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クラウス・マケラ指揮オスロ・フィル(@フェスティバル・ホール)について

フィンランド出身で新進気鋭の若手指揮者であるクラウス・マケラと、20年から彼が首席指揮者を務めるノルウェーのオスロ・フィルハーモニー管弦楽団のコンビによる来日公演を、大阪フェスティバル・ホールで聴くことができた。

来日公演のプログラムは、A・Bの2種類あり、Aプロは、ショスタコーヴィチ「祝典序曲」、同「ピアノ協奏曲第2番」(ピアノ:辻井信行)、R.シュトラウス「交響詩<英雄の生涯>」の3曲。Bプロは、オール・シベリウスで「交響曲第2番」「同第5番」である。僕の聴いたのは、Aプロの方であった。

ショスタコーヴィチの曲に関しては、どちらも不案内である。「祝典序曲」は、何やらハリウッド映画のテーマ音楽みたいな感じで、賑やかでやたら景気が良い曲である。マケラの指揮ぶりもノリノリであった。

「ピアノ協奏曲第2番」は、辻井信行のピアノ独奏である。辻井のピアノを生で聴くのは初めてであった。ピアノ協奏曲ということだが、指揮者の棒が見えない辻井と、どうやって音を合わせているのだろうかと不思議に思って、そればかりが気になってしまった。おそらくであるが、基本的には指揮者の方がソリストの演奏に寄り添うように、オケを巧みにコントロールさせていたのだろう。いずれにせよ、双方ともにたいへんな技量がなければ無理な芸当である。

聴衆の万雷の拍手に応えて、辻井はピアノ独奏で、グリーグ「トロルドハウゲンの婚礼の日」をアンコールに弾いた。辻井がピアノを弾いている間、マケラは指揮台にしゃがみ込んで、1聴衆として辻井のピアノを聴いていたのが、何やら微笑ましかった。

「英雄の生涯」は、コンマスはじめ、各パートの聴かせどころが満載の楽曲であり、オスロ・フィルの技量を日本の聴衆にアピールするために用意された曲ということになるのであろう。ソロパートでちょっと危なっかしいなあと思うような個所がなかったわけではないが、まずは安全運転で無事に乗り切った感じ。コンマスにとっては、ただでさえ難曲である上に、ソロパートも多くて、重圧と気苦労たるやたいへんなものであったと察するに余りある。

聴衆の拍手喝采に応えて、アンコールに演奏したのは、J.シュトラウスⅡ世の歌劇「騎士パズマン」から「チャルダッシュ」であった。カルロス・クライバーが、ウィーン・フィルの「ニュー・イヤー・コンサート」に、89年に初登場した際にも演奏したのを懐かしく思い出した。マケラの演奏は、クライバーよりもさらに緩急のメリハリが効いた感じであった。

クラウス・マケラという若手指揮者については、前々から噂ばかり耳にしていたが、ライブで聴くのはこれが初めてであった。96年生まれというから、実にまだ27歳ということになる。童顔で若く見える辻井伸行が35歳なのだが、その辻井よりも8歳も若い。驚くほかない。

指揮者の世界では、60代、70代、あるいはそれ以上の高齢者の「巨匠」「長老」が幅を利かしており、27歳で欧州の主要オケの首席を務めるというのは、奇跡のような話である。容貌だって、音楽大学の学生と言われても通用しそうである。よほどに抜きんでた才能があればこその大抜擢であろうが、抜擢する方だって相当の覚悟がなければやれることではない。オスロ・フィルとしても、若きシェフの才能に賭けるつもりで、思い切って勝負に出たということであろう。

かの小澤征爾が、例の「N響事件」を起こしたのは、まさに小澤が27歳くらい、今のマケラと同年くらいの頃であった。今から60年以上前の大昔の話であるが、日本では、年功序列的な秩序をひっくり返すような抜擢人事は昔から歓迎されず、今も基本的にはその辺のところは変わってはいない。したがって、マケラのような大胆な抜擢人事は、日本ではこれからもちょっと考えにくい。

来月、ペトレンコ&ベルリン・フィルも来日公演で、「英雄の生涯」を演奏することになっている。今日のオスロ・フィルも十分に健闘したと思うが、オケの機能性、各パートの技量という点に関しては、天下のベルリン・フィルにはかなわないと考えるのが妥当であろう。

それでも、もしも、マケラ&オスロ・フィルの今日の演奏と五分五分ということになるようならば、もしかしたら、あと何年後かには、マケラがベルリン・フィルの首席指揮者の座を占めているというようなこともあり得ない話ではない。何と言っても、まだ27歳なのである。

それと、今日の「チャルダッシュ」を聴いていると、いずれはウィーン・フィルの「ニュー・イヤー・コンサート」にも登場して、シュトラウス一家のプログラムをもっと聴かせてもらいたいとも思った。

いずれにせよ、これから、どこまで昇り詰めることになるのか、楽しみでしかない。

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