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「つきあう」について

男女において、「つきあう」というのはどういう状態を言うのだろうか。あるいは、「告白をする」とか、「つきあってください」と言うのは、どういう状態をめざしているのだろうか。

僕は、女性に対して、「つきあってください」と言ったことがない。ごく自然に、気がついたら、「つきあっている」状態になっていたというパターンが常であったからである。そんなこと、わざわざ口に出して、意思表示しなければならないことだと思っていなかったと言い換えても良い。

だいたい、「つきあってください」とか、日本語として何かヘンではないだろうか。トイレに連れションをつきあえとか、昼メシをつきあえならばわかるけども。わざわざ「告白をする」にしても、あまりにアバウトな表現ではないのか。

敢えて定義を試みるならば、男女関係において「つきあう」とは、いわゆるステディな関係になるということを意味するのであろう。もっと踏み込んだ表現をするならば、肉体関係も含む親密な関係になることを、他の異性を排除する形で包括的に確約することとでも言えば良いのか。

ただし、ステディな関係というものは、本来は、結婚を前提とするような、限りなく婚約に準じるような関係をイメージするのだが、世の中によくある「つきあう」の中には、もっとカジュアルな関係、つまりステディな関係になる前の「お試し」段階まで含まれているようである。

「つきあう」ことになったとしても、正式な婚姻関係とは異なるので、法的な貞操義務までは負わない。あくまで当人たち同士の信義に基づく約束ごとに過ぎない。それにも拘わらず、「つきあっている」相手がいるのに、他の異性と深い関係になったり、あるいはそこまで至らなくともデートをしたり、連絡を取り合ったりすると、「二股をかけた」「浮気をした」ということになり、多くの場合、非難の対象となる。本来のステディな関係であるならば、非難されるのは当然かもしれないが、まだ「お試し」段階であるとするならば、あまりに拘束されるのは、ちょっと酷な気がする。

以上の話を要約すると、日本人の言う「つきあう」には、単なる「お試し」段階から、本当の意味でのステディな段階まで幅広に含まれているにも拘わらず、ステディな関係と同レベルの貞操義務が期待されているということになる。

一方、欧米では、日本のように「告白をする」を経て「つきあう」に至るというプロセスは存在しないのだそうだ。デートを重ねながら、一緒にいる時間を増やし、相性を確認しながら、自然とカップルになるというパターンであるという。また、ステディな関係になる前の段階においては、複数の異性と同時並行的に交際することも、場合によっては性的関係を持つことも珍しくないとか。「お試し」段階があることを認めているのであろう。

僕は、結婚相談所に行ったことはないが、そういうところでも、いわゆる「真剣交際」フラグを立てる前の段階においては、複数の相手とあれこれお見合いやらデートをすることは許容されているという。「お試し」段階を制度的に許容しているということだろう。

つまり、「告白をする」を経て「つきあう」に至るという関門が、何回かのデートやらお互いのことをよく理解する機会やらを経た後に、ステディな関係になる段階で実施されたのであれば、何ら問題はないのだろうが、そこに至る前の「お試し」段階で実施されてしまう場合、結婚相談所の例に戻れば、まだあまりよくわかっていない相手といきなり「真剣交際」段階に入るのと同じことを意味する。つまり、これは現実的にかなり無理を強いることになる。

企業買収(M&A)の場合、最初に「意向表明書(LOI)」(Letter of Intent)というものを締結する。本格的な交渉や調査に入る前に、買い手側が売り手側に買収の意向を表明するときや、M&Aを前向きに進めるため、売り手・買い手の双方が仮に合意したことを示すものであって、本格的な交渉とか調査はそこから先の話になるし、きちんと条件が整って「正式契約」に至ることもあれば、途中で話自体がポシャることもある。

男女関係をM&Aに当てはめて考えてみるならば、本来は、「告白」→「つきあう」という段階は、多くの場合、M&Aの「正式契約」段階みたいなものである。あるいは婚姻契約をゴールと考えたら、その直前段階といったところか。結婚相談所の事例で言えば、「真剣交際」フラグが立つレベルということである。

一方、その前の「お試し」段階は「LOI」締結と同じくらいと考えるとわかりやすい。お互いうまくやっていけそうかどうか確認をするための本格的な調査をスタートしますというレベルということである。M&Aの場合、複数の案件が並行して進行することもあるし、相手を拘束できることもあれば、できないこともある。途中で不調に終わることも少なくない。あまり多くを相手に求めすぎないこと、期待しすぎないことが肝要だ。

にも拘らず、「つきあう」というザックリとした言葉で、「お試し」段階から、いきなりステディな相手並みに拘束しようとするのはあまり現実的とは言えない。

したがって、「つきあう」という言葉は廃止して、「お試し交際」「真剣交際」といったステップ感をうまく表現する言い回しを新たに導入すべきではないかと提案したい。

「お試し交際」「真剣交際」でも構わないのだが、「お試し」と言われてしまうと、なんだかデパ地下の試食品みたいな感じだし、「真剣」と言われてしまうと、その前段階は「お遊び」かと突っ込みたくなる。この辺は、もっと洗練された表現があれば申し分がないような気がする。

いずれにせよ、「つきあう」という言葉はアバウトだし、その割に相手を束縛するし、もしかすると、その「重たさ」が高齢未婚男女を増やしている原因の1つかもしれないとすら考えてしまうのだ。

入り口はあくまでカジュアルに。また選択肢は最初から1つに絞る必要もない。無理な相手にいつまでも関わり合う必要もない。いろいろと「お試し」を繰り返すうちに、だんだんと選択肢が絞られて行く。こういうステップ感を重視したい。

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