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アイさんの話

今日は終戦記念日ですね。ある方の話から聞いた戦争のときの話、以前日記のように書きとめておいたものをnoteにします。戦争の記憶が風化していく中、切れ端のような話であっても、こうして表に残しておくことが大事なのかもしれないと思ったからです。

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昨日は、ホームに入っている義母を訪ねる。お茶の時間で、いつも仲良くしてもらっているアイさんと同席した。アイさんは93歳。おうちはどちらですか?と尋ねると「渋谷に郵便局があるでしょう?そうそう、宮益坂の。あそこを降りた角」

……あのう、そこ、渋谷駅のロータリーの交差点なんですけど。

ボケてるのかな?と思いつつ話聞くと、向かいは東映の映画館ですぐそばに画材屋のウエマツがあってと、当時の風景はいたってしっかりしている。どうやら本当にその角に住んでいたらしい(ゴントランシェリエが入っていたビル)。地理を確かめる間に思い出が蘇ったのか、渋谷の話をとりとめなく始めたが、やがて空襲の話になった。
 
その日、アイさんが庭に出て空を眺めていたら、飛行機が地面すれすれに飛んできた。パイロットの顔まで見えたのよ。そこから爆撃されて、庭の石に焼夷弾が当たって、大きな音を立てて爆ぜた。危ないから避難しろ!と声をかけられたが、防空壕に行ってみたらそこはもう人でぎゅうぎゅうで、入口に人のお尻が並んでいた。
山手線の少し高くなっている場所に避難して(宮下公園のあたりだろうか)見渡すと、道玄坂が火の海になっていた。当時は歓楽街があって華やかな場所だった道玄坂が燃えているのは本当に恐ろしかったとアイさん。
 
近所で米を隠し持っていた人が、逃げるとき貯水の甕の中に米を沈めた。水の中なら大丈夫だと思ったのだろう。ところがあまりの熱になんとすべて炊き上がってしまった。大量のごはんは、おにぎりになって配られた。その甕の水にいつもボウフラが湧いていたのをアイさんは知っていた。母親や姉は気味が悪いと食べなかったが、アイさんはおなかがすいて食べてしまったという。真っ黒なおにぎりだった。
 
明日、終戦記念日ですね、というとアイさんは即座に、そうね、と一段はっきりした表情になった。思い出話から引き出された老人の話として聞いていたのだが、ひょっとして戦争を知らない若い者に話をしなければと思ったのかもしれない。戦争は嫌ね。その言葉を繰り返した。
 
私の両親の世代は戦中生まれで確かな戦争の記憶はない。アイさんは当時二十歳ぐらいだったというから、もう本当の戦争を知っている人は一握り。祖父母が他界して私もなかなかこのような話を聞くことは少ないので、書き留めておこうと思った。

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アイさんから話を聞いたのは2015年、6年前の話です。そういうことは多いのですが、ホームではあるときからお見かけしなくなりました。

読んでくださってありがとうございました。日本をスープの国にする野望を持っています。サポートがたまったらあたらしい鍋を買ってレポートしますね。