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どうしても諦めきれないものがあったらどうする? この世に生を受けてから四半世紀を過ぎても私はそんな強い執着を何某かに抱いたことはなかったから考えても答えが出ない。手に届かないから諦めるほかないだろう。自尊心も自己肯定感も持ち合わせていない生き物の自分に、なにものにも代えられないものなんて、望みが強過ぎて想像すらできない。
そう思っていた。昨日までは。


自分に納得いかなくて、自分が嫌いで、自分が惨めで、失敗をする度にころしてほしいと呟くのが口癖になってから十の年月が過ぎた。変われない自分を怨んでは心を膿んでまたその醜さに嘔吐する心地、そんな繰り返しでしか自分と向き合えない、いや、本当の自分と向き合うことなど生涯一度もできていない。大切な他人へ自分の話をしてもいいかな、しよう、大丈夫かもしれない、と決めて、そして相手方の都合によりその機会が失われたとき、とてつもなく孤独を感じ、自分の心の奥底の声が聞こえた。

誰かに自分を、ありのままの自分の話を知って欲しいんだ。

酷く滑稽だと思って乾いた笑いが止まらなかった。自分を大事にしてどうなるんだろう? 誰かにとって己の存在なんて塵程の価値もない。
ゆっくりした喋り方のせいか、気づかないだけで癇に障る話し方をしているのか、自分の話は遮られたり最後まで聞いてもらえることが少ない。そんな繰り返しの果てに私は自分の話、ひいては自分に他人を楽しませるだけの価値がないと悟った。それが間違いだといい、とももう思わなくなった。それがきっと真実だから。
自尊心の低さから、他人は正しく、自分は間違っている、と思い込む癖ができた。悪癖と呼称する以外のなにものでもないが、これは呪いとなって私を今でも蝕んでいる。くるしいね。

でもね、こんな私を、ありのままの私を見つけてくれようとする大切なひとが私にもいて、私はそのひとが大好きで、故に後ろ暗い自分の背景を話すことができない。話すことを選べない。選ばない。絶対に胸を暗くして欲しくない。損なわれて欲しくない。大切だから、自分には勿体無い程素敵なひとだから、大切にしたいから、私はそのひとと結ばれることはできない。

こころの柔らかいところだけをお伝えしてきたし、これからもそうするつもりだ。熱くて、つよくて、湿度の伴った大きな感情をひとり撫でて慰めながら、今日もそのひとのことを想って泣いている。なんだろうね、自然と泣けてきちゃうんだ。絶対に手が届かないからかな。大事だから、手を伸ばせないよ。
もし私にどうしても諦めきれないものがあるとするなら、そのひとと自分の関係だろう、そう思う。自分に強い望みがあるとこの歳になるまで知らなかった。胸が熱くなる、腹の底が泣きたくなるくらい熱くなる、心が熱くなる。そんな心地を知ってしまって、もう私は、この人生に意味を見出してしまって、くるしくて悲しくて嬉しくて、独りではいられなくなってしまった。
幸せになれるかもしれない、と、思ってしまった。

それだけが心残りだ。

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