【著書】ホメオ覚醒編 Part1
こんにちは、シドニーのカオルです。
この本が書きたい!と思ってしまったが為に、人生を踏み外してしまった最初の1冊。
ホメオパシーでスピリチュアルに覚醒した私 覚醒編を無料公開します。
あまりにも、不思議で学びの多いスピリチュアルな旅路でしたので、
1人でも多くの方に伝えたいと思ったがキッカケです。
私のスピリチュアルなるものが、悟りをゴールとしているのは、
この本で書かれている、一瞥体験が理由になります。
まだ、読まれていない方がいらっしゃいましたら、お勧めに一冊になります。
私の本は、文章を読むのではなく、感じる様に読んで頂ければ良いのかなと思います。
私達は、左脳優位の世界に住んでいますが、右脳と左脳、男性性と女性性のバランスの取れた、調和のある世界が理想なのでは、と考えています。
<ホメオパシーで覚醒した私 >
地平線の彼方へ
オーストラリアの大地より
はじまり
2005年5月。ノースシドニーの8階にあるオフィスの窓から外を眺めると、立ち並ぶビルの谷間から、青い海と白い貝殻のようなオペラハウスが輝いて見える。
早朝、自分のデスクに座り、いつもどおりメールのチェックを始めた。
チャットのスクリーンに目をやると、日本にいる同僚のステータスが、チカチカと点滅し、オンライン表示になったのに気がついた。
彼に話しかけようとチャット画面を開いたが、キーボードを叩こうとした僕の手が一瞬止まった。
いや、待てよ。どうやら彼は体調が良くないようだ。そんな感じがする。案の定、その同僚からメールが送られてきた。
「今日は、体調が悪いので休ませてもらいます」
最近やたらカンが働くようになった。2004〜5年頃のことだった。ちょっと、敏感な人なら誰にでもあることだと思う。
その頃、連続した数字をよく見かけるようになった。仕事中にふと、パソコンの画面にあるデジタル時計の数字を見ると、必ず11:11もしくは、4:44と表示されているのだ。
そういえば、小学生の頃ポータブル・ゲームで遊んでいると、必ず4:44の数字を見ていたな、と思い出した。
そのことを、ちょっとスピ系の女友達に話すと「それって、エンジェルナンバーよ」と教えてくれた。なんでも、宇宙とうまくシンクロしているサインらしい。
まあ、ラッキーなのだろう。僕には、その程度の認識だった。
それから数年後には眠りから目覚めた瞬間に、無限に続く数字の3を見ていた。
その不安定に研ぎ澄まされた鋭敏な感覚は、日を追うごとに感度が増してきているようだった。
夜ベッドに入ると眉間のあたりがムズムズして、どうしようもなかった。
ある朝ベッドで目覚めた瞬間、ナイフを手に持ち暴れている男のイメージが突然脳裏に浮かんだ。
その日の午後、最寄り駅で包丁が持った男が暴れて数人が怪我をしたとのニュースを聞いた。
眠りから現実に覚める一瞬、その瞬間は黄金の一時だ。
だって、多次元にアクセスすることができるのだから。
オフィスで働いている同僚の背中を見るだけで、次第に、その人の体調が分かるようになってきた。
ITの仕事だったので、論理的、合理的な世界の中にいた。スピリチュアルとは無縁の生活を送っていたが、無機質な社会に身を置いていると、何か大切なものが足りない感覚は常にあったように思う。
人生はつまらないと思った。
決まった年齢になると、幼稚園に行き、小学校に通い、中学校へ上がり、受験をして高校、大学へと進むのだ。
たくさん努力して、運が良ければ良い学校、良い企業へ入ることができる。それが世間では成功とされているのだ。
うまくいけば、結婚し家庭ができ、ローンを組んでマイホームを購入し、リストラにならないことを祈る。
大病をしないことを願い、定年を迎え、わずかな年金に不満を言い、死んでゆく。
もちろん、それなりに楽しいことだってあるだろう。でも、人生ってたったこれだけなのか?
