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台所の所有権と心のインフラ

天狼院書店で、トークイベントを開いた。このところ私が続けている「ごはんの話を聞かせてください」の一環で、参加者のごはんの悩みを聞かせてもらうという仕立ての会。事前にかんたんなアンケートを取らせてもらい、集まってくださった人の食の悩みを聞いていく。

ほかの参加者から「わかるー!」と賛同があるもの、「えっ、変わってる…」と不思議がられるものなど、いろいろだ。

仕事で遅くなってもなんとか手作りしようと思っているのに、夫がさっさと弁当を買って食べていることに不満を感じている人がいる。
時短勤務をとって家事を受け持つ夫に、子供に添加物だらけのコンビニ食を与えないでほしいと言いたいのをぐっと我慢する人がいる。
食後に家族たちがリビングで団らんしている中でひとり洗いものをする自分に理不尽を感じる人、忙しい妻のかわりに料理しているのに、キッチンに入るのを妻が嫌がるという人がいる。

ここでピックアップしたのは、物理的な問題というより、コミュニケーションの問題かなと感じたもの。
少し前ならこんな悩みはあまりなかった。女性が外で働き、男性も家で食事の支度をするようになった時代の、自分の心の持ちようや相手への言葉のかけかたのノウハウがまだ十分でないから起こることで、要は心のインフラが整備されていないという話だ。

特に、台所の所有権争いみたいな問題は、これからもっと増えてくるのではないだろうか。主婦がキッチンを自分の城にして他の人を受けつけないとか、逆に夫は夫で妻のやり方を尊重する気が全然ないとか。
新参者の夫は合理性で戦おうとするが、妻の慣例には太刀打ちしにくい。どこかの会社でよく起こっていることが、これからは家庭内で起こる。

しかも、家族の話し合いは甘えが出るのでぶつかりがち。力を合わせなくてはいけないのに、不毛な闘いが家の中で起こってしまう。
合理化のために、ときには台所を担ってきた側が自分のやり方を捨てざるを得ない場合もある。そこで必要になるのは、二人がぶつかったとき指針になる、ガイドラインなのかもしれない。

という私自身、なかなかこれまでのやり方を手放せないでいるのだが、最近考えるところあって、ハード・ソフト両面で新しい家庭内インフラづくりをしようとしている。

食という毎日の、そして人生に大きくかかわることを合理性だけでスパッと切ることもできないが、不毛なキッチンの所有権争いを未然に防ぐ手立てを考えることは急務だろうと思う。


読んでくださってありがとうございました。日本をスープの国にする野望を持っています。サポートがたまったらあたらしい鍋を買ってレポートしますね。