万年氷河期女の話

「法華経を信ずる人は冬のごとし。冬は必ず春となる。」

有名な御書の一節で、婦人部の大好きな言葉です。
その言葉を胸に、たとえ報われないまま永遠につづく努力の日々であろうと生きていけるほどの希望のパワーフレーズです。
それに基づいた利他の実践に生きる姿を、私は否定するものではありません。それはきっと生命力にあふれ充実した満足に満ちておるでありましょうや。

しかし、ソーカは広い。
それは違うだろ・・・と言いたくなるようなタイプの人もいます。

私はその人を心の中で「万年氷河期女」と呼んでいました。(仲のいい人にこっそり話すと「ほんとソレw!」と大ウケして頂けるムードで、決してそのような人がソーカの主流なわけではありません。が、どこにでもちょいちょい居るタイプです。)

彼女の考えは、冬のごとし。「冬」が「春」になるのなら、「冬」であることが「春」になる条件であり、法華経の行者は「春」であってはならず、ずーっと「冬」でなければならない。つまり氷河期。さらに「難来るをもって安楽」が追い打ちをかけ、末法の法華経の行者は必ず迫害されるのだから、迫害され嫌われて、それに耐えていなければならない。彼女にとっては、楽しそうに生き生きと活動をしているような人は、迫害されてないし幸せそうだから「法華経の行者」ではないわけっす。( ̄(工) ̄)

彼女の入会は、子どもさんの病気が原因でした。三人のお子さんのうちの一人が、幼少期にとある病気にかかり「後遺症が残るから普通に就職とかは出来ない」とお医者さんに言われていたそうです。子どもさんはその後、言われていたような後遺症もなく健康に育ったんですが、就職が数年後に近づいた頃、「就職は出来ない」というお医者さんの言葉が彼女を不安にさせたのでしょう。それで、お子さんの健康のため、就職のため、ソーカに入会し信心を始めたんだそうです。旦那さんは大反対。でも、お子さんはその後、無事に就職をすることが出来ました。彼女にとっては功徳ですよね。

そこで確信を得たのかなんなのかは知りませんが、それ以来えらく強気になり、お子さんらに「信心しないなら出て行け!」と信心を強要し、ついには三人のお子さんを全員ソーカに入会させたんです。旦那さんは、子供の意思を優先すべきだと常々言っていたらしく、入会を強要したことに激怒しました。が、彼女は負けることなく、逆に旦那さんを追い出してしまいました。
彼女にとっては功徳で子どもの健康が保たれているわけだから、子どもがソーカに反抗したり、退転したりするようなことがあれば福運が消えてしまう、子どもの身に結果が現れてしまう・・・子供のためなんだ!と考えていることでしょう。

そんな彼女が白ゆり長をやっている地区に、私は引っ越してきました。
彼女は、私が前の地区でバリバリにやっていたのを知っていましたから、「後継者が現れてくれた、あなたの力を貸して欲しい、人材を育て上げるのが私の使命♪」ってな感じのことを言って喜び、週に一度のペースでうちにやってくるようになりました。

夕方になると彼女はやってきます。

まだ子供のご飯もしてあげてなくてー、これが終わったら一度会社に戻らないといけないしー、その後にまた会合があってー、ホントに死ぬほど忙しくてー、頭が変になりそうなくらい大変でー、かっぱさんの力を貸してもらわないとー、本当にこの地区の人はみんなダメだからー、でも池田先生には絶対に勝利のご報告をしなきゃいけないしー、でもホントに大変でー・・・・

それが30分くらい続くんです。「時間がない。忙しい。」を連発するわりには洗い髪のシャンプーの香りもします。
バリバリに活動をしてるのかというと、そうでもないんですね。会合には必ず遅刻をしてきて、かつ洗い髪のシャンプーの香り・・・というのが定番スタイル。会合の後には幹部を相手に延々と「ホントに大変でー、忙しくてー」をやる。婦人部の会合は21時には終わるんですが、その後23時頃まで一人で愚痴ってた・・・なんて話をよく耳にしました。

私が新聞長をはじめたとき、地区の基数を決める会合がありました。
基数というのは、年間を通じて使う新聞の販売目標数のことです。それは、毎年1ずつは上げなくてはいけないという習慣があるんですね。なぜかというと「進まざるは退転」だからです。停滞は退転。目標は上げていかなくてはならないわけです。

私はその頃まだバリっとしてました。そして同じ頃、地区に活動家の夫婦が引っ越してきまして、長期購読を5つも持って来てくれたんです。デフォルトの購入数が5上がるわけですから、6はあげなくてはいけない場面です。基数が6アップなんて、なんと優秀な地区でしょうか♪

しかし、彼女は基数の現状維持を主張しました。
仏法は勝負です。やると決めたからには勝たねばなりません。ということは、やると決めないでいてくれれば、勝たなくてもいいでしょ?
そんなことを言っておられましたねえ。「仏法は勝負」を逆の意味で使う人を初めてみた瞬間でした。

ちなみに彼女はいま、地区婦人部長に出世して、頑張っておられます。

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「冬は必ず春となる」。それは確かに希望でしょう。
しかし、その希望を掴めたなら、冬に耐えることすらすでに希望でしょう。不幸や苦労や犠牲をアピールする姿は、「言われた通りにやってるだけ」なのであり、さらには「言われた通りにやってる自分には見返りがあるはず」という甘い取引の精神があるわけで、きちんと希望を掴めていないわけです。

あまり好きなタイプの考え方では無いのですが、形を整えれば中身もいつか満たされる、かもしれません。しかし、形が整っていないことには、気づかなければなりませんよね。そこに師匠と弟子という関係の意味を見出すことは出来るかもしれません。しかし、残念ながらソーカの師匠って、形が整ってないことを教えてくれるとは考えにくいところが多いですよね。永遠さまの「広布に生きる尊い皆さま」だとか「健気な母よ」だとか「最後に勝つ」なんてセリフはまさに万年氷河期タイプをターゲットに励ましてはいないでしょうか。

ソーカのテーマは菩薩行のはずですよね。自分だけが悟りをひらいて救われるのではなく、人を救い、さらに人を救う人を増やしていく。それは永遠の菩薩行であって、自身の成仏も永遠の彼方にある。ということは、菩薩にとって、菩薩行がイコール所願満足を意味するわけですよ。今に生き切るのが菩薩でしょう。菩薩は「最後に勝つ」のではなく「今、勝つ」んです。そんで、ソーカにおいて、「今、勝つ」という現在に完結する信心が出来ない理由って、本当は無いんですよね。出来るんですよ、教義的にも。ただ、販売活動やら政治活動やら、要らないものが沢山くっつきすぎていて、ソーカがあることによって逆に困難になるんですよね。「拙きもの」を助けるため、助け合うための組織として考えたとしても、あまりうまく機能はしてない組織だなーというのは率直に思います。万年氷河期ちゃんを見たって、全員凡夫状態で、軌道修正も効かないわけですから。はい。

ま、そんな話です。


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