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会いたい人に会える時に会う

私の実家は仙台にあり、年老いた両親と弟が静かに暮らしている。私は気ままに東京で夫と猫と二人暮らしで、東京に出てきて以来、普段は実家の存在なんて忘れて正月も毎年帰ったりなんかしなかった。

それが、2011年の震災の後、かろうじて無事を確認したもののしばらく電話は通じない、水道も1か月以上止まってるとか、会いに行きたくてもしばらく行くことができない期間があった。やっと仙台に行くと見慣れた街の様子が一変していてどこもかしこも壊れているように感じた。もちろん実家も形はとどめているけど中はあちこち壊れて全壊認定である。食卓には最近買ってきた百均の食器が並んでいた。

そんなことがあり、いつ、会えなくなるか分からないと思って震災後は数か月おきくらいに実家を訪ねるようにした。スマホデビューしたいという母の願いを聞いてプレゼントしたり、二人で外食をしたり。普段は食事制限のある父と弟のために料理をしている母のために、二人で出かけたら、寿司を食べたり贅沢をすることにしていた。

震災のことも少しずつ忘れ、2020年のお正月に夫と仙台を訪ねた後、世の中はコロナ禍に突入した。実家に行ってもいいかと聞くと、市内で発症した家は引っ越しを余儀なくされたり、東京から人が来ていると噂が立つと困ると言われてまさに自粛してきた。こんなことで、会えなくなるなんて思わなかった。もし、病気になったりしたらどうしようと不安になったり無性に悲しくなる日もあった。

2021年になって、夏に向かう頃一般市民もワクチン接種ができることになり、実家の面々も私もワクチンが終了すれば、会いに行ってもいいかなと希望が持てるようになった。7月末に2回目のワクチンを終え、テレワークを継続しつつ家族以外との面会を極力避けお盆を迎えた。果たして、緊急事態宣言は解けず帰省も自粛するようにとのお上のお達しはあったが、自分なりに万全の態勢を整えて無事に帰省を果たした。

母も、友人と毎月開いていたランチ会も開催できず、また年齢的にも近くで会える友達が減ってきて、とちょっと寂しかったらしい。母は、入院の続いていた友人の旦那さんから電話がかかってきて、その翌日にお見舞いに来てくれないかと頼まれて行ってきたと話してくれた。病室では割と元気そうで明るく楽しく話ができたそうだ。またねー、と別れて30分後くらいに旦那さんから電話があり今、息を引き取ったと。今日は来てくれてありがとう、と。実は、だんなさんが奥さんに最後にしたいことはないかと聞いたところ、うちの母と会っておしゃべりしたいと最後の願いの一つだったとのこと。最後に会えて本当によかったね。

こういう時期だから、いったん躊躇してしまうと、大事なものが次々と指の間から抜け落ちてしまう。いや以前からもあったのだ。コロナ前だが、最後の入院になった友達に何を言っていいか分からなくて会いに行かなかったことを今も後悔の念とともに思い出したりする。

だから世の中の本質は変わっていないのだと思う。今だなと思うときは会いたい人と会いたい。できるだけ安心して実現できればと思う。そしてそこに躊躇とか遠慮がない世の中が戻ってくるときはあるだろうか。それがまだ先であっても、そのとき後悔が無いようにしていきたい。

写真は母の切り絵


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