09/15-21


09/15(金) 懸垂もジャングルジムで充分だろう

女のひとが「ジムに行くと男に話しかけられてうっとうしい」と愚痴っていたのを見ました。わかりますが、これは前提がまちがっています。
ジムに行く男というのは、すべて女目当てで行っているのであり、それ以外の目的で行っている男はいません。
「いや、いるだろ」とお思いでしょうか。そうですね、純粋に体を鍛えたりダイエットのためにジムに通う男もいるでしょう。でも、いないと断言していいのです。果汁5%未満は無果汁と表示していいのとおなじです。

女がジムに行くのはわかります。朝から夕方まで働いていれば、ちょいとランニングするにしても夜しかありません。暗いなかを薄着でひとり走るのは、なかなか気持ち悪いでしょう。
でも、男はいいじゃないですか、そのへんを勝手に走ってれば。わざわざジムまで行ってルームランナーって。田んぼランナーでいいんですよ、男は。まだおもしろかった頃の「はじめの一歩」でも砂浜を走って鍛えてたシーンがありました。ありました!

ジムはお金がかかります。
お金がかかることで、行かなきゃいけない気持ちになる、運動を習慣化できる…そういう意見は聞きますし、事実そうなのかもしれません。でも、ぼくは疑っています、強めに。
月に何千円か、下手すりゃ一万以上。いいですか?モチベーションを入手するためだけに、そんな額を払う男はこの世にいません。月に数百円ならわかります、そのくらいならぼくも買うかもしれません、モチベ。
でも、実際の金額はちがう。いまの話からわかるように、本来、ジムの適切な月額料は数百円なのです。では残りの不適切な額は、なんのためか?不適切な目的のためです。

ジムに行く男はすべて女目当てである、という醜い現実は納得していただけたかと思います。しかし、ぼくは彼らを責めるつもりもありません。もともとジムってへんなひとたちが行きがちなところですから。

ジムにはいろいろマナーがあるそうです。まぁあるんでしょうね。そのなかに「静かにすること」というのがあるらしい。息づかいとかもダメ。
これ、たとえば映画館で静かにすることが求められるのはわかります。場所の目的上、理由があります。静かにしてないとセリフが聞こえないです。
しかし、ジムのそれは場所の特性から求められているとは思えません。ひとです、そこに通うひとの特性から生まれたルールです。へんなひとたちが「し、しずかにしりょぉっ!」って泣きながらクレームをつけてできた…いや、できてしまった悲しき規則でまちがいありません。

図書館、映画館、ジム、オフィス。
このなかで仲間はずれは誰でしょう?と聞かれればジムくん一択でしょう。
体育館、スポッチャ、ジム、工事現場。
どう見てもこっちじゃないですか、ジムくんが入っていいグループは。こっちは「音を出してこそ!」という仲間たちがいます。オブラートに包んだ言い方をすると、剣道の小手のようなにおいオブラートを破って醸し出してそうなグループというか。

あと、やたら筋トレにハマる男って全員オカマのメンタリティだと思います。スポーツ選手でもないのに過剰な筋肉をつけたがるのは、オカマが女でも使わない過剰な女言葉を使いたがるのに似ています。それにボディビルのコンテスト?ってあれ、スポーツとモデルショーなら後者に近いでしょう。
巨人時代の清原もウェイト取り入れてダメになってましたけど、アレも豆腐メンタルだったし。いまだにドラフトの時のこと根に持ってるらしい。何歳なんやおまえは。


09/16(土) ノムさんがダメだったのは知性が漏れ出てしまうから

阪神タイガースが優勝しました。
野球の良いところは圧倒的なダサさにあります。ユニフォームが垢抜けないし、そのうえ防具も装着するし、挙げ句の果てに木の棒までも。プロ野球に古臭さを感じるとすれば、昭和のおじさんが熱中していたものだからではありません、それでは時空の遡行量が足りない。戦国時代の野武士におびえる村人たちを彷彿とさせるからこそ、古臭く感じるのです。

