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「空海展」について

昨日、「奈良国立博物館」にて開催中の「空海展」を鑑賞した。

実は、昨年から、「四国八十八ヶ所」を少しずつ回り、先日、無事に回り終え、高野山へのお礼参りも済ませたところである。自分の中では、ちょっとした「空海ブーム」が続いているので、そのノリのまま、「空海展」も観ておこうと思った次第である。

元来、あまり信仰心はない。正直なところ、神も仏もピンと来ない。既存の宗教というものは、「何かにすがりたい」と考える、人間の弱い心につけ込む「麻薬」のようなものであり、世の宗教家というものは、一種の詐欺師ではないかという気さえする。

じゃあ、どうして「四国八十八ヶ所」など回ったのかということになるが、自分でもよくわからない。根が生真面目なせいか、試しにちょっと回り始めたところ、半ば習慣のようになり、どうせならば途中で放り出さずに、全部回ってしまいたいと思ったというのが、正直なところであろうか。マラソンを途中棄権せずに、ゴールまで完走するのに似ているかもしれない。

直接のきっかけは、家内からの誘いである。家内の実家の宗派が真言宗で、家内の両親も子育てが一段落した頃に、「四国八十八ヶ所」巡りをしており、自分も同じように巡礼の旅をしてみたいと言われたのだ。

思えば、仕事が忙しいのを言い訳にして、家のことも、子育ても、すべて家内に丸投げしてきた。ホントに忙しかったのはたしかであるが、要はやる気があるかないかの問題である。単に逃げていただけなのだ。

そういう意味では、ここらで家内に孝行しておかないと、熟年離婚の危機もあり得ると思った次第である。

いずれにせよ、そういうわけで、四国霊場を回りながら、「般若心経」を唱えた。1ケ寺で、本堂と大師堂でそれぞれ唱えるから、最低でも176回、実際にはそれよりも多く唱えたであろう。

「般若心経」は、わずか262文字に「仏教の神髄」が凝縮されていると言われている。

「仏教の神髄」とは何か?

僕は、専門家でもないし、先ほど書いたとおり、信仰心のカケラもない人間であるが、僕なりに解釈するならば、「何物にも、こだわらず、心を自由に解放する」「物事を、あるがままに受け容れる」ということだろうと考える。

日常生活において、僕のような凡愚な人間は、自分ではどうにもならないことに、クヨクヨ、ウジウジと悩み、他人を羨んだり、妬んだり、怒ったり、損得や勝ち負けを気にしながら日々を送っているが、そうした感情を捨て去って、世の中を達観するだけで、大部分のストレスから解放される。

とにかく、自分ではどうにもならないことに思い悩むのをやめて、自分にできる目の前のことだけに集中する。そして些細なことでも良いことには感謝して、悪いことは仕方がなかったと諦めて、気持ちを切り替える。

それだけでも、ストレスフリーに心穏やかに日々を過ごすことができる。もしかすると、「マインドフルネス」にも通じるところがあるのかもしれない。

まあ、真言宗の小難しい世界観とか、いくら説明されても、僕なんかには、まったく理解できないし、今さら理解しようとも思わない。自分に都合の良いように、以上のようなことを考えつつ、「般若心経」を唱える。それが心地良かったからということにしておこう。

いずれにせよ、空海、弘法大師という人物は、ものすごく偉かったのは間違いないとしても、たぶん天才的なセルフ・プロデュース能力、マーケティング能力を有していたに違いない。

遣唐使として大唐帝国にわたり、短期間で密教の奥義を極めて、その成果を日本に持ち帰り、真言密教の開祖として、最澄と並ぶ平安仏教界の2大巨頭の1人となるまでの大出世を遂げるためには、宗教家としての本業である密教研究や著述活動に勤しむのは当然であるとして、時の権力者である天皇・貴族たちにうまく取り入ることもまた重要な課題であるし、彼らのような、ド素人相手に、真言密教をわかりやすくアピールするプレゼン能力が不可欠であったはずである。

今回の展示物にも含まれていたが、「曼荼羅(まんだら)」というものがある。真言密教の世界観をわかりやすく「見える化」したものであり、「胎蔵曼荼羅」と「金剛界曼荼羅」から成る。これなども、天皇や貴族を含む一般の人たちに対して、視覚的に真言密教を「わかったような」気にさせるための道具ということになる。

仏教に関する哲学的・抽象的な概念を滔々と述べたところで、一般人にはとうてい理解できるものではない。しかしながら、宗教を一大勢力として確立しようと思えば、一般人、特に権力と富を握っている人たちを取り込まなければならないし、そのためには、ある程度は妥協して、「ハードルを下げる」ことが重要なポイントになるのだ。

「四国八十八ヶ所」を回っていると、いたるところに空海の事績が残されている。四国だけではない。日本全国、いろいろな場所に空海ゆかりの場所が残されている。60年余りの生涯で、当時の交通事情等を考えれば、それらすべてに関与するのは、たぶん物理的に不可能である。真言宗教団が一致団結して、空海の生前から、空海の偶像化、神格化に大いに取り組んだ結果が見事に結実したのだと考えるべきだろう。

洋の東西を問わず、中世社会において、宗教家というものは知的エリートの代表格であり、知識階級の最上位に位置する存在であった。西洋の大学は、その多くが宗教家を育成するために創設されたものであるが、日本においては、奈良や京都の大寺院が同じような役割を果たしていたと考えられる。

当時の世界最先進国であった唐に留学して、最先端の技術や知識に触れた成果であろうが、空海が仏教のみならず、あらゆる分野に通暁した万能の天才、一種のスーパーマンであったことは間違いないと思う。


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