草の根広告社/秋谷日記(ニコニコチャンネル復旧までの臨時更新)
2015年より草の根広告社を月水金配信させて頂いておりますニコニコは
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そのため、毎週月水金に予定しております配信については、
復旧の目途が立つまでは
こちらでの公開とさせていただきたく、ご理解のほど、お願いいたします。
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「誰もが何かを怖がっている」
誰もが何かを怖がっている。それぞれ怖がっているものが異なる中でそれぞれが違うやり方で身を守ろうとするから話が厄介になってくる。たとえば人家を襲う熊を恐れて隣人が手にした猟銃を「あの人に猟銃を持たせて大丈夫なのか」と恐れる人がいるように、ある人の身の守り方が別の人を怖がらせていくこともある。
誰もが何かを怖がっている。それぞれが自分の大切にしているものをそれぞれが脅威に感じているものから守りたいと考えている。怖がっているものも身の守り方も違う。だが、共通の心根はある。血を流したくない。死にたくない――誰もが何かを怖がっているのは人間に生存本能が備わっているからでもある。誰もが自分の命を脅かす暴力を怖がっている。その暴力に対抗しようとする誰かの暴力が別の誰かにとっての暴力になっていってしまう。誰もが暴力を怖がっているのはわかっているのに怖がっているからこそ暴力を無くすことができないというジレンマ。生存本能がある限り、その対抗策である暴力を完全に捨てることはできないのかもしれない。
だからこそ、できることを考える。誰もが何かを恐れている中で近年強く感じるのは何かを恐れるあまりその恐怖心が「○○は悪魔だ」というような根拠のない言説となって広く流布していくことだ。それは別の誰かの恐怖心を過度に煽り、結果的に暴力となって自分のところにも返ってくる。怖がることを否定はしないけれど、過渡に恐れ過ぎないこと。増幅されたその恐怖で他者の恐怖心を煽らないこと。それだけでも備えとしての暴力は小さくなっていくのではないか。誰かを守るための暴力が別の誰かの恐怖となるケースも減っていくのではないか。そんな風に思っている。だからこそ自分の言葉が誰かを過渡に怖がらせてはいないかと自分で自分を点検する。発言に留意する。
忘れてはいけないのは自分が怖がっているのと同じように相手も何かを怖がっているということ。相手も生存本能で何かを恐れている人間だということ。生きるために怖がっていない人はいないということ。
それぞれが怖がっている相手と「え?何?そっちも怖がってたの?」と笑い合える日が来ればいいのだけれど。
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