部長の席に女の人が座っている

※とある地方新聞社の整理部。1カ月の休職が明けて出社した部長(元男)は女の人になっていた。そんなこと誰一人知らされていなかった部員たちは動揺するが…


<第1話>

部長が女になった。

事情は知らない。
昼過ぎ、いつものように出社したら、部長の席に女の人が座っていたのだ。

異動があったのではない。
いつものように出社したら、部長の席に女性がいて、ずっと前からそうであったように電話をし、書類に目を通し、メールやラインワークスをチェックしている。

流れるように。

どこに何が置いてあるか、ずっと前からその席は自分の場所だと知っているが如く熟知しているのだ。

人違いではない。

目が合ったら、少し聞き覚えのある声で挨拶された。

「おはよう」
「?…おはよう、ございます」

この女の人が部長なら、部長に先に挨拶させてしまった俺は社会人として如何なものかとは思うが、とりあえず「ございます」をつけて返す。

いやしかし、確かに見た目は女だが、声がなあ。
それに、面影的にも、どこかで会ったような。
まさかとは思うが…

部長は1カ月近く療養のため休職しており、その間は局デスクで前の部長だった千川さんが臨時の部長としてこの部を預かっていた。
それは先週までのことで、今日から前の部長の等々力さんが復帰するとは聞いていた。
だが、ここにいるのは女の人、いや、女の服を着た人だ。

なぜだ。

「来週から等々力さん戻ってきますね」
「いろいろ報告せにゃならんことも山のようにあるが、とりあえず戻れるまでに回復できたようでよかったよ」
「でも、結局なんの病気だったんですかね」
「…実は、部の誰も知らんのだよな、俺も含めて。それとなしに局にも聞いたんだが…まあ、そういうのは個人情報中の個人情報ってのは分かるんだけどさ」

先週の金曜、帰りがけの成増部次長とこんなやり取りをしたのを思い出す。

しかし今、目の前にいるのは面影こそ等々力さんには似てはいるが、女物の服を着た女の人だ…
ガタイ的にはやや硬めには見えるが。
あんまり凝視しちゃあいけないが、つい胸にも…目がいってしまう。

頭の中に「女装」とか「男の娘(おとこのこ)」という単語がよぎる。

「部長」の斜め前の席にはいつものように庶務係の美和子が座っていて、新聞架に掛ける他紙を綴じている。

部内を見渡しても40人ほどの部員のうち、明けや休みの者、夕方出社のニュース面担当と出張で不在の者といった十数人と、遅刻魔の貞夫以外は地域版と朝から来ている特集面のメンバー含む「この時間」の全員が揃っていて、人数的には普段と変わらない様子だ。

とりあえず今日の自席に移る。

左隣の靖子は既にPCを立ち上げ、眉間にシワを寄せて写真の処理をしている。
斜向いの圭佑は席にはおらず、コピー機の前で選挙の分厚いファイルを開いている。
背中合わせの裕二はすでにどこかの支局と電話中だ。
向かい側の加奈子だけはいつものように除菌シートでキーボードを拭いている。
右端のデスクの栗橋は他紙を広げ、左端には毎度のようにスマホでスマートニュースを読んでいる蓮田のおっさんがいる。

2つ並べた事務机。
向かい側にも相対するように2つ並べてあり、その4つを左右から直角に挟むという配置だから、一つの「島」で6人が業務をすることになる。
その「島」が5つあり、合計で30人分。
残りは部長や2人の部次長、さきほど新聞を綴じていた庶務係が使っている。
ローテーション職場なので部員全員が揃うことはないから、机の数は人数よりも少ないのだ。

さて、出社した時点で未着だったのは貞夫だけだから、他の連中は俺より先にあの女の人のことを目にしていたはずだが、そちらをちらちら見るでもなく、数人集まってひそひそしているわけでもない。

だが、空気だけは微妙に違う。

いつもなら出社直後に全力で仕事モードに入ることはなく、業務とは関係のない、昨晩ネットで見たネタとか、来るとき乗った電車の中での出来事といった雑談をしつつ、いつの間にか仕事に入っているというのが常なのに、今日に限っていきなり一心不乱に仕事をしている連中が多い。

まるで雑念を払いたいかのように。

社内の噂話をどこよりも早く仕入れて吹聴する梓になら、この異変のことを詳しく聞けるだろうが、彼女はいつの間にか美和子の隣で、これだけはいつもと変わらず、雑談に興じている。
断片的に聞こえてくる内容は駅前の南武百貨店で開かれている北海道物産展の話だ。
ロイズだのルタオだの言っている。

だが、あんなところで聞くわけにはいかない。
美和子の席は部長から半歩も離れていない丸見えの場所だ。

きょろきょろ見回すが、こんなときに限って話しかける相手が見つからない。
貞夫がいれば一発なんだが…

そうこうするうち「部長」が立ち上がった。

カメラでパンするように、目ではなく首を動かして姿を追う。
「部長」は俺からは一番離れた場所に座っている雪乃のところにゆくと、今日付の朝刊を示しながら何やら話し始めた。
声はあまり聞こえないが、主任で、冷静で知られる雪乃が焦り気味に応じているのが見て取れる。
「部長」と視線も合わそうとしない。

間違いない。
やっぱり変なのだ。
おかしいのだ。
俺は間違っちゃあいない。

変にテンションの上がった俺は完全にキョドってしまい、キーボードを拭き終わった加奈子ににじり寄った。

<第2話に続く>


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