誰も通らない裏道~アーカイブ 「盗まれた都市」(2006年8月9日 13:44:28公開/file.003)

2006年~2016年まで、ココログで「誰も通らない裏道」というブログを書いていました。その後、書く機会がなくなったまま放置していたのですが、最近見てみたら、公開されなくなっていました(理由はあるようですが、詳しく調べていない)。そこで、過去に書いたデータを抜き取ってnoteにアーカイブとして残しておこうと思っていた矢先、田中康夫さんが横浜市長選挙に出馬しました。
私はかねて田中康夫さんの著作を興味深く読み、またその考え方に深く共鳴していたのですが、ブログを始めて3回目の記事で、長野県知事選で残念ながら落選した田中さんについて書いています。
最初はアーカイブは最初から順番にアップしていこうと思っていたのですが、市長選の投票日も迫ってきたので、まずは第3回からアップします。

タイトルは「盗まれた都市」、ココログ公開日は2006年8月9日です。

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 もう相当前に書かれたものですが、西村京太郎氏の著作に『盗まれた都市』という小説がありました。これは左文字という探偵が主人公のシリーズで(「消えたジャイアンツ」もこのシリーズです)十津川警部シリーズではありません。この頃の西村氏の作品というのは、意外に社会派の色彩があったように思います。
 さて、この作品の内容ですが(あくまで覚えている範囲内ですが)、ある地方都市で何者かがさまざまなメディアを使って「反東京運動」(だったと思う)なる扇動を始めます。結果、この都市全体が狂気に包まれていきます。左文字はこの都市に入り、なんとか社会の暴走を止めることには成功しますが、いったい誰がこの扇動を行ったのかはわかりませんでした。
 たしかこの小説の最後は、左文字がこの都市で起きたことを当時としては高額な使用料(千万円単位?)のスーパーコンピュータにデータ入力して分析します。ところが、実はこのスパコンを別の人物がやはり借りて、同じようなデータ入力をしてシュミレーションをしていたらしいということがわかるのです。

 今回、長野県知事選の結果を見て私はこの小説のことを思い出しました。

 ウソも100回言えば真実になる、、、とはよく言われます。
 田中康夫氏が知事に就任以後(とくに2期目に入ってから)、県議会の反田中議員、同じく反田中の市町村長と小坂一族が経営する信濃毎日新聞、そして全国紙の長野支局の記者らによってばら撒かれたウソ、デタラメは本当にひどいもので、客観的に事実を検証すれば「ウソ」という結論しか出ないのに、にもかかわらずそのウソを何百回と繰り返すことで次第に事実のように思わせるということの繰り返しでした。
 選挙翌日の月曜日、とあるテレビ局の解説委員はしたり顔で「田中さんは壊すことは得意だったが創ることができなかった」と言いました。しかし、この解説委員はこの6年、長野県で起きていたことを自分の目で確かめたことはないでしょう。おそらく支局からあがってくる情報や報道を見て、そう結論づけているに過ぎないのです。
 よく言われる政・官・財による利権の構造は、マスコミを仲間に引き入れるために記者クラブ制度をつくり、ここに特定のマスコミだけを入れるという「利権」をつくり、官による情報下げ渡し制度をつくりました。これによって官にとって都合のいい情報、悪い情報をいかようにもコントロールできることが可能になったのです。
 しかしながら、当たり前の言い方になってしまいますが、この時代、誰もがいかようにも情報を発信できる時代になり、そうした権力による情報統制というものが、もはやそう簡単ではなくなっているのではないか、少なくとも徐々に統制できない時代になりつつあるのではないかと私は漠然と思っていました。だから今回の長野県知事選挙においては、田中康夫の勝利を予想していたのです。
 しかし結末は異なりました。これはある意味では、日本の権力構造が田中康夫という存在に真の意味での危機感を持っていたことの証明ではないかと思います。
 私は少しだけ日本の権力につながる国会議員の世界を垣間見たことがあります。そこで行われていたのは民主主義もへったくれもない、一部の人間によるカネ(税金)のつかみ取り合戦です。少なくとも私にはそう見えました。
 田中康夫はその構造に切り込んだのです。官僚は元来、パブリック・サーバントでなければならない。これは当たり前のことのようで実は当たり前でなかったわけですが、集めた税金をひたすら県民のために徹底して効率的にかつ有効に使う、県民の暮らしを少しでも向上させるために官はその奉仕者になる、民が官の上にくるという概念は、これまでの日本ではほとんどあり得ない発想でした。田中康夫はそれを実行に移したがために、現ナマのつかみ取り合戦をしていた県議や市町村長は悲鳴を上げたのです。
 そして「すべての表現者に対して平等に情報を開示し、取材活動を保証する」という、これまた当たり前の考えのもと、記者クラブ制度を廃止した田中康夫に対して、既得権益をぶち壊されたメディアは反田中グループのまき散らかすデマをそのまま、しかも徹底的に流すということで対抗したのです。
 これによって長野県で行われていた本当の意味での改革は幕を閉じました。長野県民にとってはお気の毒としかいいようがありません。田中県政はなまじ圧倒的に革新的、先進的であったがゆえに、これからの4年間で長野県は近来まれにみる「逆コース」を歩むことでしょう。地方自治体の中で唯一減り続けていた借金は一転、増えることになります。なによりも県民に対するサービスは落ちます。
 長野県庁の中に育ちつつあった意欲ある職員は粛清されるでしょうし、そうでなくてもトップが無能な人物に交代すれば有能な人間ほどモチベーションは一気に下がります。組織とはそういうものです。
 私は新しい長野県知事の顔を見ていると「WTI」という文字が頭に浮かびます。これはある人から聞いたのですが、WTIというのは「Well- Trained-Incapability」の略だそうです。日本語に訳すと「よくよく訓練された無能力者」ぐらいの意味でしょうか。

 田中康夫についてはまだまだ書きたいことがあるのですが、長くなるので今日はこれまでにします。

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