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【第2章】その61✤新たなる旅立ち その1

プランタジネット家の三兄弟。向かって右からエドワード4世、真ん中が弟クラレンス公ジョージ、一番左側が一番下の弟で後のリチャード3世


 激しい戦闘も終わり、6月の戴冠式を待つだけになったエドワードはすぐにでもミデルブルグへ行こうと考えていた。

 妹のマーガレットは母セシリーとベアトリスの待つミデルブルグへ到着し、2人の弟ジョージリチャードはブルゴーニュ公国フィリップ善良公の元へ客人として迎えられていた。

 フィリップ公の孫娘マリー姫は当時4歳、彼女が赤子の頃から最も条件のいい婚姻相手を探していたブルゴーニュ公国としては、当時12歳のジョージと9歳だったリチャードとの縁組も考慮して、この機会に一度品定めをしておきたいという事情もあり、2人を招待したのかもしれない。

 その時マリーが直接彼らに会ったかは文献には残されていないが、マリーは6歳になるまでは両親とエノー南部(現在のモンスの近郊でフランスに近い地域)にある要塞のお城に住んでいた。6歳からは両親はホルクム(現在のオランダ、南ホラント州)に住み、マリーはベルギーのゲントに別れて住むことになるが、4歳のこの当時、祖父のフィリップ善良公が主に居住していたブリュッセルからエノーの城塞は70km程の距離があり、母イザベルは病気がちであり、わざわざこの2人の兄弟に会わせるために4歳のマリーをブリュッセルへ送ったとは正直思えない。

 そもそも当時ヨーロッパで最も裕福な公爵家のマリー姫なので、条件さえ良ければ、マリーの気持ちなどは全く考慮されずに、そのまま縁談は進むことになるわけで、マリーが彼らに会う理由も、また彼らが直接マリーに会う理由もなかっただろう。

 また彼ら兄弟が滞在していたのは1ヶ月か長くても2ヶ月弱という短い期間で、そしてまたヨーロッパでは3月の寒い時期でもあった。この寒い季節に病弱だったマリーの母イザベルが遠出をするとは考えられず、そしてその時まだ4歳のマリーもどこへも行かず、母のそばにいたのではないだろうか。

 さて久しぶりのマリー姫の登場で心は少々浮き立つが、彼女の話は一旦おいて、話をイングランドに戻そう。

 前述した通り、一刻も早くベアトリスを迎えに行きたかったエドワードなのだが、しかしながら戦が終わったからと言って、エドワードに暇があるということではなかった。

 戦に勝利した後には、その後の政治的な足固めも必要で、戴冠式が終わるまでの間はロンドンにある王宮(現在のロンドン塔が当時の王宮だった)を決して不在にしない必要があったのだ。

 エドワードを王に据えることに尽力し、今や「キングメーカー」と呼ばれているウォリック伯は今この大事な時期に、エドワードが例え3日でも、王宮から離れることは許さなかった。その間に誰かが何かを目論むかもしれないではないか。

「あと一歩で王冠がヨーク家のものになるこのときに、どこへ行こうと言うのですか。あなたの父リチャード公や弟君のラットランド伯エドムンド様、そして我が父ソールズベリー伯の死を無駄にするおつもりですか」

 この数年間、何度も王冠が目の前まで来て、そして遠ざかった挙げ句、リチャード公は王にならぬまま、亡くなってしまったではないか。

 それを横でつぶさに見てきたウォリックのこの進言は至極当然のことだった。ヨーク家と常に足並みを揃え、二人三脚で戦い、また親族の犠牲も多かったネヴィル家の全ての苦労があとほんの少しで報われるのだ……あとたったの2ヶ月なのだ……ウォリック伯は今この時こそが、一族にとって実は最も重要な時と捉えていた。

 ウォリック伯はこう提案する。

 「母上のセシリー様や妹君、弟君を早めにこちらに呼び寄せるようにしましょう」

 ウォリック伯にとっては叔母にあたるセシリーは、

「戴冠式が終わるまでは子供達をそちらに送るのは控えましょう」と文に書いて来たと言うが、以前から貴族の中でも美しさや気品の高さで有名だったセシリー、そしてその妹や弟達というヨーク家の健全な家族の面々を、ロンドンの市民に見せることはエドワードの人気に拍車をかけ、またその彼の人気を継続させることに繋がるだろう。

 そう、健康的で美しく若い妹弟を持つエドワードは、長年精神を病んでいたヘンリー王とは違うのだ。エドワードの家族を通して、それをはっきり見せしめることによって、ヘンリー王が王位に返り咲く可能性はますます低くなるに違いない。

「ご家族の皆様をこちらに呼び寄せるのは6月末ではなく、4月の末にしましょう」

 イースターの時期に、エドワードがセシリー達を伴い、ロンドン市内をパレードさせたらどうだろう。この優美な一家を見れば、ロンドンの市民達は熱狂するに違いない!

 ウォリック伯は我ながら良い考えが浮かんだと喜び、エドワードもあとほんの数週間の事ならばと、ロンドンに留まることを承知する他の選択はなかった。

 だがエドワードは一方で、母の手紙に妹や弟達のことは書かれているのに、ベアトリスの事は何一つ書かれていないことにひっかかりを感じていた。

 ベアトリス宛てに手紙を出したが、彼女からの返事は全くない。

 手紙には
「私は今イングランドの国王になる。早くそなたに会いたい」と書いて送ったのだが、あれほどエドムンドを想っていたベアトリスは、今はまだ深い悲しみにふせっているのだろう。

 従者を送ったものの、母セシリーが彼女宛ての手紙も全て受け取り、直接ベアトリスには会えなかったというし、繊細な彼女は悲しみから病気になり床に伏しているのかもしれない。

 しかしエドワードは知らなかった。実はその頃にはベアトリスはミデルブルグにはもういなかったのだ。

 ベアトリスは海を渡ればロンドンから目と鼻の先のミデルブルグから、大陸方向南東にあるリエージュという街へ向かっていたのだった。

 ベアトリスはセシリーと相談し、一人、一族から離れて生きていくことにしたのだった。
 

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