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私の読書●小説家志望の読書日記⑳誉田哲也『ヒトリシズカ』

 誉田哲也『ヒトリシズカ』(双葉文庫)を読了しました。
 面白くないことはないんだけど。

 ただなんというか、最近やたらサイコパス系の小説が多いのも不満なんですよね。ちょっと安直。やはり、ふつうの人間の中に潜む心理の深層を穿っていくのが小説、というか文学の務めだと思うんですけど。

 ところでこの作品、巻末の「解説」の挿話が実はいちばん面白かったりして。
「……男たちは、女性をテーマにした物語や作品を飽きもせずに生んできた。小説に限っても、多くの文学者が『男の作家が女性の心理を描こうとすると、どうしても限界がある』といったようなことを繰り返し述べているのに、あえて女性を描き、その真実の姿に迫ろうと挑戦してきたのである。余談になるが、個人的に驚いたのは星新一が確か戸川昌子の文庫解説でこれとほぼ同じことを語っており、そのあとで『しかし、女性の作家は、男も女も自由に描けるのである。不公平なものですな』という感慨をもらしていたことだ。……」

 私は女ですが、女性作家のものよりも圧倒的に男性作家のものを好みます。ただ、古今東西多くの男性作家が女性の描き方に失敗しているなぁとも感じてしまいます。いくつかの例外を除いて。
 女性への憧れ、恐れ、あるいは幻想(笑)がそうさせるんだろうな。そういうところが、男が男である証だったりして。
 現代でもやはり、ある種のステレオタイプのようにしか女性を描けない作家は多いですよね。
 女性が男性を描けるとしたら、それは……母性ですかね?

 一時期、19世紀のヨーロッパ文学をいろいろ読んだんですけど、そこでも女性の描き方にはかなり不満を持ちました。でも、ユーゴー(『レ・ミゼラブル』)とか、ゾラ(『テレーズ・ラカン』『居酒屋』)とか、スタンダール(『赤と黒』)とか、ハーディ(『テス』)とか、デュマ・フィス(『椿姫』)そしてドストエフスキー各作品などは、生きた人間として生き生きとした女性像を描けていた気がします。


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