都市型動物園とは何か~王子動物園のことから考えてみる〜

久元善造神戸市長のTwitterでの発言が、物議をかもしている。

動物園の園長が案内しているというときに、関心が動物ではないということを言ってしまったということが、生きものと動物園を軽視しているといわれても仕方ないことであった。案内されているというのにその話を聞いていないというような態度は失礼であるし、生きものに関心を持っていない状況で動物園の改革をしようとしていると伝えているともとらえられかねない内容であった。

その後、釈明というような感じでこのような形での投稿を行っているが、神戸新聞の報道によると、王子動物園のある王子公園のリニューアル計画に関して、動物園自体の広さはほとんど変わらないというような計画であるということが書かれている。

大学を誘致し、大きな駐車場を整備するというような形での「都市型」として動物園を変えていくとのことだが、「都市型」動物園という定義もあいまいで、動物園自体の広さを変えていないということもあり、「動物園としての」あり方が決まっていないような印象が否めない。様々な有識者を交えて検討しているという段階ではあると思われるし、その有識者に関しては動物園のHPや神戸新聞の記事でも紹介されている。ここでは王子動物園の公式による発表を紹介する。

まだ具体的な動物園に関する内容が出ていないので、都市型動物園に関する批評は行わないが、先に「都市型動物園」という言葉ありきで進めていくやり方になれば、それはおかしいと考えている。

そもそもの話として、「都市型動物園」とはどういうことなのだろうか。まずは、同じ近畿地方にある天王寺動物園に関する資料を確認したい。これは関西大学が公開しているものである。

この中で重要と考えられるのは以下の文章である。

境界の変化を用い、動物と生活しているといった少し変わった生活から、まちに開かれた動物園を提案する。

これが都市型動物園としての基本的な考え方といえるのかもしれない。とはいえ、都市部にある動物園という言い方で「都市型動物園」という言葉を使っているのであるのなら、横浜市立よこはま動物園(ズーラシア)も該当する。とはいえ、ズーラシアの場合は横浜市の中心部からやや離れた立地であり、言い方は悪いが交通アクセスは微妙によくない部分もある施設ではある。だが、ズーラシアは他の日本の都市部の動物園と比較してトップクラスの広さの53.3ヘクタールの施設であり、山間部に近い立地で60ヘクタールの広さである東京の多摩動物公園や、動物園と植物園の併設で広さが59.58ヘクタールの愛知県の東山動植物園(動物園の施設だけなら32.21ヘクタール)と比較し、その上で政令指定都市の中でこの広さを確保していると考えると、今回の考察では比較対象としては例外的であるといえる。

では、海外の都市部にある動物園を比較してみるとどうだろうか。オーストリアのシェーンブルン動物園や、ドイツのベルリン動物園、スイスのチューリッヒ動物園、シンガポールのシンガポール動物園といった施設は、それぞれの国の中心都市にある動物園である。シェーンブルン動物園の広さは17ヘクタール、ベルリン動物園は35ヘクタール、チューリッヒ動物園は27ヘクタール、シンガポール動物園は28ヘクタールであることを考えると、海外の都市型動物園の広さを考えると20~30ヘクタール前後くらいの大きさだといえるだろう。例外的なのがアメリカのニューヨーク州にあるブロンクス動物園で、ズーラシアの2倍くらいもの広さである107ha。マンハッタンに程近い場所でこの規模の施設があると考えると、相当なものである。

そう考えると王子動物園の展示施設の7ヘクタールはかなり狭い部類になる。上野動物園(14ヘクタール)の半分、天王寺動物園(11ヘクタール)の2/3ほどと考えると、かなり小規模といっても差し支えないレベルである。

ここまでは広さから考えてみたが、次の視点は「都市の中にある森林などの自然的な公園」としての動物園という視点で考えてみる。

都市部は自然が少ないということもあり、人工的な自然であっても公園を整備することでリラックスできるような空間を整えるというようなことがある。そういった事例として日本で有名なのは福岡県北九州市にある到津の森公園だろう。到津の森動物園とも呼ばれているこの動物園の広さは10.7haだが、名前の通り都市の中に森があるような施設で、緑豊かな環境の中で散策ができる。自然と人を結ぶ窓口というような役割をテーマに据えており、ただ生きものを展示するのではなく、自然を感じ考える入り口としての施設を押し出している。

ここで重要な視点は、天王寺動物園の際の資料である。

『周囲を囲む境界は孤立を促している』からこそ、『境界を変化』させて『ひらかれた動物園』にする。都市という環境の中で暮らしていると違う環境が考えられなくなってしまいがちだからこそ、違う環境や自然を感じ、想像力を膨らませる。それは「リクリエーション」としての、都市の中にある動物園なのだろうとも思う。

これは他の都市部の動物園でも当てはまる。都市の中で暮らしていると、都会ー自然という軸で反対のイメージとして語られることが多く、遠く離れた場所というイメージで考えられている。遠く離れた存在のことを常に考えることができるほどの余裕は、残念ながら人間にはそれほどない。その中で身近に考えるきっかけの場所として、そして生きもののことを知る施設として、動物園を都市に残していくことを大切にしていたのではないだろうか。

つまり、都市型動物園というのは、「都市部という土地の確保が難しい中で自然や違う環境を整備し、自然や違う存在と人との関係性を結ぶ窓口としての役割を担っている施設」である、とも言える。とはいえ他の都市と比べて日本の都市部にある動物園が狭いのは否めないが、それでも狭いなりに工夫を行い、なんとか設備を整えている。

動物園における窓口としての役割は、金銭面だけでは計り知れないほどの価値がある。他者と関係性を結ぶためには、他者へのリスペクトが重要になる。それを分かりやすく生きものに対する考え方として捉えているのがアニマルウェルフェア(動物福祉)という考え方だからこそ、それを大切にしていないという状況になると「他者を大事にしていない、しなくても良い」ということになりかねない。

生きものの扱い方でその人がどういう人なのかというのが表面化されるとは言われているけれど、僕はそれだけではないと思う。「違う立場や価値観を持つ存在とどう向き合うのか」によって人となりが表面化されると言った方が正しいと思っている。

自分たちと同質の存在との関係を考えるのではなく、違う存在を知って考える場所としての公共財としての動物園の在り方を、どうか考えて欲しい。それが王子動物園のこれからを左右すると僕は思っている。

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