イノチのこと
GOGO どんどん行こう!と言われているかのような、ゾロ目な1年がはじまった。
前回のゾロ目(44歳)は、料理教室に通い始めた年だったな。
料理教室には、さまざまな健康不安を抱えた人が集まっていた。
アトピー性皮膚炎のわたしは、癌など命にかかわる病をもった方が多い中では問題は少なかった。
ただ、教室の先生が、病は自らの過去がつくったものだとおっしゃったことがある。
仮にそうだとして・・・生まれつき重篤な疾患がある場合はどう考えるのか。
母である私も無関係ではあるまい。こわくて先生には質問できなかった。
しかも息子が診断を受けていた「ミトコンドリア病」は、医学的にも母系遺伝の可能性が高いといわれていたから、なおさらのこと。
人は生まれたからには必ず、死に向かっている。
そんな「当たり前」は、常に誰にでも意識されているわけではない。
治療法のない進行性の病気。
その意味するところは親の寿命より先にやってくるであろう、我が子の死。
できるなら避けたい。少しでも遅らせたいと、これも当たり前のように思って、息子の在宅生活ではいろいろな機器にお世話になった。
経鼻経管栄養はうまくゆかず、点滴並みの速度でミルクを落とす持続注入器。
痰を取り除く吸引器。
呼吸状態を測るサチュレーションモニター。
「自宅がプチ病室」
Drには反対されたサチュレーションモニターだった。
夜間のアラームで「家族の寝不足」が保証されちゃうと思われたんだろう。
日常的な嘔吐、痙攣、呼吸状態の悪化…
横で寝ていたはずの息子が、朝のぞき込んで息をしていなかったらなんて想像したくなかったし、避けたかった。モニターをつけるのは当然の判断だった。
が、6歳のある明け方。そのモニター警告で私が反応したために、彼は一時的に回復し、
約1日半の時間、寿命をつないだ。
救急受診してからの時間は、ゆっくりと生命の終わりに向かう息子を見送る、家族に与えられた心の準備期間のようだった。
明け方のアラームが鳴らなければ、その時点でスッと静かに、息子は旅だったのではないか。
親が納得するために、つらい時間を過ごさせたのではないか・・・
生への向きあい方も、死への思いも、それぞれ。
だけど、いつまで経っても
「あれでよかったのか」は答えがでない。
わたしにとってのネックはこのモニターなのだけれど、
パパであったパートナーは、脳死状態になったとしても息子に呼吸器をつけたかった。
そして、息子の死からひと月後、9.11が起き、多くの命が看取られることもなく瞬時に奪われた。
息子の死後、ミトコンドリア病はいくつもの研究の中から治験薬が出て、そこにまつわる患者・医療者とのやりとりからまた考えることも多かった…
医療は人間という存在の願いと技術から生まれた素晴らしいもの。
ときにそれは、私たちを自然から引き離すこともあるとも感じてる。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?