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クィーン&アダム・ランバート(@京セラドーム)について

中学生の頃、僕は、クィーンのファンであった。

当時のクィーンは、正統派ロック・ファンの男の子たちからは、色物芸人的に軽く見られる一方で、ふだんあまり洋楽を聴かないような女の子たちからは、アイドル的な扱いを受けているという、ちょっと微妙なポジションにあった。少なくとも、後世になって、「伝説のロック・バンド」なんて呼ばれるような存在になろうとは、当時はおそらく誰も(本人たちも含めて)思っていなかったはずである。

洋楽を聞き始めて、まだ日の浅かった僕は、予備知識があまりなかった分、世間の彼らに対する偏見にあまり影響されることもなく、当時ニュー・アルバムとして発売されたばかりの「オペラ座の夜」をFMラジオで聴いて、なんだかよくわからないけど、これはすごいバンドじゃなかろうかと衝撃を受けたのを覚えている。で、「オペラ座」から始まって、デビュー・アルバムまで遡って聴き漁った結果、すっかりクィーンにハマってしまったのだ。

彼らの楽曲の特徴である、ギターやコーラスの凝った多重録音は、初期の頃のアルバムでもその片鱗は見られるし、いま聴き返してみても、やはりクィーンは最初からクィーンだったのである。「ノー・シンセサイザー」なんてクレジットをわざわざ表記するところからも、彼らは基本的には、スタジオにこもって職人芸的にこだわったアルバムづくりに精を出すタイプのバンドであったのは間違いない。しかしながら、世に出るタイミングが悪くて、デビュー・アルバムは、ちょっと遅れてきたハード・ロック、2作目の方は、これまたちょっと遅れてきたプログレ・ロックという印象を持たれたのは確かで、当時は彼らの音楽性を真正面からきちんと評価するような機会にあまり恵まれなかった。

ビジュアル面も災いしたのかもしれない。男なのにメイクをして、ヒラヒラ、ピチピチなステージ衣装という彼らの外見は、デヴィッド・ボウイとかマーク・ボランに代表されるグラム・ロックのパクリみたいだと言われた。クィーンというバンド名も同様である。LGBTQに対する理解などまだ一般的ではない時代であるから、気色の悪いもののように偏見の目で見る人たちが少なくなかった。フレディー・マーキュリーのエキゾチックというか明らかに白人ではない容姿も当時は「異形」というか悪目立ちした。少女漫画から飛び出してきたようなロジャー・テイラーのルックスも、正統派ロックを愛好する男の子たちのポジティブな評価材料とはならなかった。

3枚目のアルバムで、「キラー・クィーン」がヒットして、ようやく注目されるようになったものの、音楽性でちゃんと正当な評価を受けるようになるのは、4作目の「オペラ座の夜」以降である。それでも、日本と英国でようやく売れるようになったというレベルであった。

5作目は、「Somebody to love」みたいな佳曲も含まれているものの、4作目の続編みたいで、あまり目新しい印象はなかったし、米国での評価が定まるところまでには至らなかった。

クィーンが米国でも売れるようになって、世界的なビッグネームとして押しも押されぬ存在になったのは、6作目からである。そこから先は、初期の彼らの持ち味である凝った楽曲づくりは影を潜め、米国市場を意識したキャッチ―でコンパクトかつシンプルな楽曲づくりに専念するようになっていく。クルマ社会の米国では、当時は、FMラジオで流されるようなシングル・ヒット曲がたくさん出せるようになることが成功の必須条件であったからである。「ボヘミアン・ラプソディ」みたいな長くて凝った楽曲よりも、3分くらいの尺のわかりやすい楽曲の方が、単細胞なアメリカ人にはウケるのだ。

僕がクィーンを好んで聴いていた時期は、この頃までであり、商業的な成功と引き換えに、僕が好きだった4作目あたりまでの「クィーンらしさ」が失せてしまったクィーンに対しては、ちょっと裏切られたような複雑な感情を抱いたことを記憶している。

と、ここまで書いて、前にも同じようなことを書いたのを思い出した。

今回の来日で、クィーン&アダム・ランバートのコンサートを聴きに行ったのは、実は、あまりたいした理由はない。ここまで書いたように、クィーンに対しては、もはやさほどの深い思い入れがあるわけでもないからである。

でも、ブライアン・メイも、ロジャー・テイラーも、既にかなりの高齢者だし、この機会を逃したら、生きている姿を見る機会は再び訪れないのではないかと予感したからである。不謹慎な言い方になるが、プレ「お別れの会」みたいなものである。

セット・リストは、誰もがよく知る鉄板のヒット曲ばかり。フレディー・マーキュリーが亡くなったのは、もう30年以上も前、91年のことであり、それから新曲は基本的に出ていないわけだから、聴いたことのない曲なんか、そもそもあるわけがないのだ。