一体自分は、こんなところで何をしているのだろうと、いつも思っていた。
ホメオパシーとの出会い
僕の魂、スピリチュアルな旅のキッカケとなったのは、不安症を治そうと始めたホメオパシーの治療だった。
2005〜15年の10年間、1月に1回、苦しかった時期には、2週間に1回の頻度で、シドニーではとても有名なホメオパスに通い続けたのだ。
ホメオパスに通った回数は、150回は軽く超えたし、費用だって結構かかった。世界中どこを探しても、この頻度で長期にわたりホメオパスに通いつづけた患者は、なかなかいないだろう。
これだけの回数、ホメオパシーの治療を受けると、さすがにホメオパシーについては、誰よりも詳しくなった。
藁をもつかむ思いで望んだホメオパシーの治療だったから、真剣さでも誰にも負けなかった。
この物語は、僕がホメオパシーでの治療を通してスピリチュアルに覚醒していった、不思議で真摯な“私”のストーリーだ。
*
当時、僕は妻と2人で日本からオーストラリアへ移住したばかりだった。
数年前から日本での生活に疲れ果て、タイミング良く会社から転勤の話がやってきたのだ。
その頃、僕の不安症が徐々に悪化し始め、東京の地下鉄に乗ると軽いパニックに襲われることがしばしばあった。
事の発端は、朝の通勤ラッシュ時、中目黒と恵比寿の間で、ギッシリと通勤客を乗せた満員の日比谷線が停止したことだった。
窓の外は地下の漆黒の闇に包まれ、僕の心臓の鼓動は次第に耐えきれないほどに大きくなっていった。
足はガクガクと震え始め、冷や汗が止まらなかった。
初めての出来事だったので、僕は何がなんだか分からなかった。
長時間勤務による疲れが溜まっているのだろう、と思っていた。
電車が止まっていたのは、数分程度だったと思うが、“ほつれ”が始まった瞬間だった。
オーストラリアに生活を移してからも、その症状が回復する様子はなく、年々悪化の一途をたどった。
ある日、妻が近所にあるカレッジの話を始めた。
「近所にナチュラル・セラピーを専門にしているカレッジを見つけたのよ。ハーブ療法、レイキ、それからホメオパシーを教えているの」
入学案内のパンフレットを眺めてみると、どれも僕には聞きなれない民間療法だった。
「前からホメオパシーに興味があったのよ。クスリを全く使わない、安全な治療法らしいの。私も勉強してみようかしら?」
妻は軽度だが、子供の頃からアトピー持ちで、過労が重なると顔に発疹が出てしまう。
僕たちの結婚式の前日に、ストレスからアトピーの発疹が顔に現れ、慌てて病院に駆け込みステロイドの軟膏を処方してもらった。
ステロイドは一時的に症状を緩和するだけで、根本的に治癒する訳でないことを彼女は経験的に知っている。
だから、クスリを使わないホメオパシーには興味があるのだ。
クスリを使わないで一体どうやって治療するのだと、素朴な疑問をぶつけると、
「簡単よ。クスリではなくて物質の波動を使うのよ」
と、妻は自信に満ちた表情で答えた。僕が唖然としていると彼女は続けた。
「うーん、例えば、怖い先生が教室で監督しているだけで生徒が真面目に勉強するみたいに、“雰囲気”で病気が治っちゃうんだね、きっと」
そんなものか、と僕は彼女の回答に感心し、と同時にホメオパシーについて何か腑に落ちる感覚があった。
その数ヶ月後、僕たちは自宅から徒歩数分の近所にホメオパスが開業しているのに気がついた。パトリシアだった。
パトリシア
初めてのホメオパシーのコンサルテーションは、とても心地の良いものだった。
近所の町医者に診てもらうのとは違い、何か人間的な温かみを感じた。
僕が中学生の頃、右の脇腹が慢性的にしくしくと痛み出し、近所の胃腸科を訪ねたことがあった。
病院の玄関には深緑色のスリッパが散乱し、無機質で冷たい雰囲気が漂っていた。
院内を漂う消毒液のニオイ、病気のニオイが嫌だった。
学者風で無愛想な先生は、僕が腹痛について説明すると、“右の脇腹”だけに焦点を合わせ始めた。
先生は、右脇腹の部品の摩耗度合いを丹念に診断しているかのようだった。
その学者風の先生は、病変している右脇腹という部品に興味があり“僕”には興味がないのは明らかだった。
そんな町医者とは違い、ホメオパスのパトリシアのコンサルテーションは、まるで友人と話をしているかのようだった。
僕が抱えている不安な症状について、彼女に話し始める。彼女はノートを取りながら、真剣に僕の言葉を聞いてくれる。
僕の話し方、言葉の選び方にすら注意深く観察しているようでもあった。
パトリシアは「カオルの話はとても興味深いので、もっと詳しく知りたい」と言った。
「実は僕にもよく分からないんです。職場に行くことに恐怖を感じるみたいで。実際、仕事はとても忙しいですが、同僚も上司もいい人だし、関係はうまくいっています。
でも、毎朝職場に足を運ぼうとすると、何か得体の知れないものに引きずり込まれる感じがして……。感覚的には、何かこう“戦い”が始まる前みたいに緊張し、全身がこわばる感じがするんです」
