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「静かな退職」について

「Quiet Quitting(静かな退職)」という言葉を耳にした。
日経の記事によれば、<米国では2022年夏ごろから話題になった言葉で、あたかも退職しているかのように仕事をしている状態を指す。仕事に対する熱意を失っていて、与えられたこと以上の仕事をしない働き方>のことであるという。

「働き方改革」とか、「ワークライフバランス(仕事と生活の調和)」とか言われて、高度成長期のようにガムシャラに働くことが美徳とは考えられず、むしろダサいと思われるような世の中になり、低成長で給料も増えず、50歳を過ぎたら役職定年でポストからも外され、給料も頭打ち(あるいはポストから外れた分、実質的に減給され)となり、サラリーマンとしての先々が見えるようになれば、頑張って仕事をしようということにはならないであろう。

植木等の映画じゃないが、サラリーマンというのは、割り切ってしまえば、「気楽な稼業」であると言える。クビにならない程度の最低限のパフォーマンスを維持しつつ、できるだけ長く会社に居続けることを目標にすればいいと発想を切り替えさえすれば、あくせくと滅私奉公する必要はないからである。

でも、こういう社員ばかりだと、会社の中の空気がどんよりと澱んでくるだろうし、活力は失われてしまう。だが、社員の平均年齢が相対的に高くて、勤続年数が長い、つまり終身雇用的な働き方が主流の会社だと、程度の差こそあれ、こういう感じになってしまうのは否めない。

じゃあ、どうするんだということになるが、1つは、年功序列的な人事制度をやめて、できるだけフラットな組織にすることであろう。年齢が上の人が、役職も上という発想がそもそも古いのである。基本的にフラットな組織にしてしまえば、権限があるのかないのかよくわからないような役職(部長代理とか、部付部長とか、担当部長とか)をベテラン社員のために設ける必要もなくなる。結果として、意思決定のプロセスもシンプルになるので、仕事のスピード感も増すに違いない。

2つめは、役職定年も廃止する代わりに、管理職的なポストはすべて任期制にすることである。たとえばどこかの部門の部長職の任期を2年に設定するのであれば、2年経ったら、ガラガラポンで改選するのである。現任部長が引き続き留任したいと思えば、自薦・他薦の新たな候補者と競って、厳正な社内審査を経て再登用される必要があることにすればよい。役職定年で強制的に管理職ポストから外されていたベテラン社員の一部は奮起するだろうし、下剋上で若手がチャレンジするかもしれない。組織が活性化する。

管理職から外れれば、管理職ポストに付随する「手当て」も当然になくなる。その分、減給となって年収も減るが仕方がない。しかしながら、右も左もわからない新人と、勤続〇十年のベテランとでは、会社への貢献度や基本的なパフォーマンスの違いは歴然としている。それが同じ給料では却って悪平等であると考えるならば、職務遂行能力に基づく社内資格や、業務に関係する公的資格の有無等によって、ベースの給与水準を調整するようにすれば納得感が得られる水準に落ち着くであろう。いわゆる職能資格制度と職務給制度の組み合わせみたいな運用である。

それはそれとして、組織の階層は極力減らして、組織の基本設計をシンプルにフラットにすることで、常に社内の随所で下剋上や逆転挽回が起きるようにすれば、健全な競争環境が確保されるし、仕事で頑張りたい人にはチャレンジの機会が与えられることになる。

もちろん、こういう制度を導入したとしても、頑張りたくない、ほどほどで結構という人をどうすることもできないかもしれない。そうなると、最終的には現在の無期雇用のいわゆる正社員なるものの「身分保障」に手をつけるしかないのだろう。

今回の「骨太の方針」でも言及されていないが、本来ならば、一定のルールに基づいた雇用終了を可能とする仕組みを導入して、月収の何ヶ月分だかを渡すことで雇用終了となる「解雇の金銭解決」を法令で整備するべきなのである。一旦、入社してしまえば、悪いことをしない限りは、ずっと身分保障されるということの方が不自然であろうし、有期雇用者の身分の不安定さと比べれば、明らかに公平感を欠く。

若い人もベテランも、仕事をする以上は、「気楽な稼業」にならないように、適度な刺激と適度な競争環境を用意するべきだし、それでこそ個々人も企業も成長が期待されると考えられる。


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