おっぱいと男

 町のはずれに、ひとりの男が住んでいました。
 休みの日、男が買い物をしにオリナス錦糸町に行くと、他の人たちは、誰かと一緒に、みんな仲良く買い物を楽しんでいました。
 休憩用のベンチに腰かけた男の前を、みんなが次々と通り過ぎて行きます。誰も、男の方を見ようとはしませんでした。
 男は窓から外を眺めました。窓からは大きな公園、錦糸公園が見えました。そこでは野球をしている人たちがいて、みんなとても楽しそうです。
しばらくじっと、みんなが野球をしている様子を眺めて、男がまた前を向くと、男のとなりにおっぱいが腰掛けていました。
 男はそっと立ち上がり、すぐにオリナス錦糸町を出ました。錦糸公園の前を、早足で進みました。そしてもう大丈夫だろうと思って振り返ると、すぐ後ろにおっぱいがいました。おっぱいは男のあとをずっとついて来ていたのです。
 男が立ち止まると、おっぱいも立ち止まりました。男が歩き出そうとすると、おっぱいも歩きだそうとします。男がうしろを振り返って見ると、おっぱいも自分のうしろを振り返って見ました。前を向くとなんだかじっと見つめてきます。おっぱいがなにを考えているのかわかりません。
 なんであとをついてくるんだ、と訊いても、黙っています。男は知らないふりをして行くことにしました。
 すると突然、おっぱいはぴゅぴゅぴゅとその場で乳を出しはじめました。
 男は驚いて、どうしていいかわからなくなり、思わずおっぱいを抱きかかえてしまいました。
 おっぱいを抱えたまま、どこに行っていいのかもわからず、男はあてもなく町を歩きました。男の腕の中で、おっぱいはただじっとしていて、男が歩くたびにふるふると揺れています。いつの間にか、おっぱいは眠ってしまったようでした。男はだんだんと腹が立ってきました。おっぱいはいびきまでかきはじめました。
 頭にきた男は、川があったので橋の上からおっぱいを投げ捨てました。
はっ、とおっぱいは驚いた顔をしました。川に落ちたおっぱいは、そのままどんぶらこーどんぶらこーと川を流されていきました。
 男は帰りにもりそばでもを食べようと思いましたが、しばらく道をまっすぐ進んでいると、先にある江東区役所の前にずぶ濡れのおっぱいが立っていました。男がやってくるのを待ちかまえています。おっぱいは待ちかまえているのに、男の方を見ようとはしません。
 男も無視したまま前を通り過ぎることにしました。
 しかし、男がおっぱいの前を通り過ぎようとしたそのとき、男の顔になにか生温かいものがかかりました。おっぱいの乳でした。
男が思わずおっぱいの方を見てしまうと、正面からぴゅっとかけられ、乳が目潰しになって、男が手で防ごうとしても防ぎきれない勢いで、男は何度も乳をかけられてしまいました。男は練乳をがけのかき氷みたいになりました。
 なにをするんだ、と怒った男を、おっぱいはすぐに背を向けて無視しました。おっぱいのうしろ姿は、まるでおしりのようです。男を無視したまま、おっぱいはとことこと歩き出しました。
 区役所の入り口の方に向かっています。おっぱいは谷間から紙を取り出しました。よく見るとそれは婚姻届でした。川に落ちたので少し湿っています。なぜか紙には男の名前が書いてあり、その横にはおっぱい、と書いてあるのでした。
 おっぱいは婚姻届をたたんで谷間に戻しました。そして早足で入り口に向かい、おっぱいは役所の中に入っていってしまいました。
男とおっぱいは夫婦になってしまったのです。男はその場から逃げ出してしまいました。
 家に戻って、男がベットに横になっていると、玄関のインターホンが鳴りました。黙っていると、またしばらくして、玄関のインターホンが鳴りました。黙っていると、どんどん、と玄関の扉に何かがぶつかる音がしました。
 男は扉を見ました。また、どんどん、と扉に何かがぶつかる音がします。
 男がじっと黙っていると、扉の向こうにいる誰かも、物音をたてなくなりました。でも、扉の向こうにいる気配がします。
 長い間、男は黙って扉を見つめました。やがて、誰かのいる気配が、扉の向こうから消えました。男は起き上がって扉までいき、覗き穴から扉の向こうを見ました。誰もいないアパートの廊下が、覗き穴の歪んだ視界から見えました。男はなぜか、とてもさびしい気持ちになりました。男はそっと、扉を開けて外を見てみました。
 すると、廊下の端の階段の前に、後姿のおっぱいがいて、こちらを振り返りました。階段を下りて、帰るつもりだったようです。しまった、と男は思いましたが、おっぱいはなにか声をかけたくなるような、とてもさびしそうな姿に見えたのでした。
 扉を開けた男を見て、おっぱいが嬉しそうにこちらに駆けよって来ました。
 扉を閉めなければ、男はそう思いましたが、こちらに駆けよってくるおっぱいの姿を見て、閉めることができませんでした。
おっぱいは男の横をあっという間にすり抜けて、しゅにゅという感触が男の脚に伝わりました。
 振り返ると、部屋のなかにおっぱいがいます。おっぱいは幸せそうでした。
 そのときから男とおっぱいは一緒に暮らしているということです。
 


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