パトリシアは、僕の言葉をじっと聞いていた。少し間を置き、次の瞬間、何か閃いた様子だった。
僕の目を見て“カミカゼ”と、はっとした表情で言った。
彼女いわく、僕の話はまるで戦場に赴く特攻隊のようだと。
オージーの女性から“カミカゼ”という言葉が出てくるなんて予想外で、とても驚いた。
パトリシアに出会ってから、16年の歳月が過ぎたが、的確な言葉であったと思う。
パトリシアは「良いレメディがあるわよ」と言った。
「2つ候補があるけど、今のあなたに合うのはこれね」
彼女は、たくさんのレメディが並んでいる戸棚から琥珀色のレメディ・ボトルを1つ取り出した。
「これはね、オピウムのレメディ。オピウムは、ギリシャ兵が戦いの前に勇気を奮い立たせるために服用していたものなの」
オピウムは日本語では「アヘン」を指すが、ホメオパシーのオピウムには、もちろん、その麻薬成分は一切入っていない。
オピウムの“雰囲気(波動)”がコピーされているだけである。
「これはとても強いレメディだから、服用する前に必ず連絡すると約束してね」
僕はお礼を言い、レメディの入ったボトルを受け取った。
僕の不安症について、親身になって聞いてくれるなんてとても嬉しかった。
話を聞いてもらうだけで、自分の中の何かが癒やされてゆくような気がした。
一方で、ホメオパシーのレメディは、果たして効果があるのだろうかと半信半疑でもあった。
*
その夜、妻が眠りについた後、居間に戻りオピウムのレメディ・ボトルを紙袋の中から取り出した。
ボトルに貼り付けられたラベルには、ポテンシーMと書かれている。
パトリシアに指示された通りにボトルを振り、数回手のひらでとんとんとタップする。
中に入っている液体が渦を巻く。どうやら、自分の“雰囲気”によく馴染ませるための儀式のようである。
新品の革靴を自分の足にぴったりと馴染ませるように、布で磨き込む作業にも似ている。
ボトルの蓋を緩めると、ブランデーもしくは、ウイスキーのような香りが少し漂ってきた。
蓋についたスポイトで液体を吸い上げ、3滴ほど舌の裏に垂らす。やはり、ストレートのウイスキーのようなピリッとした感覚が口の中に広がる。
その途端、強烈な風が力強く僕の体の中を駆け巡り、やがて僕は静寂の中に包まれていった。
テーブルの上に、琥珀色のレメディ・ボトルを置いた。
ボトルは、カーテンの隙間から差し込む、柔らかな月の光に輝いていた。
その夜、久しぶりにぐっすりと眠ることができた。
*
翌朝目覚めると、僕は文字通り別人に生まれ変わっていた。
なぜ分かるのかって?
だって、体中がエネルギーに満ち溢れ、今すぐにでも走り出したくなるくらい、身体が軽いのだ!
あの不安な感覚が綺麗サッパリ消えてしまったのだ!
ああ、懐かしい。この体の感覚は、まるで16歳の自分に戻ったみたいだ! そうだ、10代の頃はこんなに体が軽快だったのだ。
しかも、何をやっても大成功するのではと思えるほど、自信にも溢れていた。
歳を重ね、30も半ばになると、知らず知らずのうちに、体が鉛のように重くなっていたのだ。
その日、妻と公園にピクニックに出かけたが、あまりにも嬉しく野球場2つ分ほどの大きな公園を子供のように全速力で走り回っていた。
パトリシアにも報告の電話を入れた。
「処方してもらったレメディがものすごく効いたみたいで元気にやっています!」と。
パトリシアは僕の知らせを受けて、とても嬉しそうだった。
元気に出社できるようになり、精力的に仕事を行い、同僚たちと楽しく過ごすことができた。
内気な性格の僕であったが、突然お喋りで社交的な人物に変身したのだから、職場の同僚もさぞかし驚いたであろう。
いろんな人と出会いたいと思った。たくさんの挑戦をしたいと思った。
IT部門からセールスに異動したい、とも思っていたから驚きである。
自宅では新聞を広げ、「暇だから家でも買うか」と本気で発言して妻を驚かせていた。
もちろん、そんなお金はないのだが。
たった3滴のレメディで僕の性格が激変してしまったから、ホメオパシーの効果には驚きである。
だが、そんな天国のような状態は長くは続かないものである。
数ヶ月が過ぎると、まるで打ち上げられたロケットが弧を描いて落ちてくるように、もとの不安な自分へと戻っていった。
*
妻は宣言した通り、近所にあるカレッジでホメオパシーの勉強を始めた。
いったん決意すると行動が早い彼女らしく、妊娠3ヶ月目の胎動教育も兼ね、情熱的に勉強に取り組んだ。
僕の方は、相変わらず過度の緊張から職場に赴く足取りが重く、ウツウツとした気分で過ごしていた。
そんなある日、またエネルギーに満ち溢れている自分に戻りたい、という願望がムクムクと立ち上がってきた。
そうだ、あのレメディをもう一度服用してみよう、と僕は思いついた。
僕はオピウムのレメディを再度服用してみることにした。パトリシアには連絡を入れずに……。
就寝前、オピウムのレメディを前回服用したのと同じ手順で服用する。
琥珀色のボトルからスポイトを取り出し、きっちり3滴のレメディを舌下に垂らす。
すると、どうしたことか?
