"い"るんだよ

 ひぐらしのなく頃にが再アニメ化でまさかの別ルートとは。まだ全部は見れていないのだけれど。

 自分がひぐらしを知ったのは第二期放送前くらい。慌てて原作やっていたらアニメに追いつかれたのを覚えてる。でもこれはリアルタイムでも何でもなかった。
 自分にとってのリアルタイムは「うみねこのなく頃に」だったんだと思う。


 うみねこのなく頃には「アンチファンタジーvsアンチミステリー」という煽り文があり、親族会議が行われている嵐の孤島で起こる殺人事件に対し「そもそもミステリーなのか」から推理するゲームだ。そして4層という複雑なメタ構造にもなっている。しかし一番上の層はリアルタイムでしか観測できないものだ。ひぐらしにもきっと同じような3層目があったのだろうけれど、想像することしかできない。

 一番下の層はゲーム盤の層で、ここで殺人事件が起きる。基本18人が嵐の孤島に閉じ込められ、最初の晩に6人が殺され、次の晩に2人が、その後もどんどん殺されて最終的にはだいたいみんな死ぬ。
 孤島に集い、みんな死ぬところまでが1話となる。次の話はまた集うところから始まり別の展開をするのだ。

 その上の層では主人公が魔女を相手に殺人事件の真相を推理する。魔女は不可解な事件を魔法によるものと主張し、動機を魔法の儀式だとする。
 主人公は「自分の家族が魔法なんてわけわからないものに殺されたわけがない、魔法なんて存在しない」と信じて、人間のみで説明可能なトリックを推理していく。しかしここには、人間で説明可能なら親族の誰かを殺人犯にしてしまうというジレンマが存在する。

 そのもうひとつ上の層ではゲームを観戦する存在がある。犯人側の手札もある程度見えているこの層では退屈でないことが優先され、2つ目の層で主人公がやっと見つけたトリックの可能性をいたずらに否定することもある。

 そして最後の最上層は、プレイヤーたちが集う掲示板、そして作者である。


 「うみねこのなく頃に」は同人ゲームであり、作者とプレイヤーの距離が近かった。公式で推理掲示板が用意され、作者はそれを前提に作品を組み立てた。夏冬のコミケで1話ずつという間隔もあり、推理する時間はたくさんあった。

 この掲示板で議論されるは殺人事件のトリックや犯人だけではない。作中に登場する財宝の在処を示す怪文書を解こうとする者もいれば、主題歌の意味深な歌詞「愛がなければ視えない」をヒントにしようという者も、それぞれにスレッドを立てて議論した。
 そもそも全てがファンタジー、あるいは一部がファンタジーなのではないかという主張もあった。ならばミステリーはリアルなのか、隠し通路や未知の薬物の否定、高度な装置の不在保証はファンタジーではないのか。我々はミステリーにしたいのではなく、ファンタジーにしたくないからミステリーとして推理しているだけのアンチファンタジーなのではないか。そんな哲学的な問いが始まることもあった。
 ゲームデータの右代宮戦人の立ち絵の名前がbattler(戦う人).jpegでなくbutler(執事).jpegであることから、当主の孫ではなく使用人の子供なのではないかという説を出す者までいた。たしか違ったのでたぶん誤植かミスリード。


 第1話が終わった時点では、情報がまだ少ないながらも使用人がグルなのではないかという説が主流となっていた。当主が魔法に傾倒し狂っているため、洗脳に近い教育をされた使用人も死を厭わずに協力したのだと。

 しかし続く第2話では、その推理をあざ笑うかのように最初の晩に6人の使用人すべてが殺されてしまう。これで使用人はシロになったのか、いや第1話と残った者が違うから犯人も同じとは限らない、1話でも2話でも書斎に引きこもる当主はどうしたんだ、そもそも生きているのかと議論はまた盛り上がった。続く3話以降も同じである。


 この掲示板におけるプレイヤーの交流と、作者との戦いが一番上の層である。作者側も、掲示板の推理が進んでいるからと、6話で明かされる予定だった情報を3話や4話で明かすなど、作品を変化させることで応戦した。
 推理の正解を認めた上で、それを飲み込んで謎を提示してくる。読者の反応を受け、それに引っ張られることなく、引っ張り返す。

 あれはまさしく作者と読者の戦いだった。
 完結した今となっては、存在しない。

 それでも確かにそこに"い"た。

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