1/5 永遠の命があるのなら

※死について書いているので苦手な方はそっと閉じてね。
大丈夫な人は読んでみてね。
みんなには幸せでいてほしいからね。





今日の昼頃、おじいちゃんが亡くなった。たしか80過ぎだったと思う。子供の時は祖父母と同居していて、母親が仕事でいなかったので塾や遊びの送迎は基本的におじいちゃんだった。

去年6月に膵臓がんだと分かった。ステージ4末期。年末までもつかわからなかった。
どうやら痛みを我慢していたらしい。バカだなあと思った。それか本当にわからなかったのか。
確かに膵臓がんは発見しにくい。なかなか難しかったと思う。

1ヶ月前くらいはしんどそうだったが歩けていた。ご飯はほぼ食べられないが食べたいものを買ってきたら口にすることができた。最後に好物を買いに行けたのは良かったと思う。

桜が散るのはあっという間、紅葉が落ちるのは早いように悪化するスピードは加速度的に早かった。
先週親族が会いにきたと言った。実際は来ていない。ああこれが走馬灯なのかと思った。きっと記憶が混濁するからだろうけどこういうことがあるんだと実感した。
私の手をとって「ぬくい」と言った。それが私にとって最期の言葉。
これで良かったと思う。悔いはない。本当に。





私は死ぬことに極度の恐怖を感じている。小さい頃から死ぬことについて考えては泣いていた。今でもパニックになる。最近あまり寝れていないのは身内に死が近い人間がいたから。正直これを書いている今もやばい。ただ、書いておこうとは思う。

だから今回は死に目にあわなかった。多分発狂するだろうと思ったから。薄情なやつだと思われるだろうが自分のことが可愛いからそうした。親や祖母には何も言われていないし強要もされていない。多分この方が良かった。そこそこ綺麗な顔で思い出に残るだろうし。
葬儀の時は顔を見るかもしれないがエンゼルケアをしているはずなので幾分かはマシだろう。




当分私は精神状態が良くないのが続くだろう。
できるなら永遠の命が欲しい。金を注ぎ込めば何とかなるのなら注ぎ込むだろう。正直この歳でそこそこ限界はきている。

しかしやるしかないのは目の前のこと。音楽、仕事、健康に保つこと。何かをしていないとおかしくなりそうだ。今はがむしゃらに何かをして疲れ切って寝るか、酒を飲んで寝るか、Youtubeを見て寝落ちするか、そんな感じだ。




「僕は色んな人を殺して殺されて
忘れられると死んで忘れると殺してしまう
僕のせいじゃないのに」

こんな歌詞を何年も前に書いた。多分高校の時に。
記憶からなくなればそれは本当の死だという。
大抵のこと、大抵の人のことは覚えていようとしても覚えていられるものではないから誰のせいでもないと思う。自分も誰も責めるものではない。




鎮静剤で意識がなくなってそのまま亡くなったらしい。それで良かったと思う。苦しまなかったのなら。
お悔やみは必要なし、大丈夫です。あけましておめでとうもOK。喪中も寒中もしないから。

仕事探し、音楽の勉強、企画など、やれること一つずつやっていこう。
きっと今年は成長する年だ。


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