とはいえ、いつからかプロ野球選手も垢抜けてきました。まだ垢はついていますが、においはまぁそんなにしないかな?くらいには。
そんななかで、阪神の監督である岡田は垢まみれのダサさを維持できていますね。年齢のせいもあるのかな、とも思いますが、同世代である巨人の原辰徳と比べると、ほら。
原は原で独特のダサさがありますけど、種がちがいます。原は垢を取ろうとして失敗する感じがある。垢すりを便器ブラシでやる感じといいますか、垢が取れてもべつの汚れがつく感じ。それにひきかえ、岡田は垢を取ろうともしないし、取れることもない。魂にこびりついている。

しかし、その汚らしさが重要なのです。最重要といっても過言ではない。
監督としてチームを優勝に導いたにもかかわらず、いっさいのスマートさを感じさせない立ち居振る舞い。岡田は2000年代にも阪神の監督をしており、チームも強かったのです。そのくらいの実績があれば、多少は名将の雰囲気が出てしまうものですが、出ないのです。

そして、それがなぜ最重要なのかといえば、阪神ファンが岡田的な垢にまみれた者たちだからなのです。魂が呼応する。
岡田ほどの男ともなれば、優勝という名誉を手に入れた程度では垢抜けません。ただ、ファンはそこまで強固な垢ではないですから、優勝という経験を経てしまうと、ついつい垢抜けてしまう可能性がある。道頓堀に飛び込んでしまうのは落ちかけた垢を取り戻すための儀式なのです。

阪神の核は、ふつうなら敬遠するようなダメさ、汚らしさへの肯定です。岡田がスマートさを感じさせる男では盛り上がりに欠けてしまったことでしょう。

川に飛び込むのも、甲子園でのマナーの悪さも、批判されて当然の振る舞いなわけですが、関西の土壌では「しゃあないやつやで」と批判しつつ包摂してしまうようなところがある。ゆえに、許容されてしまう一方で改善されることもない。
それは関西弁の汚らしさとも関係する気がしないでもないし、川藤と桂ざこばが出ていたモルツの有名なCMも、その感覚を的確に、かつ美しく抽出したものです。汚らしさも大切に抱きかかえてしまうのですから、紳士を標榜する巨人と対立してしまうのも納得でしょう。

岡田の見た目がアレなのが盛り上がりの主要因という話でした。

09/17(日) VIVANTを紐解くキーワードは「駄洒落」「38位」「幽遊白書」「マジカル頭脳パワー」「バカで感情的」「不審者が飛行機」「百田尚樹」「シーズン6」

最終回でした。このドラマ、たくさんのひとが見ていたようですが、見ていないひともたくさんいます。
今日は、そんな世のなかの話題についていけない時代遅れたちのために、学校や会社で話に合わせられる程度のVIVANT知識をぼくが教示いたします。

まずVIVANTの意味からですが、これはただの駄洒落です。「阿部寛が駄洒落に気づく場面の深刻な顔、おもしろかったよね」これ、丸暗記してください。ちなみに阿部の役名は野崎ですが、これはまぁ覚えても覚えなくてもどっちでもいいです。

舞台はモンゴルですね。ドラマ内ではちがいますが、要はモンゴルです。
いま、実際のモンゴルは都市化が進みシャーマンラッパーで盛り上がるへんてこな国になっているそうですが、このドラマではステレオタイプなモンゴルしか出てきません。チンギスハンと遊牧民くらいのイメージで大丈夫。
ちなみにモンゴルロケの半分くらいは荒野か洞窟で撮られています。「モンゴルっつったら…大草原とか地平線だろ!あと馬!」ってディレクターがロケハンADのケツを蹴ってる風景が目に浮かぶ。ADはADで「こんな荒野、日本にもあるだろ…都道府県を発展度でソートしたら38位以下の県にはあるだろ」とケツをさすりながら愚痴っていたことでしょう。
「38位」。もしかしたら会話のなかで出てくるかもしれませんのでこの数字も覚えときましょう。

