恐怖の正体 その1

3月半ばにめまいを起こした後、パソコンを見続けるのが難しくなった。モニターを前にしていると、頭が痛くなっていく。まぁ、日にち薬が効くだろうと、のんびり待っていたが、やっとそれも収まってきたみたい。
少し間が空いたが、その分、得たものも多い。今日からまた、この一月の間に気づいた事を書いていきたい。

ちょうど、今月の22日には川崎での稽古もあるので、そこに参加してくれる人たちの目安にもなればいいなぁ、と思う。

「めまい」から踏み入った新しい身体感覚世界だが、めまいが始まったところから、技へと変わっていく過程などの観察は甲野先生のメルマガに稽古録として掲載していただく予定なので、そちらも参考にして欲しい。

今日からお伝えする事は次々と広がって、変わっていった身体感覚を一通り言葉にしていきたい。とにかく大激変。とても一日では伝えきれない。

とにかくそれまで大きな胴体に頼り生きていたのが、突然、めまいが起こり、目を主役にした身体に変わった。文字通り、ぐるぐると目が回り、立ってもいられないし、横になっても目が回る。
目が動けば世界はまわるのか、と経験してしまった。胴体への信頼は完全に失われてしまった

一体、どれだけの時間を胴体に費やした事だろう。体幹トレーニングは相変わらず人気だし、丹田や正中線は当たり前のように大切といわれる。大切なのは間違いないが、そこにこだわりすぎ、任せてしまうと、ちょっと目を回してしまった時、拠り所を失ってしまう。それを経験してしまった。

細かな感覚についてはまた明日、次回に書くとして伝えたい事は、「恐怖の正体」
恐怖という感情がどういうものなのかが分かった。具体的な技を求めがちだし、伝えるのも簡単。大勢に対して一気に指導ができる。個人個人の感情に付き合っていたら組織は成り立たない

しかし、どんな技も、感情がその土台にある。同じように技を学んだのに、結果が違うのは、それぞれの持つ感情が動きを縛ったりしているから。
ポジティブに生きよう、とはよく言われるが、わかっていても困るのが感情だ。臆病な私はずっと、感情に苦しめられてきた。

これまでも身体感覚は感情とつながっている、とはわかっていた。
しかし、ここまで、感情を身体が結びついていたとは・・・。

世の中が平和になって目に見える争いが消えてしまった。普段、日常で恐怖と身近にいる人は少なくなってしまった。それは先人が命を大切にしてきた大きな成果なのだが、だからと言って、恐怖がなくなってしまったわけではない。恐怖への対処の仕方を知らなければ、たった一度の失敗が大きなトラウマになり、人生が逆転してしまうかもしれない。

恐怖の正体は簡単だった。頭と胴体の関係だったのだ。
最初の一歩を得てしまえば、後はそれを手掛かりにレベルを上げていけばいい。

次回は頭と胴体の関係を書きます。

【稽古予定】
5/22(土)神奈川川崎稽古
5/29(土)甲野善紀浜松稽古

その他、定期稽古、ヒーリング稽古など、詳細はウェブサイトで。
カラダラボ ウェブサイト

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