人生を変えるのに7年かかった

昔の私は、常に漠然と不安で、漠然と不幸だった。
今の私は、常に漠然と期待していて、漠然と幸せな感じ。

何が変わったのかといえば、
そりゃ、色々わかりやすいものを上げることはできる。

仕事がすごく楽になった、お金の心配が減った、家族との関係が驚くほどよくなった、友達が増えた、住環境が良くなった、体調も良くなった、似合う格好がわかるようになった、絵を描くことを自分の中心に置けるようになった。

とはいえ、毎日の私は別にこの変化を意識してなんかいない。「ああ、仕事が楽になって幸せー」と思っているわけではない。「家族と関係が良くなって最高〜!」とか考えてるわけではない。
日々淡々と生きている感覚は昔と全く変わらない。
毎朝コーヒーを飲んでちょっとだけ甘いものを食べる朝。バタバタすぎていく昼。子の世話に追われる夕方。黙々と掃除する時間が好きだったり、本を読むと止まらなかったり、仕事でイライラして思わず友達にグチりたくなったり、子どもにイラっとすることもあるし、夫に文句を言いたくなることもある。やらなきゃよかったなあと思うようなことをやっちゃうこともある。

日々の諸々に追われて毎日が過ぎていくのは過去も今もずっと変わらなくて、それでも幸せであるということは、この決定的な違いは、一体なんだろうと自分でも不思議に思う。


変わらない毎日の中で、それでもふとしたときに、違いを感じるのだ。

化粧を落としてふと鏡を見るとき、トイレで一人になって意味もなく昨日の会話なんかを思い出すとき、シャンプーするとき、一人で公園を歩くとき。

そんな「社会から閉じた私自身」とともにいるとき、思い返せば、以前の私は不安だった。一人でいるのが不安だった。嫌だった。それで、空いてる時間は全部友達との予定を入れていた。要するに、自分が嫌だった。嫌いな自分とサシになるのが嫌だから、せめて友達に会いたい。そんな感じだったのかもなあと思う。友達と喋ってれば、友達に合わせてはしゃいでれば、自分の醜さを、何もかも忘れられた。

で、今は逆に、自分のことが好きだなあと思う。ていうか、いいなあと思う。それはちょうど恋人や友達に対する「いいねえ」という気持ちとおんなじで、別に会っている間毎瞬毎瞬「最高だ!君を愛してる!」とかそんな風に気持ちが高ぶるわけではなくて、ふとした瞬間なんだよね。
その人がそばにいる、と改めて意識した瞬間、ああ、この人はいいなと思うあの淡い感覚。あれをずっと自分に対して持ち続けている。
私が、私であってよかったなと。

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