51話の考察(本誌・ネタバレ有)

50話最後の百目鬼のセリフ「俺が犯せば満足ですか」で、51話は地獄展開になると思われたが、さすがヨネダ先生と言うしかない展開だった。23、24話に並ぶ心が揺さぶられる回だと言って間違い無いと思う。


乱暴にできるはずがない

50話の最後を読んだ時点では、51話冒頭で百目鬼は烈火の如く怒り、見えなかった顔は鬼か明王の形相で、矢代はもっと暴力的な扱いを受けると思われた。しかし、予想外にも紳士的に連れていかれ、矢代は車に乗せられる。矢代も特段抵抗もするわけでもなく、すんなりついていく。

家に入っても、百目鬼は矢代を突き飛ばしはしたものの、丁寧に手袋を外し、ネクタイから順番に外して、とても「犯そう」という勢いではない。本気でそう思うなら城戸の部屋でも車の中でもどこでもいいはずなのに、わざわざ自宅に連れてきたのだから、そもそも売り言葉に買い言葉で手荒に扱うつもりなどないのだ。

百目鬼は矢代の本心を解っている故に苛立つ

「今更、形だけ抵抗するんですか」という言葉から、やはり百目鬼は4年前の病院の屋上で矢代の気持ちに気づいており、今も矢代の心は少なからず百目鬼に有って、それで抱かれたがっていると解っているのだろう。

百目鬼の心の中では、矢代への複雑な怒りが渦巻いているはずだ。

自分は矢代を抱いたから、それで矢代を傷つけたから拒絶されたはずだ。だから矢代の元を離れることに納得した。なのに今更抱かれたいそぶりを見せ、そのくせ、いざとなると抵抗するのはどういうことなのか。

今は惚れた男に抱かれても平気になったのか。それなのにまだ誰とでも寝て、相手に望んで犯されるようなセックスを求めるのか。自分にもそうして欲しいのか。

ならば4年前、自分はいったい何のために極道に入ったのか。矢代の簡単には覆せない、百目鬼を捨てざるを得なかった事情と思いがあったからこそ、それを飲んで1人で生きていく覚悟を決めたのではなかったか。

自分は何も変わっていない。4年前も今も、矢代のために生きていくと決めたことに変わりはない。では矢代は変わったのか。変われたのか。変わっていないのか。変われないのか。

自分自身が覚悟して受け入れようとしたものに対して、矢代の中途半端な(と百目鬼には見える)モーションは、苛立ちの限界値を超えさせてしまったのだろう。

刺青は決意と戒めの印

おそらく百目鬼は二度と矢代と寝るつもりはなかったのだろう。矢代を手だけで果てさせ、自分は脱がずに背中を隠し続けたのは、矢代に刺青を見せたくなかったからだ。極道の証である刺青を背中にいれることを、矢代は何より望まないと解っているからだ。

再び矢代と寝れば必ず背中を見せることになる。矢代が最も避けたかったものを自分に施すことで、矢代と再び関係を持つことへの戒めとしたのだ。

それと同時に、ただ矢代を想いながら同じ世界で、極道の世界で生きていく。決して後戻りはしない、という決意の証でもあったのだろう。

シャツで半分は隠れているが、孔雀のような羽、羽衣、背鰭のある鱗からおそらく騎龍天女ではないかと思う。手首が縛られていることから、天女は矢代になぞらえていると思われる。(菩薩かとも推測したが、龍に乗ったり蛇を従えている菩薩は探しても現時点で見つからない)

矢代の怒りと剥き出しの本心

7巻以降の矢代はすっかり牙を抜かれて、以前の甘栗達さえ怯えさせるような凶暴さは消えてしまったのかと思っていたが、矢代は百目鬼の背中の刺青を見て怒った。激昂だ。

感情の波が低く、自分を騙してでも理性的でありつづけようとする矢代が、抑えられない怒りによって、やっと剥き出しの本心を百目鬼にぶつけることができた。

百目鬼を受け入れなかったことで味わった苦しみは、百目鬼を自分から、極道の世界から離して、真っ当で安全な人生を送らせることと引き換えだったはずだ。

大切だった。汚れた自分といることで汚したくなかった。魂が引き裂かれるような思いをしても、危険な世界から守りたかった。なのに何故、どうして。

お互いにこれ以上抑えようのない想い

矢代に怒りをぶつけられても動じない百目鬼は、矢代が刺青を見れば激昂するであろうことは予想していたのだろう。予想というよりも、そうであって欲しいと願っていたのかもしれない。

やっと矢代の剥き出しの本心を向けられた百目鬼が、ずっと抑え続けてきた気持ちにこれ以上蓋をし続けられるはずがない。

百目鬼のキスは4年前と変わらない。強くて、優しくて、情熱的で、溢れる思いを口移しに注ぎ込んでくるような。そして矢代も、自分から舌を絡め、百目鬼の上に体を乗り上げる。今度はただ受け入れるだけでなく自ら思いを返すように。

百目鬼に乗り上がる矢代のポーズは、2022年9月号の本誌の表紙とよく似ている。表紙の絵は、百目鬼が矢代が自分から唇を寄せるのを待っているようだ。

矢代が百目鬼の怒りの中に見ているもの

2巻の葵の件でエレベーター前で煽った時も、51話でも、百目鬼の真剣な怒りに矢代は強い性的興奮を覚えている。50話の最後でも、百目鬼の激昂を待っていたようなモノローグが書かれているが、この自分に怒りを向ける百目鬼に対する気持ちは、記憶のない実の父親への無意識の憧れではないだろうか。

自分を犯した義父と守ろうともせず自分を捨てた実の母に激昂し、彼らから助け出してくれる実の父親。淫行に耽る自分ですら、叱咤してそこから引っ張り出そうとしてくれる父親。

自分に対して真剣に怒ってくれる父親。どんなに自分が汚れていても、見捨てず、真剣に向き合って、助けようとしてくれる人間。百目鬼の中に、求めても絶対に得ることができなかった存在を見ているのかもしれない。

52話の予想

このまま、今度こそ本当に心が寄り添ったセックスになるか、あるいは抗争に関する横槍が入るか。井波が重大情報が入ったと矢代を呼び出す可能性もある。52話が甘ければ甘いほど、さらにその先には最終話に続く過酷な展開が待っていそうだ。

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