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施術家はカリスマじゃないとダメですか?第二話

「ありがとうございました。失礼します。」

パタン。
静かにドアを閉めた手が汗ばんでいる。

6月。
外は雨。
院内は温湿度管理がしっかりされているので、
暑くも寒くも無い。
まして湿気も少ないはず。

なのになぜだろう。
体中が汗ばんでいる。

吸い込む空気がひんやりしていて
胸が痛い。

「鍼灸院を閉めます。」

突然の解雇通告の後に開かれた個人面談。

15分ほどの事務的な説明。

ただ、ただ
「はい。」と繰り返すだけの私。

思い返せば、大先生と二人きりで面談なんて、採用面談以来だ。

今日は冷えている私も、あの時は熱かった。

大先生の考え方の素晴らしさを語り、
不妊治療に取り組みたいという意欲を押し出し、
この場所こそ、私が施術家として人生を燃やせる場所だ。

そう熱弁した。

大先生はにこにこ笑顔で聞いてくれていた。

今日、改めて面と向かった大先生。
58歳。
白髪交じりの坊主頭に、がっしりとした体格。
かもしだすオーラだけで私は萎縮してしまう。

「猿山のボス猿と小猿だな。」
つぶやいて、笑ってしまう。

これが本当のマウントだ。
ボス猿にマウント取られた状態で、
小猿ごときに何が出来るだろう。

面談中。
うつむきながら、私はずっと大先生の手を見ていた。

見た目は’いかつい’おじさんだけど、
手は本当にキレイ。

包み込んでくれるような大きさと、
手入れされた爪。

沢山の患者様の肌を読み取ってきた手先に、
大先生の施術家の姿勢が見えてくるようだった。

「何か質問はありますか?」

お腹に響くような低音ボイス。
大先生からの問いかけに、
うつむいていてはいけないと、
顔をあげて、大先生の目を見た。

いつもニコニコしていて、
開いているか閉じているか分からない瞼が、
今日はがっつり開いていた。

中には少し曇りはあるが、ギラリと光る眼光があった。

一度見たら、目をそらした瞬間ヤラレル。
そんな本能から来る恐怖心が湧き上がってくるような眼光だった。

どばっと手汗が出る。
目が離せない。
息が上手く出来ない。

「特にありません。」

やっと面談が終わり部屋を出た瞬間感じたのは、
怒りよりも
安堵だった。

私はこの眼光を知っている。

私は彼のメガネの奥にある優しい瞳が好きだった。
いつも聞き役に徹して、
決めつけず、
否定せず。

スマホではなく、ちゃんと私を見てくれている。

メガネが邪魔だなとは思うことはあったけど、
メガネの奥では、彼の優しい瞳がいつも私に寄り添ってくれている。

そう信じていた。

3年前。
鍼灸師の資格を取り、施術家としてやっと社会人になれると決まった春。

2年間付き合った彼、悟から突然別れようと言われた。

「学生時代から付き合いのある人が、関西で院を持つんだ。
僕に院長をしてほしいと言ってくれていて。
楓はこっちで就職が決まっているし、
お互いの夢の為に、僕らは別れる時だと思うんだ。」

正直、
’話がある。’
と言われたとき、結婚かなと思った。

まだ早いよと言うべきか、
分かった!悟となら!と言うべきか。

その2択しか答えを用意していなかった私は、
硬直してしまった。

「突然すぎて、どう答えて良いか分からないから時間をくれない?」
精一杯、出した日本語。

その時、
私が好きだったメガネの奥の優しい瞳から
鋭い眼光が放たれた。

「楓。時間は有限なんだ。
もう答えは決まっているのに、時間をかけるなんてムダだよ。」

悟はその後も何かを話していた。
だけど私にはもう届かなかった。

残ったのは
悟の鋭い眼光と、
’もう答えは決まっているのに時間をかけるなんてムダだ’
というフレーズだけ。

「そうか。大先生のあの目を見て、私、もうムダだって諦めちゃったんだ。」

廊下で一人つぶやいた。

悟とは鍼灸専門学校で出会った。
社会人を経験してから入学した彼は、年上で、包容力もあり、甘えられる存在だった。
皆からも兄貴分のように慕われていた。
でも謙虚さもある人柄が好きだった。