順序がさかさまになりましたが、主役は堺雅人です。堺雅人のイマジナリーフレンドも堺雅人であり、これは第一話からズッ友です。ちょこちょこ自分自身と話しますが、イマジナリー堺は語気が荒いです。
後半はちょっと疎遠になった感がありますが、幽遊白書の仙水も幽助を殺す直前あたりから人格の変更をしなくなったでしょう。そういう感じです。だからまぁ「幽遊白書みたいな感じ」と覚えてくれてもいいです。ぼくはちがうと思いますけど、あなた方がどうしてもそうやって覚えたいと言うのなら。

堺は対テロ工作員であり、こいつがいろいろ戦ったり敵地に侵入したりします。別班=VIVANTってやつですね。
超人系のキャラなので、銃の腕前は超一流であり、お米の重さを測る能力も持ち合わせています。
超人学校みたいなとこではオールAの成績でしたし、別班の面接に行った際にはクイズバラエティみたいなことをやって「よし、おまえは別班だ!」って即採用されています。「さっきの電気工事士はなにを持っていたでしょうか?」とか「グアムの場所どーこだ?」とか、すぐ答えられますから。
あのシークエンスは、マジカル頭脳パワーの所さんを彷彿とさせる凄みを感じました。「堺!おまえもうマジカル頭脳パワーの所さんじゃん!」は何回言ってもいいです。

ヒロインには二階堂ふみ。
ドラマにおいて、視聴者への説明役やサスペンス(ドキドキ感くらいの意味です)が必要な際、いちばんかんたんな方法はバカで感情的な人間を用意することです。それが今回は二階堂ふみですね、バカ情緒の役。
前半、ぼくはバカ情緒のふみちゃんにいらつきっぱなしでした。ことあるごとに「どおゆうこと?」と質問し、はやくラクダに乗って砂漠を越えないとダメなのに「ウチはこの子を助けたいんや!」とわがままをほざき、日本に到着してやっと落ち着いたかと思いきや「くらうどふぁんでぃんぐ?」って堺に聞いていました。海外で働く医者とは思えないボキャブラリー。ちなみに、後半のバカ情緒を担当するのは二宮くんです。ふみちゃんよりはかしこくてクールになっていますが。
「バカ情緒、前にふみちゃん、後ろ二宮」はい。

そんな二宮くんのウソの父親として役所広司が出ています。堺の本当の父親でもある。
物語上では善のテロリストなんですが、こいつはもうなんていうか落ち武者みたいな風貌です。良く言えば歴戦の剣豪と言えなくもない。しかしいずれにせよ「おまえ、そんな不審者めいた格好で飛行機に搭乗してくるなよ」って感じ。このセリフ、客室乗務員の方は覚えてください。
ちなみに二宮くんも、剣豪の弟子みたいというか、スターウォーズのアナキンというか、邪馬台国の民のような格好をしています。

邪馬台国で思い出しました。
主要な登場人物全員と言っていいほど、初っ端から終わりまでニッポンという言葉を連呼します。悟空のオッス以上、コロ助のナリ未満くらいの頻度でしょうか。最終的にはモンゴルっぽい架空の国に対して同化政策めいた話までする始末。ちなみに堺の役名も乃木希典から取られています。
「熱烈な人気とネトウヨみを感じるストーリー…まさか、百田尚樹が絡んでいるのでは!?」と疑いスタッフをチェックしましたが、いませんでした。このセリフは覚えてもいいですけど、わざわざ言わなくてもいいでしょう。

24ってありましたよね、トゥエンティーフォー。あれに近いです。
愛国心を基調とし、対テロの戦いがあり、主人公は超人であり、味方かと思ったら敵だったり逆もまた然りだったり、何でも屋扱いのハッカーがいたり。
24のシーズン6くらいのおもしろさですかね。シーズン6がどんなのだったか覚えていないですが、たぶんそのくらいの質だと思います。ただ、ちょっと古すぎますから24とは言わないほうがいいでしょう。「シーズン6くらいのおもしろさだったね」。

総評としては、世間の盛り上がりのわりに粗雑なドラマだったと思います。
推測ですが、この盛り上がりは高齢者層を巻き込むことに成功したのではないでしょうか。ふみちゃんの「くらうどふぁんでぃんぐ?」に代表されるように、少なくとも制作側は高齢者層に強めの意識を持っていたのはまちがいない。