周囲の観客も、普通のロック・コンサートに比べると、かなり年齢層高めであることは否めず。女性比率がやや高めな感じであった。彼女たちは、きっと世界で最初にクィーンに熱狂した、元「70年代の女の子」たちなのだろう。彼女ら以外にも、クィーンの現役時代を知らないような若い男女も大勢いたし、クィーン現役世代の親とその子どもといった組み合わせも少なくなかった。クィーンのファン層が、きわめて広範な世代にわたることの証左であろう。例の映画の影響も否めない。実は、僕も長女(30代)と一緒に聴きに行ったのであるが……。

座席から見たステージ

ライヴの中身については、僕が説明するまでもない。安心安全、些かの危なげも意外性もない、ヒット曲のオンパレードである。サポートメンバー3名も含めて、演奏の方も安定感抜群、パッケージ化されたショウを見せられているような感じである。それでも、一瞬、音響装置の調子が悪くなった場面があったのだが、すぐに回復したので、大勢に影響はなかった。来日した海外の大物アーティストのコンサートで、ああいうのに遭遇するのも珍しい。

今回のライヴで、印象に残った曲を敢えて挙げるとすれば、「I was born to love you」である。「Bicycle race」から、ほぼ切れ目なく始まった、最初のフレーズをアダム・ランバートが歌い出した刹那、なぜだか知らないけど、思わず涙がこぼれそうなくらいに感動した。理由はわからない。この楽曲は、オリジナルはフレディー・マーキュリーのソロアルバムに収録されていたものであり、彼の死後、アレンジを変えて再録音した結果、クィーンの代表曲の1つのような扱いを受けるようになったものである。僕の中で、フレディー・マーキュリーとアダム・ランバートがシンクロして、フレディー・マーキュリーが降りてきたように感じたのかもしれない。

あとは、「Somebody to love」か。フレディー・マーキュリー追悼コンサートでジョージ・マイケルが歌った同じ楽曲の名演がよく知られていて、CDにも収録されているし、YouTubeでも見ることができるが、僕にはジョージ・マイケルよりも今日のアダム・ランバートの方がずっと良かった。

アダム・ランバートのヴォーカルを生で聴くのはこれが初めてであるが、声域、声量ともに申し分がない。ある意味、フレディー・マーキュリー以上である。フレディー・マーキュリーは調子の良いときと悪いときの差が大きかった。ただし、波があるから人間臭いという言い方もできる。ゾーンに入れば、ライヴ・エイドで見せたような神がかったステージも見せてくれるからである。一方、アダム・ランバートはサイボーグみたいに完全無欠であるが、無機質な感じは否めない。

他のメンバーの演奏も何も問題ない。どこをどう取っても特に瑕は見当たらないし、先ほども書いたとおり、プロの手になるパッケージ化されたショウとして、堪能させてもらったと言える。

ただし、同時に、これは果たして、現役のロック・ミュージシャンの演奏の範疇に含まれるものなのかなあという考えも持ってしまった。

91年に、フレディー・マーキュリーが死んだ時点で、現役のロック・バンドとしてのクィーンの歴史は、一旦、終了しているのである。それ以降の彼らの活動は、現役時代の回顧にすぎない。別の言い方をするならば、ブライアン・メイ、ロジャー・テイラーという2人のクィーンのオリジナル・メンバーが含まれてはいるものの、繰り返し繰り返し、往時のコピーを演っているにすぎないし、彼らのライヴは、アーティストとファンによる「同窓会」のようなものになっている。

そういう意味では、たとえコピーでも、いやコピーだからこそ、ファンは安心して聴けるというのもある。ショウとしての、「予定調和」の世界だからである。もしクィーンがまだ現役ミュージシャンとして、過去の彼らの演奏に飽き足らず、どんどん進化させ、昇華させ続ける努力を怠らなかったとしたら、どうであろうか。評価する人たちも一定数は存在するだろうが、昔を懐かしむファンはそうした彼らの努力を否定してしまう可能性がある。

昔、レッド・ツェッペリンが、一夜限りの復活ライヴを演ったことがある。07年12月のことである。その時の演奏は、CDやDVDでも聴くことができるが、昔の現役だった時代の彼ら自身のコピー・バンドのような演奏であった。安全運転であり、大きな破綻もなかったが、冒険も発展もない無難な演奏という感じがした。でも、それは大多数のファンが大喜びして安堵してくれる演奏なのだ。現役時代の彼らのライヴは、延々とインプロヴィゼーションを繰り返し、同じ楽曲でもステージごとに全然別物のような印象を与えたという。奇跡のような演奏もある一方で、破綻寸前のハラハラするような演奏もあったに違いない。でも、既に現役ではない彼らにとっては、危険を冒してそんな冒険をすることなど思いもつかなかったに違いない。それに、彼らのバンド・サウンドの屋台骨たるジョン・ボーナムもいないのだ。息子のジェイソンも良いドラマーだし、親父のコピーは完璧にできるかもしれないが、所詮はコピーはコピーである。不世出の天才ドラマーだった親父の代わりは務まらない。

フレディー・マーキュリーが亡き後、ジョン・ディーコンも隠遁生活を送って久しい、今のクィーンもそれと似ていると言ったら、言いすぎであろうか。

「本家公認」の世界最高のクィーンのコピー・バンド。そう思って聴けば、間違いはないと思う。

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