なぜ顔出しをしたのか
誕生日だったのでひとつの区切りとして書きます。
なぜ私が約5年半にわたり隠し続けた顔を出すことにしたのか。
Twitterでは「自撮りは生存宣言です」と言いました。
生存を宣言するため、つまり、自分が他の誰でもない私であるということをわかりやすく発信し、退路を断つ必要があると思ったからです。
顔を出さずに活動している状態について、ずっと嘘をついているような、人を騙しているような、逃げ隠れしているような、後ろめたい気持ちを抱いていました。身近な方々に気を使わせてしまっているなと思う機会も多くありました。
顔を出さない選択をしている絵描きの方も勿論沢山いて、その方々は考えがあってそうされているのだと思うので顔を出していない方全員が嘘つきで逃げていると言っているわけではありません。
ただ私は私に対して、顔を隠しているのはどこかで無意識に逃げているからではないかと勝手にずっと後ろめたく感じてきた、というだけです。
葛藤もありました。作品だけ見たい方には絵描きの顔などノイズでしかないのではないか、顔を見せることで逆に何かを裏切ることになるのではないか、という懸念でいつまでも決断できずにいました。周りの人に必要ないと止められたりもしました。
しかし何よりも、今後絵描きとして表現を突き詰めていく上で、自分がどういう人間であるか、というのは隠すことのできない根幹であると今更ながら強く感じ、決行に至りました。
また、顔を見せながら逃げも隠れもせず活動している方々の気持ちを少しでも理解できる、力になれる自分でありたいというのも理由のひとつです。
顔を出してから1ヶ月弱たった今、やってよかったととても清々しい気持ちです。以前よりも、私の作品を好きと言ってくださる方々と人間同士として関われていると感じるようになり、より一層感謝と愛が増しました。本当にありがとうございます。
戸惑っている方もいらっしゃるかもしれませんが、私にとって「絵描き」であることが大前提であり「作品」こそが最重要なものであることに変わりはありません。その他の要素は副次的な、しかし切り離せない現実というだけです。
生まれ直した青柳カヲル第二章として今まで以上に泥臭く足掻いて、精進していく所存ですのでこれからもどうかお付き合いいただけたら嬉しいです。
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