だからこそ、先生や上司とのコミュニケーションで話題に上がる可能性大。今日はぼく、みんなのために…いや、ニッポンのためにこの文章を書きました。参考になれば幸いです。


09/18(月) 孫もいないのに敬い待ちみたいな顔しないように

敬老の日って、みんななにかするものなんでしょうか。ぼくくらいの歳、つまり30〜40歳あたりだと、たいてい祖父母は死んでいます。そうなると、いちばん身近な老人は親ということになる。
でもあいつら、父の日も母の日もあるでしょう、おとななのに。子どもでさえですね、たとえばよその家の子があそびに来て夕食を食べさせたとして、一回のおかわりなら「あらあら、食いしんぼうな子ねぇ」と和やかなきもちになれますが、二回も三回もおかわりすれば「ずうずうしい、不作法な育ちしてるわね」となりますよ、世のザマスたちは。

あと身近な老人でいえば、会社の役員なんかにも高齢の方はいますが、敬老の日だからって急に和菓子をあげたりしないですよね。それも「これは上司として敬っているからではなく、年寄りとして敬っているからです!」というきもちとセットでは、ちょっと。

老人ホームでは、なにかイベントをしそうではある。ただそれも仕事でやっているだけですから敬意が込められているかどうかは怪しいものです。風俗店的な、金で買った敬意でしかありません。

誰が老人を敬うのか。敬われるためには、敬ってくれる人間が必要ですが、それは誰なのか。
これ、孫しかいないんですよね。敬老の日になれば、うちの親には保育園に通う孫からお手紙が送られてくるそうです。

当然ながら、父の日や母の日だからといって孫は祖父母に対してはなにもする必要ありませんから、最初の祝日多すぎ問題は回避できます。
保育園や幼稚園に通う孫たちは会社にも通っていませんし、社会人になる頃には祖父母など地獄で炙られる日々です。もちろん老人ホームで働いてもいない。孫たちにとって、身近に存在する敬うべき老は、祖父母しかいないし、祖父母にとっても敬ってくれるのは孫しかいません。

敬老の日は、敬われるのは老人ですが、敬う主体は孫なのです。つまりぼくはなにもしなくていい。そして、孫がいない老人たちに敬老の日は関係ありません。敬ってくれるひとがいないので。
将来、敬われるためには、子どもがいて、さらにその子どもが子どもを育てることが必須。高すぎるわけでもないが低すぎるわけでもない、偶然性も絡んでくるハードルですが、これを越えなければ敬われることなくひとり死ぬのみ。

孤独な老人は、見下されたり軽蔑されたりすることはあると思います。そういう感情は赤の他人でも持てます。むしろ関係性が浅く、よく知らない相手に対してこそ持てるものです。相手を知れば、たいていの人間には敬うべきポイントがひとつくらいあるものだからです。

でも、赤の他人が孤独たちに敬老の意を示してくれることはありません。
近所に話したこともない孤独が住んでいて「あのひと、ちょっとへんなひとっぽいな」と思うことはあっても「あのひとに対する敬いが止まらない…!よく知らないけど…!」とは思いません。

ぼくが年老いた時、老人だからといって敬われることが当たり前だと思わないようにしたい、そう決意しました。いま。50年後の今日、ついつい敬い待ちみたいな顔をしないように気をつけたいと思います。

09/19(火) ヨガの極意をつかんだ

最近ヨガをやっています。教室に行っているわけじゃなく、オリジナルの。

ある作家のエッセイを読んでいたら「毎日3時間くらい調子悪い時があったけど、ヨガをやり出したら万事快調になった」というくだりがありました。
作家のひとですから思索にふける時間が長いんでしょう。ひとはなにかに集中している時、意外と呼吸がおろそかになります。
ぼくも競馬中継を見ている時はほとんど息を吸っていません。馬がゴールしたあとは「ああぁぁぁっはぁっふあぁぁぁぁっ!?ふぅぁっ…ふぅ…はぁはぁ…うぅ…」ってなるので、いつも。

