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【第2章】その41✤王妃マーガレット・オブ・アンジューの思惑

こちらはマーガレット・オブ・アンジューとヘンリー6世の結婚の絵




 この頃、実はヘンリー6世の妻、イングランド王妃マーガレット・オブ・アンジューは、ヨーク家とネヴィル家の支持者を公職から解任し始めた頃で、なんとしてもヨーク家の勢力を剥ぎ取ろうと画策していた時だった。

 当時マーガレット・オブ・アンジューはこんな風に考えていた。

 イングランド王家のみならずフランス王家の血を引き、神に選ばれた正当な血筋を持つヘンリー6世の嫡男、その自分達の最愛の息子エドワードがいるというのに、ヨーク公リチャードが現れ、自分こそがイングランド王として正当な後継者であると噂を振り撒いているとは、こんな厚かましい者には神の裁きが必要に違いない。

 そもそも16歳でイングランドに嫁いで来たとき、伯母であるフランス王シャルル7世の王妃マリー・ダンジューと、そのシャルル7世に謁見した際に、
「そなたの子供はイングランド王になるのだ」と言われ、フランスを旅立ったのだ。そして結婚して8年目の1453年、今から6年前に、やっと念願の嫡男エドムンドが授かったというのに、ヨーク公リチャードのせいで、

「私も息子も未来を片時も安心できない日々が続いているのはどう考えてもおかしいではないか」彼女がそう感じたのも無理はない。

 「もともとイングランドは我がフランス王家から王位を授けてもらっていたというのに、しかも百年戦争では我が王国フランスに負けたイングランドだというのに、最近はこの島国のイングランドも随分偉くなったものだ……」と、マーガレットは苦々しい思いでこの数年を過ごしていた。

 なのでロンドンに5匹の切断された犬の頭が並べられ、その死んだ犬の口の中にヨーク家に対する風刺詩「すべての人が嫌うあの男」という紙を入れるという悪ふざけが行われた時にも、その犯人には褒美を与えたいくらいだと考えていた。

 実際この件を機に、世間にはヨーク公リチャードの不人気が市民に知れ渡り、これはマーガレットがヨーク公リチャードはじめその側近の官位を奪い、マーガレットに忠実な側近達に再び分け与える一つの後押しにもなったからだ。

 ヨーク公リチャードは市民には人気があったが、貴族には今ひとつ人気がなかったのである。

 しかしながら、そのまま権力を取り戻すかに見えた王妃マーガレットでさえも、どうしてもどうにもできない人物というのがいた。ヨーク公リチャードの親戚筋に当たるネヴィル家当主のウォリック伯リチャードだ。ヨーク公リチャードの妻セシリー・ネヴィルは、ウォリック伯リチャードの叔母に当たる。ヨーク公リチャードは両親を共に失い、子供時代にこのウォリック家に引き取られ、ウォリック伯リチャードの父であるソールズベリー伯爵リチャード(セシリーの兄)とは兄弟のように育っていたのだ。

 このウォリック伯リチャードという男は誰もがうらやむ戦略的に価値のあるカレー総督の地位を手に入れていた。というのもこのウォリック伯家というのは当時のイングランドにおいてもっとも豊かで強大な貴族であり、またその貴族の中でも大変な家柄を誇る彼は、イングランド内で最も実入りの良いカレー司令官の地位を手に入れ、カスティーリャ王国艦隊やハンザ同盟艦隊に対しては海賊行為を働き、非常なる成功を収め、莫大な富まで手に入れていた。この海賊行為での勝利はイングランドの人々を歓喜させ、貴族のみならず庶民からも絶大な人気を誇っていたのだ。富に勝る、権力はなし……とでも言うのだろうか。だがこのままこの大変な人気者でもあるウォリック伯リチャードを放っておくのはヘンリー王の王家にとっては危険極まりないと判断した王妃マーガレットとその側近達は、ウォリック伯リチャードがヨーク公リチャードと結託して反逆罪を企ていると罪を被せ、この地位からも宮廷社会からも一切追放しようと考えたのだった。

 それほどにウォリック伯リチャードは強大になってきていたのである。そして王家の家柄であるヨーク公リチャードとその大変裕福な彼の結びつきは、王家に対する最大の驚異になるという懸念があったのだ。

「これ以上、ウォリック伯を野放しにはできない」
王妃マーガレットはヨーク公リチャードとウォリック伯リチャードを召喚(しょうかん)することにした。
2人共にその場で捕らえ、牢獄に入れてさっさと処刑してしまえば良いではないか。 

 実際ウォリックは ウェストミンスターに召喚(しょうかん)され、イギリスの南海岸に対するフランス軍の攻撃計画の問題を議論するために召集された評議会に渋々ながら出席したのだが、幸いロンドン塔に閉じ込められる寸前に、危機一髪で逃げ出すことができた。

 ヨーク公リチャードもこれを見越して味方を用意していたため、2人は共に王妃マーガレットの罠にはまる難は逃れたのだ。

 しかし、ここから事態は急変する。

 こうなると、逆にヨーク公リチャードも、そしてウォリック伯リチャードも王妃マーガレットやその側近達をこのまま宮廷にのさばらせるわけにはいかなくなったのだ。

 このままにしておけば必ず反逆罪で捕らえられ、処刑されるに違いない、それも近いうちに……。しかもそれが最終的には百年戦争の天敵であるフランス出身のマーガレットに権力をもたらすことになると考えると、それはイングランド貴族の彼らには耐え難いことだったのだ。それは彼ら2人だけではなく、他の多くのイングランド貴族もそのように考えていた。当時、ヨーク公リチャード以上にイングランドの貴族達から人気がないのはマーガレット・オブ・アンジューだったのである。

 このような経過から、ついに、ヘンリー6世のランカスター家、そしてヨーク公リチャードのヨーク家との薔薇戦争の中でも重要な2回目の戦闘ブロア・ヒースの戦いが、1459年秋に開戦されることとなったのだった。



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