観劇記録(02)『母と暮せば』

観劇日:2024/8
会場:紀伊國屋サザンシアター(東京・新宿)
紀伊國屋HP:https://store.kinokuniya.co.jp/event/1713158000/

*ネタバレを含みますのでご注意ください

原爆投下から3年後の長崎の話だが決して陰気くさくなく、随所に出てくる母と息子の軽妙なやりとりが微笑ましい。誤解を恐れず言うと「ハートフルコメディ」だと思った。

井上ひさし原案、こまつ座公演。2018年、2021年に続き再々演。富田靖子さんと松下洸平さんの二人芝居。大阪→沖縄→東京で公演。新宿の紀伊国屋サザンシアター400席超の17回公演、完売した様子。

原爆投下後帰ってこない医学生の息子(松下洸平)のために、陰膳を供えた写真に向かって母(富田靖子)が語りかけるところから幕が上がる。そこへ突然姿を現した息子に戦きつつ懐古談に花を咲かせるが、どうやら既に幽明境を異にしていると分かる。亡霊だった。

3年ぶりに息子の姿を見た母は辛気くさい涙を流すでもなく、クスッとくる可笑しい会話が温かい。交際中の彼女をかつて2階へ招いて二人きりで過ごした息子を、懐かしみつつ茶化す。原爆を扱った作品ゆえ身構えていただけに、そんな砕けた雰囲気が良い意味で予想外だった。

水浅葱色の着物に承和色そがいろの細帯を締めて前掛けを垂らした母は、白髪が交じって苦労が感じられる。それでも枯淡の美しさが滲んで見えるのは、富田靖子さんならではだろう。劇中で息子も「美人」と言うし、上海帰りの伯父さんから言い寄られるほど。

この母は夫亡き後も助産師として身を立てていて、誇りを持って産褥の現場に臨んで来たが、この1年ほどは職を離れている。何があったのか、息子が問い詰める。

その理由を一気呵成に語り尽くすのでなく話題があっちに行ったりこっちに来たり、どことなく核心を避けながら話す母に息子は翻弄されながら、その過程で母の握ったおにぎりと味噌汁を味わって感激する。息子「この味噌汁が死ぬほど飲みたかった」に対して母「もう死んでるでしょ」とブラックユーモアを織り交ぜるあたりの小気味よさに、肩肘張らないセンスのよさを感じる。それでいて、こういう何気ないシーンの積み重ねがボディブローのように涙腺を刺激してくる。このへんから客席のあちこちで鼻をすする音が谺しはじめる。

舞台のセットや小物に目を転じると、土間には生活感を漂わせる小道具が配されていて面白い。底が黒く煤けたやかん、包丁は出刃と菜切の2種類。すり鉢もあれば蘇芳色のおしゃれな茶筒も。手抜きがない。

母が助産師業から身を引いた理由が少しずつ明らかになる。ひとつには、被爆妊婦と新生児を被験者・標本として扱う米進駐軍への憤り、ひとつには自身も被爆者として紫の斑点が身体に現れ始め妊婦から敬遠されるようになったこと。近づく死への諦め。このあたりは被爆地の酷さを物語る。

それでも息子は、助産師業に復するよう母を諭す。命の誕生の神秘は母の姿から学んだ、だからこそ自身も医者を目指し大学に入ったのだと。

息子だけでなく近親者を多く亡くした孤独な母はなおも後ろ向きだが、みんな母の傍で見守っているよ、と励ます。その刹那、息子の亡霊は見えなくなってしまったが、母の表情はどこか晴れやか。そして助産師の七つ道具を引っ張り出してきたところで幕。前向きでいい後味のエンディングだった。

万雷の拍手。充実した90分。カーテンコールは4回あったが、途中からスタンディングオベーション。

富田靖子さんはさすがだった。あの特徴的な人懐っこい笑顔もさることながら、潤んだ瞳、鼻翼を伝うわずかな涙。息子の幼き日と成長の思い出が走馬灯のように映し出された夢を見た話は非常に長いセリフだったが、滔々と難なくこなしていて、プロの技に圧倒された。

戦禍の中で行方知れずになった息子の帰りを待つ母というと、どうしても二葉百合子さん「岩壁の母」を思い起こす。御大に代わって近年歌い継いでいる坂本冬美さんは、歌声もさることながらセリフ部分の重苦しい切々とした声が圧巻。一方、富田靖子さんは声が若々しくて綺麗すぎる気もしたが、推定40代中頃の「美人」という設定を併せ考えるとそれも一興だろうか。

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