、なかなかそれは取れません。
まっすぐ立つ事、胸を張る事。出来るならばそれを求める人の方が多いでしょう。しかし、それをやめてみたらどうでしょう。
まっすぐ立たない、と決めて思ってみても、身体に力が勝手に入り、抜けないのです。
脊髄と松果体の二つに気づき、首の骨、筋肉の力が抜けるようになりました。首が折れたように、カクン、と頭を落とすのです。するとどうでしょう。身体がなくなったかのように、軽くなります。いや、まるで、頭から下がなくなり、気になりません。
しかし、この姿勢は凄い(笑)。昔見かけたおじいさん、おばあさんのようです。
生活が大変で苦しかった時代であれば、自然とこの姿勢にたどり着くのかもしれません。これほど胴体を忘れなくては生きていけなかったのかも、と思わせてくれます。
しかし、現代は「楽」になりました。どれだけ苦しくても、最低限の生活が保障されます。すると、身体はまっすぐになってしまうのです。
身体が真っすぐになれば前もむけ、心は進みだしますが、身体には負担も生まれます。このギャップはどうしようもないもの、そう感じた人の苦しさはとんでもないものでしょう。
しかし、ちゃんとこの先にも楽しさ、軽やかさを身体は残してくれていたのだなぁ、と感じます。
カッコ悪さは時代が作るもの。それはまぁ、仕方ありません。周りではなく、自分だけを見なくてはいけないレベルになった時、やれる事を持っている、これが安心につながります。
頭を落とす。頭の中の液体を首にある穴からこぼさないように傾ける。天と地が逆さになったかのように過ごす。こんな変な構えですが、これも、可能性の一つとして、武器になりました。
【正しさの発見】
甲野先生は「正しさ」に厳しい人です。身体感覚の世界を知り、私もそうだ、と思うようになりました。
言葉を使い、導けるのは頭です。最短距離を示してもそれに合う身体をもっているかが大切です。結果だけを先に手に入れても、全身で感じる喜びは得られません。自然と、私に「正しさ」はなくなりました。
正しさはなくても、身体に任せると技になります。技を受け、それを求める人はその技のコツを求めてくれます。コツを求める時、教えを受けるのですから、当然、「正しさ」も欲しいはず。しかし、私はいつも、これが「最善」であり、「正しいかはわからない」と伝えます。
こんな伝え方でよく、仕事になっているものだ、と呆れます(笑)。
しかし、やっと私にも「正しさ」が生まれてきました。
正しい、と感じられる時、それは私の身体に迷いのない時だったのです。
私の身体がねじれない時、心にはこれでいい、という気持ちが生まれます。今、私はこう「決めている」と思えます。
伝える瞬間、迷いを手放し、今自分がまさに、これを信じられている、その姿勢が作れるとわかりました。
具体的には「水平と垂直」を身体に生みます。
特に、骨盤と左の体側の線を意識をする事で、攻撃を受けても、身体を捻じらずにいられます。
身体がねじれない、身体を捻じらないというのは甲野先生に出会った25年前、「井桁術理」として教わった事でした。
教わっていたとしても、捻じれているかどうか、実感をするまでにこんなにも時間がかかってしまったのです。難しいわけではありません。ただ、気づけない、気づくチャンスに恵まれなかったという事です。
しかし、やっと、自分の中に信じる力を生み出す事が出来るようになりました。水平と垂直を作り、身体を捻じらないでいられれば良かったのです。この気づきによって、2020年、私にやっとすべきことが見つかりました。
【東京、つくばの稽古テーマを「ヒーラー入門」に決めました】
東京目黒 2020/2/2(日) PM1:00~PM4:00
つくば 2020/4/12(日)PM1:00~PM4:00
「ヒーラー入門」
武術の技を40年ほど探ってきました。
身体感覚が磨かれるたびに、
年齢に逆行して身体がどんどんと軽く、
楽になります。
そして、その楽さは一人で感じるものではなく、
誰に抑えられても動いていられる、
という常識では考えられない働きです。
昨年、鱗、小魚の群れをお伝えしましたが、
これらの術理を「人の役に立てられる技」としてまとめ、
お伝えをします。
もちろん、その根幹は武の技ですから、
自分の中に動く能力を求めている人にもおすすめです。
自分が動けるとわかるからこそ、
人にそのリラックスを渡せるのです。
先にヒーラーとなる、と考える事で、
「自分にはできない」という疑いから離れられて一石二鳥、
そう考えています(笑)。
気楽に、ご参加ください。
http://www.karadalab.com/sch
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