ときめきを渇望

「私たちはこれ以上心の距離を縮めることが難しい」
「忙しい時も連絡を取るような関係でありたい」

そんなこと私が一番わかっている。
分かった上でそれでもできなくて、苦しんでいたこと、相手さまは考えてもないだろうな。
自分はこう思う、あなたはこうしてしまうから、じゃあどうしたらいいかと一緒に考えさせてもくれない文言で「別れましょう」という決断になるのなら、それは仕方が無いことだなと思った。
一度も本音で話せませんでしたね。
「あなたのペースに合わせたい」「別に無理して返さなくてもいい」なんて社交辞令ばかりかえってきていたのは全部心からの言葉では全くなかったんだと改めて思うと、相当くそ。

「これまでの楽しい時間をありがとうございました。」なんてありきたりな言葉ならべた一方的な感想に腹が立った。

どうしてこう、いつも人と心を交わして生きられないのかと絶望しかない。
どこで人生の分岐点があったのか、考えても、そういえば生まれた時からなんかどうしようもなく、世の中に合っていなかった気がする。
私のぐちゃぐちゃの本音なんてさらしても恥かくか、怒られるだけ。

人に感情なんかぶつけたところで救ってもらえたことないし、むしろ傷つくことの方が多かったから、どんなに恥さらしても、心の中で相手を殺して自分で対処して生き抜いてきたし。

いつも神様に心の中で呪いの言葉叫んでいたから、こんなになってしまったのか。
対人関係を避けて、自分の殻に閉じこもりすぎたからこうなってしまったのか。

自分が明かさないんだから、他人が自分の苦しさを理解できるはずもないのに、それでも、それでも、私の不器用さを想像して、いとおしく思い、手を差し伸べて、一歩踏み込めるように背中を押してくれないかと常に相手に期待して待っているだけのバカな私がいるのも事実。それもクソだな。

つくづくバカだな、どうしようもないな。
こんな醜い自分なんてと、まるでさなぎの様に座って部屋から出ずに過ごしていたら、人と関われなくなっていくばかり。

別に孤独は大好き。このままでもいい。
でも、ふと気づいたら消費されてばかりいる日常から抜け出したい~。
このままゾンビのように、働いて、食べて、寝て、働いてを続けて、年だけ重ねていくのはまっぴら。いいように使われたくない。
生きていく理由が欲しいな。私だけの生きる理由。
ときめきがほしいな。
これならって。
なんで心がときめかないんだろう。どんどん昔のあふれ出ていた感情が死んでいく。殺されているのかな。分からないな。

別に人じゃなくてもいいから。夢中になれるものがほしい。
それってなんなんだろう。私にあるのだろうか。
あああ、今日も仕事で21:00を過ぎて、ジムにも行けず、悲しみに過食を選択する人生なんだろうか。抜け出せない。抜け出せない。あ~抜け出せない。

結局は自分で手を挙げる行動力。一歩を踏み出すエネルギーと勇気しか、抜け出す術はないのかもしれない。
わかっていても。



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