展示の片付けと怒りスタンバイ

西日暮里にある、HIGURE 17-15 cas というギャラリーで個展をさせて頂いた。

会場風景

以下、2件は展覧会掲載情報↓↓
(お越し頂いた皆様ありがとうございました)


今回の展示では、色々な人々に協力を頂いた。感謝御礼を申し上げたい。

展覧会では、記事の見出しにもある通り、2mを超える大型のノッポ椅子を展示した。

展覧会の終了後、すぐに作品を運び出す事ができなかったので、近くに住む知人の車庫ガレージに一時的に置かせて頂けることとなり、ノッポ椅子作品達は、会場から外を出て、ガレージへ運び出し、ぎゅうぎゅうに詰めた状態で所狭しに並べられていた。

車庫ガレージの写真。

その作業中の際、その場を通りがかった数人が、
「さっき通り掛かった時見たやつだー」
「もう終わっちゃったんですかー?」
「行けば良かったー」なんて言っていた。近くに住んでいる人たちなのだろうか。


その内1人が「あーでも、ここで見れて良かったぁー!」と車庫ガレージにぎゅう詰めになった作品のノッポ椅子を指差しながら言っていた。

「でもアートってよくわからないしぃ、入らなかったぁー」とも言っていた。

僕はブチ切れそうになった。怒りが一気に込み上げた。

無礼な人々だと思う。
ギャラリーの中に入らず、たまたま片付け中に車庫ガレージに置かれた作品を見れてラッキーと思っているのだろうか。それを見て「良かった」と言ってしまう言動と思考に僕は一切の共感はできない。

作品展示は、照明に照らされ、用意された作品と会場と観客があって成り立つと僕は思っている(勿論そうでない場合もあるが)。

例えば
料理でも、お店があって、照明があって、お皿に料理が盛り付けされる。
音楽ライブも、会場があって、照明があって、音響設備があって、観客の存在がある。

味見前や、レシピ通りに作っていない料理や、冷めてしまった飯を出したい料理人はいなかろう。
控え室や、稽古中での歌を聴いて欲しいミュージシャンもいなかろう。
何か物や味、経験を与える行為には“こうしよう”という前持った準備があると思う。

僕も美術館等の暗い倉庫に入った美術品は見た事が沢山ある。確かに展示されている場と違い、見え方は変わるが、
作品は用意された場で見た方が良い。

とりあえず、その時僕が無礼な連中にした返事は、
「次の作家さんも展示があるので中に入って、見てみてください」と言った。
今回は角が立たぬよう穏便に済ませたが、また似た状況にもしもなったら、穏便に済ませることはしない。
ブチ切れます。


おわり

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