レメディを舌下に垂らした瞬間、体にエネルギーが満ち溢れるどころか、心臓がバクバクと鼓動を始め、逆に不快感が増してきた。
前回オピウムのレメディを服用したときは、静寂に包まれるような素晴らしい体験だったのに!
そのままベッドに入り、眠ろうとするが、心臓がバクバクと鼓動する。まるで全速力で100m走を何本も走り続けているかのようだった。
アグリベーション
眠りにつこうとしていた妻を起こして相談した。
「それは、レメディが合わなかったから、アグリベーションを起こしたのね」
アグリベーション(aggravation)の意味が分からなかったが、何か不調和を起こしている様子だ。
おそらく、レメディの雰囲気と僕の雰囲気が合わないのであろう。そんな感じだ。
妻は、マテリアメディカと呼ばれているホメオパシーの辞書をめくりながら、「コーヒーのレメディね」と言った。
心臓がバクバクして不眠で悩んでいるのに、コーヒーのレメディなんて変じゃないかと僕は思った。
妻はカレッジで勉強を始めてから、まだ数ヶ月しか経っていないのだ!
大いに不安を覚えたが「これ、学校で勉強したばかりなのよ」と自信のある様子だ。
彼女は、リップ・スティックより少し細い円柱のプラスチック・ケースを取り出し、その中から白くて丸い錠剤を蓋の上に取り出した。
大きさは、金平糖の半分くらいの大きさだ。
「指で直接触らないで、蓋の上にのせたまま口の中に放り込んでね」
僕は、その通りにした。
ほのかに甘い味が口の中に広がった。
すると、バクバクしていた心臓の鼓動が、一瞬にして何もなかったかのように収まり、眠気に包まれていった。
その夜、ぐっすりと眠れたことは言うまでもない。
*
ホメオパシーでは、不眠の人にコーヒーのレメディを与える場合がある。
コーヒーのレメディなんて眠れなくなってしまうのではと思うが、これで良い。
理由は、コーヒーのレメディを摂り、眠れないという状態をさらに強く作ることで、体がビックリして眠くなるからだ。
これはまるで、真冬に冷水を浴びるのにそっくりだ。体は一瞬冷えるが、そのあとポカポカと体が芯から温まってゆく。
比較してみると、冷え性の人が服をたくさん着込むのが西洋医学で、冷水を浴びるのがホメオパシー的な手法だと言える。
ホメオパシーでは、人間が本来持っている正常な状態に戻ろうとする力「自己治癒力」を引き出すことで健康な状態に戻るのだ。
*
数ヶ月後、パトリシアを訪問した。
オピウムのレメディを再度服用し、症状が改善するばかりか悪くなったことを説明した。
だから言ったのにと、相談をせずにレメディを服用した僕に、少々不機嫌な様子だった。
彼女は、最初にレメディを服用したときと、2回目に服用したときで、僕の全体像(ピクチャー)が違っているから、アグリベーションを起こしたと説明してくれた。
おそらく、1回目と2回目で僕の“雰囲気”が違っているからなのだろう。
以後、ホメオパシーのレメディを服用するときはパトリシアと相談し、細心の注意を払うことを心に誓った。
これから、10年間にもわたる僕のホメオパシーとの長く、壮絶な、治療と覚醒の旅が始まるとは想像もしなかった。
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