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取りに行かない時代

SkypeやらDiscordやらTwitterやらインターネット時代のコミュニケーションツールはそれなりに体験してきたつもりです。

日本人コミュニティだからなのか、全世界的にそうなのかわかりませんが 「取りに行かない使い方」 をする傾向があるなと思います。

言い換えるなら 「能動的でない状態」 が好まれるというか 「たまたまそうなってしまった」 という状態が好まれる。

ただ完全に受動的というわけでもなく 「嫌だったら拒否する」 という自由はあるけど 「好きなものを取りに行く」 という態度ではない。その中間くらい。

TiktokやYouTubeなんかはひたすらRandomに動画が流れてくるわけで、見たい動画をひとつひとつ検索して選んでクリックして見るのはもはや時代遅れな気がする。

そうではなく 「勝手に流れてくる中で、嫌だったら飛ばす、嫌じゃなかったら流しておく」 というスタイルが現代的なのかなと思う。

優秀なアルゴリズムのおかげで、そうしているだけで、流れてくる動画が勝手に自分の好みに合うようになっていく。

機械が次々に 「これはどう?」 「こっちはどう?」 と提案し続けてきて、自分はそれに答えたり、答えなかったりすればいい。

献身的な機械ちゃんは、まるで幼い子どもがヒステリックな母親の機嫌を伺うように、わずかな意思表示をかかさず受けとり気を遣ってくれる。

それに慣れていくうちに、いつの間にか 「自分の好みを、自ら意思表示する方法」 を忘れてきているんじゃないかと感じ始めている。

選択肢を与えられなければ、自分がなにが好きなのか言えない、ランダムに提示される中から取捨選択するのは得意だけど、なにもないところに願望を表現することはできない。

"検索" という初期のインターネットの能動的な感覚自体が失われはじめてる。それを私は危惧している。そんなんでほんとにいいの?と。

始まりは検索候補の表示だったかもしれない。数文字うちこんだだけで 「検索したいのはこれですか?それともこれですか?」 なんて先読みしてくる。

自分の言葉ですべてを語る必要なんてない、キーワードをぽろっとこぼすだけで機械ちゃんはあれこれ提案してくれる。

今はもはやキーワードをこぼす必要すらない、なにもしなくてもあれこれ提案してきて、違ったなら指先をちょっと動かすだけでいい。

そのうち指先を動かす必要すらなくなるだろう。視線や表情を読みとって、コンテンツが好みか好みじゃないか自動的に判断してくれる。

そんな世界で 「自分の好みのものを、自ら取りに行く」 なんてバカバカしい。寝て待ってれば果報がやってくる。ぼたもちが落ちてくる。

MBTI診断というものがある。数十問の質問に答えていくと 「あなたの性格タイプはこれです」 と結果を出してくれる。

性格タイプはアルファベット4文字で表現される。インターネット上でそれが名札のように使われる。 「私はESFPです」 「私はINFJです」

そんなことしなくても、自由記述で自分の性格を説明したらいいじゃないかと思う。「私はいつも道路に落ちてるゴミを拾ってしまいます」 「私は火葬よりも鳥葬がいいなと思っています」

でもその文字列ですら予測変換で打たれたものかもしれない。「私は」 と打ったらいくつかの候補が表示され、その中からしっくりくるものを選んでいくと文章ができあがる。

「"能動性" なんて、昔の不便な時代の人たちが、自分たちの頑張りを慰撫するために使った詭弁でしょ?」

「はいはい、昔はよかったね、テレビも洗濯機もクーラーもない方が "人間らしい" ってね?老害乙」

AI時代。自分自身との対話なんてコスパが悪い。無限にあるコンテンツの海に飛び込んで、ぷかぷか浮かんでいれば、いつの間にか手元に自分の好きなものが集まっている。

「それじゃあ、そろそろコンテンツをつくる側になってみるのもいいんじゃないかな? 動画をとって投稿したり、文章を書いてnoteに投稿したりするの」

ぷかぷか浮かんでいた私にAIがそう提案した。私は候補に表示された "note" というサイトにアクセスして、能動性についての記事を書いた。

みんな、私のように能動的な人間になるべきだ。そうでしょ?

「はい、能動性について考えるならこの動画やこういった本がおすすめです。いかがでしょうか?」

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