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スポーツマンシップについて

日経新聞によれば、<テニスのプロ選手協会(PTPA)は6日、パリで行われている全仏オープンの女子ダブルス3回戦で加藤未唯(ザイマックス)が打った球がボールガールを直撃して失格となったことについて「不当な判定である。偶発的で攻撃性のない事象であることは明らかだ」との声明を発表した。>とのことである。

僕はテニスについてはあまり詳しくはないので、立ち入ったコメントは差し控えたいが、一連の記事を読んで思ったことは以下のとおりである。

  • ボールガールに狙って当てたかどうかは不明ながら、加藤未唯のマナーが平素よりあまりよろしくないことで、審判団の心証がマイナスに作用したのは間違いなさそうである。

  • しかしながら、審判団としては、失格という重たい処分を科す以上は、ビデオ確認を含めた総合的な検討を行なった上で、各方面を納得させるに足る説明をするべきであった。

  • 返球を直撃されて泣くボールガールも、はっきり言って、みっともない。ボールガールは所定の審査を経た仏テニス連盟会員とのことであり、誰でも務まるものではない。若いとはいえ、それなりに覚悟をもって大会に臨んでいたはずである。

  • 執拗に失格を主張して判定を覆らせたマリエ・ブズコバ(チェコ)、サラ・ソリベストルモ(スペイン)組も格好悪い。そんなことで「勝った」としても、アスリートとして少しも名誉にならない。

加藤未唯は、ネットのいろいろな記事を見るに、マナーがあまり良くない選手というレッテルを貼られているようである。本当のところ、彼女がどういう人物かは知らない。アスリートにありがちな、単に負けず嫌いで、感情が表にでやすいタイプということだけなのかもしれない。たぶん、そうなのだろう。でも、審判も人間であるから、一旦、イメージみたいなものができあがってしまうと、そうした先入観が判定に微妙な影響を及ぼすのは避けられない。

そういう意味では、我々のような一般人と同様、アスリートも平素からの行ないや言動といったものがきわめて重要になってくる。「カネ持ち、喧嘩せず」ということであるし、まずは敵を作らないことが大切になってくる。

この点に関しては、MLBの大谷選手などは、どんなジャンルのアスリートにとっても、あるいは我々のような一般人にとっても、良いお手本になるのであろう。試合中のフェアプレーは当たり前として、ファン(ライバルチームのファンも含めて)への神対応ぶり、日頃の言動等々、彼に関する悪い情報はほとんど目にすることがない。たまにマスコミ等で悪意あるコメントをする人がいたら、逆にそういう人の方が非難されたりする。計算された演技として優等生ぶったとしても、そういうのはすぐに見透かされるものであるから、彼の場合はあれが生来の立ち居振る舞いということなのであろう。若いながら素晴らしい。よほどに親の躾が良かったのであろうと感心するしかない。

次に審判団の話になる。どんなスポーツであれ、審判は強力な権限を持っている。判定を覆して重たい処分を下す以上、それなりの説明責任がある。サッカーであれば、先のW杯でもVARが導入されて、客観的なチェックが行なわれるようになった。例の「三苫の1ミリ」についても、VAR判定は当然に行なわれたし、FIFAからも公式見解が発表されている。本件についても、大会運営側は、きちんと各方面が納得できる説明を行なうべきなのであろう。

ティーンエイジャーのボールガールを責めるのは過酷かもしれないが、厳しい審査で選ばれて出場する以上は相応に責任のある仕事である。いくらプロが返球したボールとはいえ、直撃されて泣くとか、ちょっとみっともないし、意識が低いのではないかと言いたくなる。自分のせいで、試合結果が変わってしまったことに関して、彼女はどう考えているのであろうか。是非、彼女自身のコメントを聞いてみたいものである。

今回の件で、いちばん「?」と思ったのは、執拗に失格を主張して判定を覆らせた相手ペアである。ブズコバは、最もスポーツマンシップにのっとってプレーした選手に贈られる「カレン・クランツキー賞」を20年にWTAから受賞した選手だそうであるが、彼女にとってのスポーツマンシップというのは、相手方を非難したり、足を引っ張ることと相容れないわけではないのであろうか。

どんなやり方であれ、「勝ちは勝ち」という考え方もあるが、プロのアスリートとしては、「勝ち方」も問われるべきであろう。「尋常に勝負」をして勝ってこそ価値があるし、プロとして称賛され、市場価値を高めることができるのだと思えば、今回のような勝ち方は、いかにも姑息であり、市場価値を高めるのとは逆の作用しかしないように思われる。結局のところ、準々決勝で敗退しているし、あまり格好が良くないという気がする。

プロ・スポーツというのは、所詮は「興行」、つまり「見世物」である。勝ち負けは当然に重要であるが、ふだんの立ち居振る舞い、選手としての佇まい、評判まで含めての総合評価によって、プロ選手としての市場価値、つまり「見世物」としての「値段」を決める。

そういう意味では、加藤未唯も、抗議で勝ったブズコバ‐ソリベストルモ組も、どちらもあまり誉められたものではないと思うし、ジャンルは異なるが、MLBの大谷選手の爪の垢でも煎じて飲むべきなのであろう。


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