考えてみればあたりまえの話ですが、呼吸をしなければ死にますし、酸素が脳や血液にちゃんと供給されなきゃ調子が悪くなるのも自然の道理。
ラジオ体操で深呼吸をするでしょう。子どもの頃は意味不明でしたが、2回もやる意味がちゃんとあるのです。
そして、ヨガというのは要は呼吸法のことであり、いわば深呼吸特化型のラジオ体操なのですね。

みなさんはヨガと聞けば、いのいちばんにヨガファイヤーを想像するでしょう。それだめ。酸素を取り入れなきゃいけないのにファイヤーはだめ、まわりの酸素を取られてしまいますから。世間からはヨガの代表のように思われているダルシムですが、実はもっともヨガの本質から遠い男なのです。

鼻呼吸が大切なのは基本です。鼻のほうが酸素いっぱい取り込めます。ぼくがヨガ教室の先生になるのなら、生徒たちが口を開くことは決して許しません。ぼくのヨガに言葉はいらないのです。

ぼくオリジナルヨガの基本のひとつは「気が向いた時に深呼吸をする」というものです。そしてそれがすべて、一こそ全。
鼻呼吸で腹式呼吸で深呼吸。時も場所も選ばず、だいたいいつでもどこでもできます。ぼくはいまいち腹式呼吸の意味を捉えきれていないのですが、要はお腹に力を入れたり抜いたりして呼吸すればいいのです。

ここまで説明すれば、みなさんのヨガのイメージが刷新され、ヨガファイヤーも鎮火されたかと思います。ですが、もしかしたらいまだダルシムに引っ張られ「テレポートは?ヨガテレポートは?」などとのたまう輩がおるやもしれません。
なるほどたしかに、ヨガといえばテレポート的なポーズをイメージします。ですけど、はっきり言いますがヨガにポーズは不要です。ポーズをさせたがるヨガ教室は詐欺と思っていいでしょう。
何度も言いますが、ぼくが開発したオリジナルヨガは深く呼吸すればいいだけですし、どうしても身体を動かすこととセットにしたければストレッチしながら深呼吸すれば一石二鳥です。これもわりとどこでもできます。

冒頭に書いたある作家のエッセイでは、くわしいことは書かれていませんでした。ヨガのエッセイじゃないし。なのでぼくのオリジナルヨガではひたすら深呼吸をするのみになってしまいましたが、それで充分です。
深呼吸っておとなになるとやんないでしょう。子どもにはしょっちゅうやらせるのに、おとなのほうが弱体化しているのに。みなさんもぜひヨガという名の深呼吸をやってみてください。ちなみに、いまのところ効果は特にないです。


09/20(水) てんぷらのほうが良いと思う

大阪府が府内の小学校5年生と6年生にガンプラを配るらしい。万博があるから、そしてガンダムのパビリオンを予定してるから、その機運を高めるために。
これ、ふつうに考えればどうかしているニュースです。ニュース記事では「子どもに人気のガンダムをきっかけに万博への関心を高めたい」とも書かれていました。そんな子どもは存在しない。

小学校も高学年になると、ある程度はおとなの世界のことも想像しますし、思春期特有の反抗心や冷笑的なふるまいも覚え出す年頃です。
おそらく、ガンプラが配られることによる効果は、子どもたちの「おとなはわかってないよな」という呆れと諦めが混じった苦笑いを生むだけに終わる。

なんていうか、ばあちゃんがおやつにようかん出してくるようなもので、いやまぁ食うのは食うしうまいっちゃうまいけど、子どもだからってそこまで甘味に飢えているわけでもないし、甘味っつっても子どもへの訴求力が高い甘味ってもんがあるだろう、っていう。

いや、自分でたとえといてなんですが、ガンプラはようかんよりもひどいですね。もっとひどい。
そもそも子どもたちはガンダムを知っているかどうかさえあやしいですから。ていうかぼくも、こないだの「水星の魔女」は見ましたけど、ガンダムなんか子どもの頃から興味ないし世代でもないし、あとガンプラ集めてるやつとかバカにしてるし。さらにいえば女子にも配るわけでしょう、ぜったいにいらないですよね。いらない。

