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時には苦さが人を動かすということ

2020年3月11日、東日本大震災から丸9年を迎えました。多くの悲しみを日本にもたらした大災害ですが、あの震災がなかったら私はスープ作家になっていなかったかもしれないと思うことがあります。

2011年の3月11日以降はちょうど今の日本のように、何もかもが自粛ムードになりました。イベントは次々中止になり、街の灯りは(本当に物理的に)消え、鬱々とした気分だけが世の中を覆います。避難所で大変な暮らしを余儀なくされる人々、足りない物資、収束の見込みのない福島原発、何より終わらない行方不明者の救助と捜索。SNSやテレビから重いニュースが絶えず流れてきました。こんな説明しなくても、みんなまだ鮮明に覚えていますよね。

私はそのころ絵を描いていて5月に個展を開く予定でした。当然ながら、のんきに絵など描いていて良いのだろうかと悩むわけです。多くのアーティストはこの時期、自分たちの無力を感じていたと思います。
場当たり的にさまざまな募金に寄付しボランティア活動にも参加しました。でも所詮、素人の手助けは(もちろん決して無駄とは思いませんが)一時限りのものにしかなりません。プロフェッショナルなレベルで人の役に立つことができなければ大きな力にはなりえないという事実を突き付けられました。そう、私は無力でした。しかも無力であるだけでなく、では次の一歩をどう踏み出せばいいのかわからなかった。まるで子供です。

夏が過ぎ、首都圏の暮らしが少しずつ元のペースに戻り始めても、その無力感は抜けないまま2011年が終わろうとしていました。

とはいっても人は(特に主婦は)日々の生活に追われるものです。朝のスープを作り始めたきっかけは、単に残り物の野菜を使い切ろうと気まぐれにスープを作っただけ、それが息子の受験というライフイベントと結びついてなんとなく続いただけのことでした。それでも朝のスープ作りを続けていくうちに、私はなんだか、自分の心の中にあった重い塊が少しずつ溶けていくような気がしたのです。自分の料理が人の体にそのまま入っていって素直に栄養になってくれる手ごたえ。それが目に見えて重ねられていくことが、その時はただ嬉しかったのかもしれません。

あっという間に1年が経ち、目の前には365日のスープ写真が溜まっていました。まとめて発表しようと考えたのはやはり震災以来感じ続けていたあの重苦しさを根本から打ち消したいという強い気持ちがあったのでしょう。1年間スープを作り続けることによって、私はようやく自分自身を信じることができたのです。なにより日々重ねられたスープの写真には生命を感じさせる、明るい力がありました。

2013年春に開いた『スープ・カレンダー展』は多くの方の目にとまり、その後スープ作家へと私を導くものとなりました。

この年齢にして何が自分をこんなに大きく方向転換させたかといえば、もちろん多くの方の支援と好きな料理を仕事にする楽しさだったということに間違いはありません。でも最後の一歩を踏み越えさせたのはおそらくあのときの苦い思いであり、それをどこかで振り切ってもっと多くの人の幸せなくらしに関われる人間になりたいという、成長への渇望だろうと思います。

スープを作り続けてちょうど3000日の今朝は、鶏と新たまねぎのポトフを作りました。10年目の一歩を踏み出す日にスープ作り3000日が当たったことは、自分にとってそれほど偶然ではないような気がしています。

この日に合わせて本も出しました。本の紹介で今日の話は締めたいと思います。初めて料理をする人も無理なく作れて、しかも作るうちに自然に「作って食べること」が身につくスープ本です。どれも、食材の味を生かした体に良いレシピです。タイトルは、すみません、ちょっと長いです。

食べることで自分を大切にし、作ることで人を大切にできる。これが料理の力だ。そんな思いを込めて作りました。

今日も多くの人の食卓に笑顔がありますように。その食卓へ食を運ぶ人たちにもまた、幸せが訪れますように。

2020年3月12日  有賀 薫

読んでくださってありがとうございました。日本をスープの国にする野望を持っています。サポートがたまったらあたらしい鍋を買ってレポートしますね。