楽しいことや、嬉しいことが沢山あったはずなのに、
別れて3年経った今では、
あの言葉だけが呪いのように私に刻まれている。

「あのメガネ、トラウマだけ残しやがって。」

トイレで勢いよく水を出しながら吐いた捨て台詞。

毒は吐き出すのが一番だ。
そして流してしまおう。

遅い休憩時間。
スタッフルームに入ると、受付の山之上さんと西田さんがおしゃべりに花を咲かせていた。

60代の山之上さんは、確かこの院がオープンした15年ほど前から務めているベテランさん。
50代の西田さんも、確か7年目になる。

二人は笑顔でお菓子タイム。

なぜこんなに笑顔で現実が受け止められるのか。

でも、二人のいつも通りに心が救われる。

「やだ楓先生!顔色悪いわよ!大丈夫?」

山之上さんが少し枯れた声で心配してくれる。

「そりゃそうよ。突然院を閉めるなんて。
大先生、前もって相談の1つでもしてくれたらいいのに。」

西田さんが私の背中を撫でながら、よく通るキレイな声で山之上さんに同意を求める。

「確かにねぇ。
でも五条先生が辞めて、ご自分の息子さんも今年国試だめだったそうなのよ。
大先生も次世代育成に疲れちゃったのかなぁ。」

頬杖つきながら、言い終えると山之上さんはチョコを口に入れた。
そして、私にもチョコを食べるように勧めてきた。

「あらやだ。大先生の息子さん、鍼灸師のお勉強されてたんでしょ?でも、父のようにはなれないって拗ねちゃったって奥さん言ってたから。
子育てってどこも大変ね-。」

そう話す西田さんの手はまだ私の背中を撫でてくれている。

この鍼灸院は受付の女性たちのお人柄が好きという患者様が多い。
山之上さん、西田さん。
ここにはいない、川下さん。
50才以上の既婚女性たち。
人生の粋も甘いも知っている。

悟りでも開いてるのか?と思わせるほど、とにかく優しい。
私なんかより、ずっと患者様の心をほぐすのが上手い。

私はスタッフルームの椅子に腰掛けた。

食欲はないが、お弁当を広げる。

この仕事は体力勝負。
しっかり食べて、気持ちを切り替えねば。

私の状況なんて、患者様には関係ない。

「楓先生も無理しないようにね。突然のことでビックリしたと思うけど、鍼灸整骨院は他にも沢山あるし、先生が好きって患者様も多いんだから!」

山之上さんが、
飴を私の白衣のポケットに突っ込みながら声をかけてくれる。

「そうよ!楓先生若いし、可愛いし、努力家だもんね!
あっ、でも覚えておいて!
大切なのは、どこで働くかじゃなくて
誰と働くかよ!!」

西田さんが、どや顔で言い終えると、山之上さんが、
「その通り!」とたたみかける。

二人が去ったスタッフルームは静寂に包まれている。

院内のリラクゼーションミュージックが響き渡っている。

「このままだと、3ヶ月後には無職か。」

改めて声に出すと、現実味を帯びてきた。
親にはなんて言おう。

私の家は4人家族だ。

公務員で口数の少ない父。
スーパーのパートをしている、話好きな母。
不動産の営業で社会人1年目の弟。

弟は大学進学と同時に家を出ている。
最近は彼女と同棲を始めたそうだ。
4つ下の弟は、コミュニケーション能力が高く、営業向き。
天職だと思う。

母がこの前言っていた。
’子育てもやっと一息ついたわ。
楓もそろそろ一人暮らししてもいいのよ。’

私は良い家庭で育てられたと感謝している。
父と母がケンカしている姿は見たことがない。
私たち姉弟はやりたいことをやらせてもらった。

でも。
それでも。

六年間の学費は奨学金を使っている。
社会人になってから、雀の涙ほどでも生活費を入れている。

私だって、そろそろ一人暮らしでもしたいと思っていた。

ちょっと待て。
待て待て待て。

給与は奨学金の返済と、生活費と勉強会への参加費や交通費で消えている。

貯蓄なんて、全然だ。

突然大先生との面談で言われた言葉が頭に蘇る。

「担当する患者様には2ヶ月前から説明をしていってください。
もし先生が開業されるなら、今担当している患者様を
そのまま新しい院で施術してもらうのはOKです。
どうしても引き続き施術が難しい場合は、僕の知り合いの先生にお願いするので、患者様の情報を共有してくださいね。」

開業して、患者様を引き続き施術させて頂ける。
ありがたい。
ありがたいけど、

開業?

貯えもない。
技術に自信もない。
あと3ヶ月しかない。

そんな私が開業?

出来たとしても、新規のお客様はどうする。
既存のお客様だけだと、経営素人の私だって大赤字だって分かる。

この院の新規の患者様は、大先生と提携している婦人科クリニックからのご紹介が9割。

クリニックからのご紹介もない。
そんな医師とのコネクションもない小猿の私に、どうしろと。

だんだん腹が立ってきた。

腹立たしいのは相談してくれなかった大先生に対してではない。

腹立たしいのは勝手に別れを決めつけた悟に対してではない。

腹立たしいのは甘い環境で育ててくれた両親に対してではない。

新しく挑戦することに二の足をふんでいる自分自身にだ。
担当している患者様に、ご懐妊してもらうまでしっかり寄り添えないかもしれないこの現実にだ。

見通しの甘さに嫌気がさす。

私は何を頑張っていたんだろう。
私は何を目指していたんだろう。

最後の患者様は19:00~の長谷川様。
まだ2時間ある。

私は空いている個室を使って、自分自身に鍼と灸をする。

病は気から。
気は病から。

こんなに感情が揺さぶられたら、身体も悪くなる。

悪くなってる場合じゃない。

お腹に乗せたお灸が温かい。

背中を撫でてくれていた西田さんの手の温かさを思い出す。

’大切なのはどこで働くかじゃなくて、誰と働くか’

私はこの院が好きだったんだな。

五条先生も、受付の皆さんも、他の先生たちも、もちろん大先生も。
なによりも私たちに身体を預けてくださる患者様たちも。

好きな人に囲まれていたんだ。

長谷川様にも感謝して、しっかり施術させてもらおう。

大丈夫。大丈夫。平常心。

いつもは気持ち良い鍼の響きが、今日は鋭くジンジンした。

涙が出たのは、施術で身体も心もほぐれたせいにしておこう。

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