話を戻して、ばあちゃんが出しそうなものでいうと、イナゴの佃煮とか?でもあれは見た目がグロテスクで昆虫食への拒絶感が生まれやすいってだけで、要は佃煮だし、佃煮って味ぜんぶおなじですもんね。だから生理的嫌悪感にさえ目をつむれば余裕で食えるし、栄養もあるし。イナゴの死骸でも、まだガンプラより価値はある。

ちょっといま、ほかにもいろいろ考えましたけど、いちばんかもしれないですね。子どものことをわかっていないおとなのプレゼントランキングのなかで、いちばん。いちばん下。
そりゃガンプラ全盛の頃ならとにかく、いまはきつい。というか、全盛期があったからこそ、そしてなんとなく全盛期があった歴史だけは知っていたりするでしょうから、いまの子どもたちはなおのこと「おとなのずれっぷり」を鮮烈に感じるんじゃないでしょうか。ポケモンにしとけポケモンに。ていうかバンダイナムコ自体が子どもへの訴求力皆無なんだから、任天堂様に土下座してお願いしたほうが良かったと思います。


09/21(木) ジャニーズの話と見せかけて

ジャニーズの性加害問題はつとに知られていたにもかかわらず、けっきょくのところ外圧によってしか事態は動きませんでした。

これ、批判的に言われますけど、すべてにおいて、外圧がなければ日本という国は動かないのです。逆に外圧によって動きすぎる時もあるくらいです。もともとニート的なところがあり、親が死んだからしかたなく働き出すような感じ?で、バイトしだすけど、変に張り切りすぎて学生たちから「バイトリーダー笑」って陰口叩かれる感じ?
でも、それもしかたないと思います。これは日本の始まりから考えても、しかたないのです。

日本という国名の由来をご存知でしょうか。ぼくは学研をやってましたから小学生の頃には知っていましたが、今回は学研のキッズネットでもしっかり確認してきましたので、みなさんにも教えてあげます。

もともと日本は中国から倭の国と呼ばれていました。「倭」というのは「とてもちいさい、ちっぽけな」という意味ですね。たしかに世界地図で見てもめちゃくちゃちいさい。当時は測量技術なんてないですが、なんとなくの勘でもわかるくらいちいさい感があったのでしょう。それくらいちいさい。

しかしこれがですね、1400年くらい前の倭人たちはいやだった、と。「だだだだれがちっぽけやねん!」とシュプレヒコールを叫んでたわけですけど、でもまぁ事実、中国はでかいし、真ん中の国っていうくらいですし、こっちは島だし。
さらにいえば、三国志なんかを読んでもわかるように、向こうはめっちゃ戦ってきた歴史があるんで、戦闘力もあったんでしょう。一方その頃、貝殻とかを集めるのに必死だった倭人としましてはこわいですから、ちいさい身体とちいさい声でシュプレっていたのです。もちろん中国に聞こえないように、です。

「でも、やっぱりちっぽけはいややねん!」ということで、ちっぽけランドのなかでいちばんえらいひと…キッズネットでは聖徳太子となっていましたが、彼が中国のえらいひとにお手紙を書きました。怒られないように、細心の注意を払って、震える筆致で。
それが「日出づる国」という、なぜか中国目線でのアイデンティファイです。倭の国から見たら、太陽って海から出づってますからね、だから本来は変なんですけど、でもしかたない。こわいんで。

このエピソードからは「大陸目線での名前なら、中国はんも許してくれはるんちゃいますやろか?」と、びくびくしているのが1400年後の倭人であるぼくにも伝わります。
使いの者が手紙を渡す前にも「魏志倭人伝、読ませてもらいましたわ!」って太鼓持ちしたり、聖徳太子から習った一発芸(いろんなひとの話を一度に聞くやつ)とかをやったりして、ごきげんをうかがっていたのです。
とはいえ、そういう宴会ノリが功を奏し、なんとか中国のえらいひとにもウケまして、ひのもと…日の本…日本やねん!ピカー!(日が出づってる効果音)と相成りました。

おわかりでしょうか。
日本は、そもそもの国名からして他者視点によって主体化されているのです。外圧に弱いのもやむをえないですし、おもてなしの精神があるというまことしやかな話も、ここからきています。
今日はためになる話ができたので、ぼくも満足です。

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